工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

材木ストレージ(工房 悠の場合)

倉庫1
先に倉庫の移設に関する記事を上げたが、ここでせっかくだからこの倉庫のストレージ手法について紹介しておこう。
(とは言っても、大層なものじゃないのだけれども‥‥へなへな)
15坪(3間×5間)、2間の高さのプレハブ構造。
正面(東)中央に3間のシャッター。
壁、3間(西)と5間(北)、L字型に水道管による仕切り(棚板用を兼ねる)棒を配置する。
南側壁には何も工作せず、そのまま材木を平積みする。
残り2方には、この仕切り棒で支えながら材木を立てかけて整理する。
あるいは小割りした材木、短コロの製材品などを、この仕切り棒を用いた棚に整理する。
それらの手前に平積みした材木を置く。
こんなところだ。

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黄砂襲来と、笑っちゃう手押し鉋盤

RENNGE
何やら遠い大陸からやってきた黄砂の襲来とともに春への歩みが加速しているようだ。
彼岸入りとともに、一気に春の陽気。
大阪へと走らせるために早起きした昨日早朝、陽の光は光源がそこにあることを教えてはいるものの、その輝きは全く判然としない、ぼんやりと拡散する朝の光の放列は、今年初めての黄砂による現象だった。
しかしそれも西へ西へと走らせるうちに太陽の明るさは増し、黄砂による視野障害も気にならなくなっていった。
大阪での仕事を済ませ、往復700kmの走破を終えての深夜の帰宅だったが、良い知らせのメールが受信トレイにあった。
PowerMac G5の修理完了、返却手続きの知らせだった。
(先月末に襲ったトラブルだが、その後2個のCPUを交換修理するも、不具合は解消せず、改めてこの月曜日に入院手続きしたところだった)
修理報告には、プロセッサーの再度の交換を実施したことが記されていたが、果たして……。
この2月から今月に掛けて公私にわたり疎ましい案件が相次ぎ、精神衛生上、はなはだしくよろしくない状態が続いていた。当然にも本業にも支障をきたすほどのもの。
でもこれらも春の到来と共にほぼ解決を見つつあり、平穏な日々が戻りつつあることはとてもありがたいことと感謝している(敬虔さというものを獲得してこなかったボクのような者にとって、一体何に感謝するのか?)
Macトラブルもそうだが、倉庫移設問題も9割方終えた。
残るは手押し鉋盤の修理。

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大竹さんが本を !

大竹さんの本知人木工家の大竹収さんがご本を上梓されたのでご案内させていただく。
『木工ひとつばなし』とタイトルされた250ページを越える大冊のものとなっている。
一昨日贈呈されて知った刊行だったが、ちょっと軽い驚きを覚えた。
内容はタイトルにも表されているように、木工家具制作に従事するところから体得された、木というものの不思議、木工家具の魅力について縦横に語られたエッセー集と言えば良いだろうか。
大竹さんはこのBlogにも数回のコメントを頂戴しているので、読者にはご存じの方もいらっしゃることと思うが、ご自身Webサイトを管理運営されてもいるキャリアの木工家である。
このサイトでも木工こぼれ話というようなエッセーのページもあるのだが、どうもこれを膨らませ、再構成させる形での編集であったようだ。
なお、貼り付けた画像では分かりにくいが、本の装丁にとてもセンスを感じさせる。

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まだまだへたばるわけにはいかない(倉庫移設大作戦)

倉庫1
最近あることで高校のクラスメイトとの電話でのやりとりが数回続き、仕事をリタイアしたのだとか、オレはもう悠々自適にやっているとか聞かされると、なるほど、われらの年齢からすれば、そうした人生の転機、ライフサイクルの新たな局面を迎える時期であるというのが一般的な了解なのか、と思い知らされるものだった。
一方我が身を振り返れば、15坪のプレハブ材木倉庫に身動きも取れないほどの在庫と、外には乾燥を待つ天然乾燥中の山が7つ、8つ。
これを見ればオレはまだまだとてもリタイアするわけにはいかないじゃないか、とひとりごちたものだった。
ここ数日材料倉庫の移設作業に翻弄され、材木との格闘を強いられる過程で、失念してしまったものも含め在庫材木の品質、ストック量をあらためて再確認させられてのことである。

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雑誌『もくたろ』創刊

mokutaro1つの雑誌がこの12日に創刊された。
『もくたろ』というちょっとユニークな誌名を持つものだが、ここで少し紹介しておこう。
『もくたろ』という誌名には「つくる家、直す家」とサブタイトルされているように、これから住宅を新築しようという人、あるいは改築しようという人に向けた雑誌だ。
さらにその出版企画意図は、この創刊号の特集に明確に表れている。
その特集は「板倉の住まい」。
4寸角という太い柱に1寸の板材を落とし込んでいくという素朴で堅牢な構法、いわば木造建築の原点のような構法を「板倉」と称することは周知の通りだが、これを実際の建築現場に取材し、日本に於ける建築の在り方を共に考え、広く提示していこうという、メッセージ性のある熱い雑誌だ。
建築業界に関しては語るほどの知見があるわけでもないが、素人でも分かる指標として日本の住宅建築の耐久性についてのデータがある。
何とこれが30年と言われているのだが、人生最大の買い物と言われる対象にしては、あまりの品質の低さに驚くばかりだ。
確かに湿潤なモンスーン気候の環境下で堅牢性を維持するのは容易いことではないのは分かるのだが、恐らくはその問題点の前に、ある時点を転機として住宅建築の基本のところで間違ってきてしまったということも無視するわけにはいかない。
戦後から徐々に始まった米国からの建築工法の導入と、それとともに入ってきた工業素材の如くの木材資源の問題のことである。

