工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

Gallery Talk の効用とは

山の上ギャラリー

山の上ギャラリー・「私の椅子展」もスタートから2週間を経て、先週末22日、会場での立ち会いをさせていただく。
この日は「Gallery Talk」の企画もあったせいか大勢の来訪があり、広い会場も一時は客でごったがえす状況でもあった。
ボクの旧くからの顧客、親しくしていただいている家具メーカーの社長、そして友人など、大勢の関係者にも足を運んでいただいたが、本当にありがたく思っている。
この日はとても蒸し暑い陽気で、名称の通り小高いところに立地するギャラリーまで辿り着くには、大きな汗を掻いてのものだったに違いなく、お疲れさまでした。
ただ、来訪された方々には豪壮な造り酒屋を移築した異空間と、ギャラリーのもてなし、そして良質で、創造的な様々なスタイルの椅子の数々に座っていただき納得の時空であったかと思う。
また「Gallery Talk」に参加された方々にはなお一層のご満足をいただけたものと思うが如何だったろうか。
今回の「Gallery Talk」は7名の出展者のうち、井崎正治氏とボクの2名によるものだったが、谷進一郎、デニス・ヤング、藤井慎介、各氏の参加にも助けられ、とても有益なものであった。
ボクなどはこうした「Gallery Talk」は不慣れということもあり、A4 一枚の簡単なリーフレット(レジュメ)を用意し、参加者に配布して臨んだ。
しかしそれは不要とも思えるほどに参加者からの積極的な問いかけ、発言が飛び交った。
そしてこれらにも助けられ予定の時間を大幅に超えるほどに、内容の充実した「Gallery Talk」であった。
参加者は出展者の関係者に留まらず、椅子の愛好家、メディアで長く活躍されてきた方、あるいは他のジャンルの工芸家、建築設計に携わる若者、などバラエティーに富んだ方々。
椅子に用いられる材種の質問からはじまった「Gallery Talk」だったが、それを発展させて、現在の材木市況の問題、あるいは椅子制作に木を用いることの意味。
さらには、こうした工芸的なアプローチにおける椅子造りをアートとしてなかなか認識されない日本における受容のされ方の問題を、海外の事情に詳しいデニス氏からの問題提起があったり、近年モノヅクリというものの本質が、日本では見えにくくなりつつあったところから、私たちの営為と、このようなギャラリーの熱心な企画によって、再評価されつつあることの意味など、熱く語られた。
なお、この「私の椅子展」の前回の「Gallery Talk」は、前田純一氏とご一緒させていただき進めたのだったが、その際は、他の出展者の出品作品を含め、1点1点、解説させていただくところから説き起こしていったと記憶しているが、今回のようにじっくりと椅子制作の本質、木工という仕事の本質を垣間見せるような内容もまた、思いの外参加者には喜んでいただき、有為なものであったことは、ボクにとっても収穫であった。
Top画像は、夕暮れ時のギャラリーファサード。
なお本企画、会期は9月23日までありますのでお出掛け下さい。

Google・「未来を選ぼう 衆院選 2009 」サイト

8月18日に衆議院選挙が公示された。衆院解散から既に1月近く経過していて、まさに選挙戦も実質的な終盤といえるだろうか。
しかし昨日の朝日新聞朝刊には驚かされた。総選挙、序盤情勢調査の結果のこと。
以下のようである。(asahi.com

  • 民主党は単独で過半数(241)を大きく超え、300議席台をうかがう勢い
  • 自民は選挙前議席(300)の半数に届かず、それよりさらに大きく後退する可能性
  • 比例区では、公明、共産はほぼ前回並み、社民はやや苦戦

先に上げたBlogエントリ記事内容をさらに確証するかのようなものだが、ま、しかしアナウンス効果とやらで、反動もあるかもね。
ところで、そこでいざあらためて、我が選挙区の候補者をまじまじと見てみた。
その主張、出自、経歴、そして顔つきもね。
そして、数日前にリリースされた「未来を選ぼう 衆院選 2009 」というGoogleが運営しているサイトから、それぞれの候補者の動画をチェック。
困った、困った‥‥。
結果、投票したいと思う候補者がいなかったという事態。
どうしましょう。
リベラルな思考を旨とするボクとしては、「政権交代」を期待して民主党に肩入れしたいと思うものの、その党の候補者がどうも推して良いものかどうか、苦慮している、という結果。
ともかくも「政権交代」をねらうならば、候補者なんて、議席の一員としてみれば良いのであって個々の人物評価など二の次でよいだろう、という考えもあるやもしれない。
しかしこの意見には与したくないね。
やはり人物評価が大切だと考えたい。
ここでの人物評価とは、いわゆる人柄などというレベルのことを指すものではない。
政治家を選ぶのであれば、当然にもその人の政治哲学、理念を尊びたい。
でも、やはり、そうした形而上学的な側面も顔に出るものだね。
動画を見て強くそう感じた。
これだからネット時代における政治家もごまかしが利かず、大変だねぇ。気の毒にさえ思う。
ま、どうぞ皆さまも、このGoogleの「未来を選ぼう 衆院選 2009 」を開き、ご自身の住所を入力して、検索結果に現れるるであろう候補者による「5 つの質問」への回答動画(YouTube)をご覧いただくのは、有用な選択基準になると思うよ。
こちらから
民主党が政権の座に就くのは今や既定事実であるかのようだが、しかしバブルのように膨らんだ議席数は自らの首を絞める要素にもなりかねないことだけは、今から留意しておいたほうが良いだろうね。
先の結論同様、ボクには民意の本質というものががいよいよさっぱりわからなくなってきた。