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一気呵成に確定申告を(Macダウン顛末、オワリ)

修理報告書
Macが帰還した。
安寧の日々が戻ってきた、という感じだね。
2月末にクラッシュしたPowerMac G5。
4日にピック&デリバリーでAppleの修理センターに旅立った愛機だったが、思いの外手こずったようだ。
画像は「修理報告書」の主要な部分。
このPowerMacはIBMチップの DualというタイプのCPUなのだが、これが2つとも逝かれてしまっていたらしい。
実は修理に出した翌日には「修理完了」などという案内もあったのだが、これが何とガセネタ。
この時は1個のプロセッサーを交換しただけで、修理後の動作確認をしていたところもう一方のプロセッサーもダメだったとのこと。
この部品が国内には無く、海外からの取り寄せとなったことで時間が掛かったようだ。
この間サブの13インチのノートで凌いできたのだが、最近のMacも解像度が高く、その分文字がとても小さく表示されるために、眼が疲れる。
無論眼の老化を否定するつもりはないが、普段使っている20インチのApple Cinema Displayは、高精細で長時間の作業も眼が疲れるということが無かったので、その違いに戸惑ったのは事実。
あるいは、ノートにはテンキーが無く、この時期に必須の作業となる確定申告の作成には不都合でもあった。
12時頃にヤマトの宅配便で届けられたのだが、仕事の予定を変更し帰ってきたMacのセットアップを優先させ、データの破損が無いことを確認した後に一気呵成に確定申告の作成を進め、今し方プリントアウトし終えた。
コンテナ右の画像はヤマト便で届けられたPowerMac専用のコンテナ。
Apple社とヤマトとの共同開発?
担当ドライバーは初めてのことであったようで開梱に戸惑っていた。
このコンテナは二重三重の緩衝材に加えて、エアー充填でくるむなど、完璧な梱包となっているのには驚かされた。
さてところで、このCPUのトラブルだが、13年間にわたるMacユーザーとしてもはじめてのこと。
カスタマーセンターに原因などを尋ねたところ、使用による劣化であり、決してめずらしいトラブルでは無いとのことであったが、ほんまかいな。
そうであれば受忍するしかないのかも知れないが、コンピューターの心臓部を交換したからには、せめてこの後、これまでの使用期間と同等の5年間以上は持ってくれないとね(マザーボードの他の部位の劣化も無視できないから、そんなわけにはいかないか ? )。
やれやれだ。

Macのお勉強(Macダウン顛末、その2)

ターゲットディスクモード今、デスク周りはMac3台と、外付けHDD、それらを繋ぐ電源コード、Firwire、USBなどのケーブル類で占拠されてしまっている。
延べ35時間ほどこの状態を維持しなけりゃならん。
さて、一昨日のMacダウンは、かなり重篤な障害だった。
結論的に言えば、やはりマシーン、ハードウェアの損傷であるとの診断が下された。
つまりシステムなどを含むデータが納まったHDDのトラブルというのではなく、ロジックボードなどハード部分の損傷である疑いが濃厚ということ。
Appleテクニカルサポートとのやり取りで行った自力での修復作業はいずれも功を奏しなかった。
PRAMリセット、SMUリセットなどを講ずるも結局は起動せず。
Shiftキーでのセーフモードでも、CキーでのCD起動も、Optionモードでの起動もダメ、ダメ、ダメ。
しかし実は途中1度だけCD起動でアーカイブでの新規インストールに成功したのだけどね。
今思えばぬか喜びであったのだが、アップルマークの下にギヤが現れ、回転し始めた時は地獄での天使からの微笑みのようで感涙させられるほどのものだった。
その後アーカイブでの新規インストールに成功。
当然、このままではOSバージョンが異なるので、ネット接続し最新のOSバージョンをダウンロード。
そして、再起動 !
果たして…、
これが何と、再起動できず。またもや、である。
元の木阿弥という奴だ。

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“一月往ぬ、2月逃げる、3月去る、Macダウン”

“一月往ぬ、2月逃げる、3月去る”などと教師から脅されたのは、あれは中学に上がろうという年のこの時期のことだったろうか。
今日28日の日めくりを破くと月が改められる。
こんな忙しい日々だというのに、何とあろうことかメインのMacがダウン。
昨日の朝、いつものようにPowerMacG5を起動しようと電源ボタンを入れた。
暫くすればログインの画面に切り替わり、これにパスワードをタイプすればデスクトップが現れるはず。
数分のインターバルが必要なので、その間歯磨きなど朝の所定の身繕いなどを済ますのだが、大変、大変 !、ファンが暴走中 ! とあわてふためき妻が伝えにくる。
ありゃ、モニターを見れば林檎マークまで起動が進んでいることが確認できるものの、次のログインへのステップへと進行する様子はなく、ファンの音だけが真夏の酷使状況のよう。
原因究明はともかくも暴走を止めるために、強制終了する。
あらためて電源を入れるも、状況は変わらず。
次に試みるのは、Mac本体から繋がっている周辺機器のケーブル類を全て外し、PRAMクリア。
command、option、P,R、この4つのキーを電源投入と同時に押し、2度目の起動音まで押し続ける。
たいして大きくもない左手の手で中指だけを除き4本の指を大きく拡げ、キーを押さえるのは大変だが、これも慣れだね。
いやこんなもの慣れたくなどないわい。
しかし結果は期待するものではなかった。全く状況は改善せず。
残る手段はシステムインストールディスクでの起動と、再インストールか。
何でもやるけれど、データの逸失だけは御免被りたい。
このマシーンを設置してからというもの、ノントラブルでの快適環境が継続してきていたので、この突然に見舞われた事態はとても衝撃的。
Back upはまずまずできているとは言うものの、何とか軽微な修復作業で復帰させたい。
こんな状態でもあるので、ちょっと暫くはこのBlogエントリもインターバルが空くようになってしまうだろう。
とりあえずはサブのマシンがあり、Blogコメント、あるいはメール取得は可能なので遠慮無く。
実は、よりによってこんな時期に、という個人的事情が重なってのものでもあるのだが、これについてはまた触れることもあるだろう。

第81回アカデミー賞から

第81回アカデミー賞、決まったが、その結果は下馬評とはちょっと違ったようだね。
最多13部門にノミネートされていた「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」は、完敗だった。
主要部門はみな持って行かれ、ジミ〜な美術賞、メイクアップ賞、視覚効果賞、の3冠。
「スラムドッグ$ミリオネア」が、主要部門を含む最多8部門に輝いた。
・作品賞・監督賞(ダニー・ボイル)・脚色賞・撮影賞・録音賞・編集賞・作曲賞・歌曲賞
主演男優賞は、同性愛者をカミングアウトし、米国史上初めての政治家に扮したショーン・ペン(ミルク)。
主演女優賞はケイト・ウィンスレット(愛を読むひと)
日本のメディアを興奮させたのは、「おくりびと」(滝田洋二郎監督)の外国語映画賞、そして「つみきのいえ」(加藤久仁生監督)が短篇アニメ賞を獲得。
すばらしいですな。
因みに、この外国語映画賞というのは、比較的新しく設けられた部門で、それまでは「特別名誉賞」というものがあり、これには過去、「羅生門」(黒沢明監督)、「地獄門」(衣笠貞之助監督)、「宮本武蔵」(稲垣浩監督)が受賞している。したがって「初受賞」というのは間違いではないけれど、こうしたことを触れた上で表明すべきだろうね。
メディアの報道にあっては、このような場合、先人に対する敬意を損なうような解釈は注意しないとね。
さて「スラムドッグ$ミリオネア」だが、これはボクにとっては必見の映画になりそう。
第66回ゴールデン・グローブ賞4冠、英国アカデミー11部門ノミネート、映画俳優組合賞(再最高賞)、全米監督組合賞、などなど、アカデミー受賞前にいくつもの栄誉に輝いている。

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木工という営みを支えるもの(クレノフの教え)

思えば『A Cabinetmaker’s Notebook』 という書物に出会ったのは1986年の春だった。
自身で求めたものではなく、その4月から世話になりはじめたばかりの松本の職業訓練校の教官から貸し与えられたものである。
その経緯は今ではもう思い出せないが、既に刊行されていた4冊をまるごと渡されたことだけは今でも覚えている。
ボクは必ずしもこの教官にとって良い生徒ではなかったはずだが、生年も近かったこととか、全くの素人として門を叩いたわけではなく、数年前から木工に触れていたことでのコミュニケーションの取りやすさといった、他愛ない関係からのものであったに違いないが、しかしその時はその後のボクの木工人生に深い影を投げかけるほどの書であることに、さほどの自覚を持って受け取ったわけではなかったと思う。
ただしかし、その本から受ける示唆、インスピレーションというものは、英語を解せない者であっても、重要な文献であることを感じ取り、その教官の許しを受けないまま、主要部分を複製させていただくことにし、それを遠くにいる妻に翻訳してもらうというやや無謀な企みを図ったものだった。
krenov_school1そして、それから2年後、何とこの著者がその手で木に小刀を入れ、またキャビネットメイキングの何たるかを語る場に席を置くことができるチャンスを得たのは、工房を構えたばかりの頃のことだった。
高山の飛騨国際工芸学園の開校初年度の記念イベントとして、この著者J・クレノフ氏が招聘されたのだった。

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