「厚板からはじめよう‥」

昨日の「秋の兆しは‥‥」で、大気の変化による木工への障害について少し触れたが、今日はその補記的な内容。
加工中の机は框組の構造であるため、羽目板、いわゆる鏡板の木取りをしたのだが、こういう場合にも大気の状態が大きく影響する。
今回の場合は、小さなサイズでもあるので、鏡板の仕上がりの厚みも3分5厘(≒10.5mm)ほどとして、板目の2寸板から小割りして木取った。
板目を小割りする方法だと、板面は柾目となり、複数枚で相似形の表情が得られるので都合がよい。
鏡板の木取り以外では、扉の框を木取る場合でも、同じように厚板を小割りして取るのが良い。
扉の框の木取りには可能な限りに素性の良い部位を用い、経年変化にも耐えられるように作らねばならない。
少々の部位の環境変化などによる反張ではさほどの影響をもたらさない箱物とは異なり、平面構成の扉では木の反りが機能障害をきたし甚だ都合が悪いものだ。
したがって板目からではなく、目の通った柾目で木取るのが一般的だろう。
これには框の設計幅方向の厚みの板目の板を用意し、これを小割りしていくのが都合がよい。
結果、柾目で相似形の表情を持った框の部材を数多く獲得することになる。
框の板厚と同じ材木から、複数枚の柾目を木取ることは容易い作業ではないが、上記の手法であれば良質な木取りができるだけではなく、一枚の厚板を選木することで済ますこともできるのでより合理的であると言える。
さてところが、気乾比重まで乾燥させた材木ではあっても、この時季は材木の外周が周囲の環境、つまり湿潤な状態に陥り、含水率が上がってしまう。
しかし中心部まではこの影響が及ばないので、結果、断面においては含水率の勾配が生じることとなる。
したがってこれを切り裂くと板のそれぞれの面の含水率が異なってしまっていることで、カットが終わるやいなや、内部応力が解放され、いきなり反張が起きることとなる。
大きな塊から小割りにする場合は、こうした問題は避けて通れない。特に薄板を取る場合には甚だ具合が悪いものだ。
したがって、こういう時季にこのような木取りをする場合は、材料を再度気乾比重に戻すなどの配慮が必要となるね。
ストーブを焚いたり、太陽の力を借りたりと、Case by Caseでやるしかない。
本格的には、小型ではあっても乾燥機を設備すると良いだろうね。
ところで、この厚板から小割りして木取る、ということは、我々木工家にとってはとても有益な手法であることは知っておいた方が良いだろう。
ボクは自身で製材管理し、様々な厚みで在庫しているので、この手法を取ることが可能だが、制作ごとに材を購入する場合は、それぞれの設計に準じて厚みの物を揃えると言うことの方が一般的であろうと思う。
無論それでも良いし、その方が合理的なのかも知れないが、より高品質なものを制作しようという場合、どうしてもこれら購入した木の固有の表情に規定付けれられてしまうこととなる。
木という繊維を有する有機素材は、木取りの方向によって、様々な表情を見せてくれる。これは木という素材が持つ特有の魅力の1つである。
したがって、制作者が求めるある部位の表情(木理)を、与えられた材料から獲得するためには、その塊に立ち向かい、どのように刃を入れれば、どのような表情を生みだしてくれるのかという予見、洞察力をもつことで、ただ与えられた板面とは異なる、任意の木理を“造りだす”ことが可能となる。
無論、全てが読み切れるはずもなく、その行為は時として冒険となり、見事に裏切られてしまうことは少なくないかもしれない。しかし、それもまた木という素材の魅力とも言えよう。
良質な木工を志すということは、この最初の工程、木取りによって半ば決してしまう、ということは1つの真理であると思っている。
実はこのことをもっとも雄弁に語ってくれるのがJ・クレノフだ。
「厚板(plank)」からはじめよ、と。
著書において、何度もこのことについて熱く語っているが、ボクが参加させてもらった高山での短いサマーセミナーにおいても、強くその事が印象に残っている。
どれだけ木の内部を“読む”のかが勝負なんだ、と。
したがってまた同様に「再製材」の重要性についても度々語られているのだが、彼の工房でのバンドソーの操作は、それは見事なものがある、とはクレノフの工房に何度も尋ねた知人の話である。
このように自然素材を対象とした木工の工芸的アプローチというものは、やはり木からはじめるというのがキホンだということは常々自覚していきたいと思う。
ただクレノフ在住のカリフォルニアという乾燥した大地での木工とは異なり、日本という湿潤な気象に大きく影響される地域では、冒頭挙げたような意味に於いてこの木工の本質を追究することの困難さもまた、残念ながら強く自覚せざるを得ない。

秋の兆しは突然に‥‥

加工途中
暦では既に7日に“立秋”を迎えているが、この二十四節気をみれば週末23日は“処暑”、つまりようやく暑さも鎮まる候となる。ようやく秋ですよ。
(今年の場合はいくらも盛夏の日がなかったが‥‥)
確かにここ数日、朝晩の空気が違ってきている。
ムッとするような暑さに変わり、吹く風にも涼しさを感じ、少し凌ぎやすくなってきた。
これは体感での変化の兆しだが、実はそんな悠長なことではなく、今日は仕事上で大きな障害として、このことを感じさせられた話しを少し‥‥。
ボクの仕事は可能な限りで精度を追求することを旨としているが、2日前に木取りした材料がひどく痩せてしまっていることに驚かされた。
50mm角のミズなら材が、何と0.1〜0.2mmも痩せてしまっていた。
そんなの大した数値じゃないじゃん‥‥、とはいかない。
2本のこの材料で框を組めば、合わせて0.4mmの短縮となってしまう。胴付きも何もめちゃくちゃ。
あわてて湿度計をみれば、何と40%を切るようなレベルを指しているではないか。
今日の当地、ほぼ快晴、気温は30度を超えていたはず。
猛烈な暑さと強烈に湿潤な大気は人の正常な生息を困難にするほどだから、秋の兆しはありがたいのだが、しかしその移行はスローであってもらわないと、困る。
いきなりはまずいよ。
今日は雨でもあるまいに、加工を終えた部材は一々分厚い毛布の下でオネンネしてもらいながらの作業だった。
このまま、この乾燥した大気で覆われていけば良いのだがね。
高校野球の決勝戦が終わるまでは、まだまだ暑さも続くだろうし、これからの時期というのは台風襲来の候となるので、これにも要注意だね。
画像は数日前から始めた小さな机の加工。
明日は一気に加工を終えよう。湿潤な陽気が再来する前に組んでしまいたいからね。
閑話休題
ところで‥‥、北陸、東北地方は梅雨明け宣言されていないよね。
このまま秋へと移行?
日照時間もとても短いようだしね。米の作況が懸念されますね。

座椅子は如何ですか

座椅子
座椅子ですね。
横浜・山の上ギャラリー、「私の椅子展」会場での撮影。
このギャラリーの建物は北鎌倉の造り酒屋を移築したものだそうだが、天井が高く広々とした展示場は外部を仕切る窓も開放的なガラス張りで、独特の豪壮な空間を構成している。
板張りフロアを素足で歩くのは快適なものだが、一部和室の設い(しつらい)もあり、この座椅子もその1室に置かれた。
緑豊かな外の光景に目を遊ばせるには、この座椅子のポイントは良いと思う。
木々を飛び交うリスを探すには格好の場所かも知れない。
会場を訪れるようであれば、ぜひ腰掛けていただきたい。
以前もお話しさせていただいたところだが、座椅子という分野では良質な掛け心地を与えてくれるものは少ないもの。
床(畳)とシートハイ(座ポイントの高さ)の関係が重要で、通常のぺったんこ座では長時間の使用は耐え難いものがある。
この座椅子のシートハイは150mmだが、あぐらを掻いても、あるいは脚を投げ出しても程よいバランス。
また背部クッションは腰椎部を支えてくれるほどの高さを確保しているに過ぎないが、この辺りも椅子の掛け心地、長時間の使用における身体的ストレスに大きく関わってくるところで、椅子制作においては最も重要なポイントとなる。
骨盤から第三腰椎のあたりで如何に身体を支えてやるのか、というところが肝要と言われるが、この座椅子も、このキホンに準拠させている。
つまり背部の腰回り位置に堅めのクッションを施すことで、椅子制作の要諦を確保し、またあえてクッションを腰の位置までとしたのは、背部の上半分はクッションを除くことで木部を見せるという意味もなくはないが、クッション部との差尺を確保することで背のS字カーブに合わせたラインを形成させるとともに、暑い夏に背中との接触部を少なくさせるという目的を持たせた。
結果はどうかって?
座って確認していただくしか無いだろうね。
制作者本人としては、まずは満足のいくものとなったと考えているのだが‥‥。
主材はブラックウォールナットだが、ご覧のようにかなり濃色なものとなっている。
決して着色されたものではなく、ナチュラルなオイルフィニッシュ。
あくまでもこれは材木の個性。
現地乾燥(スチームド)のものでは得られないブラックウォールナット本来のチョコレート色が良く出ている。
張り地もウール100%の最高級品。
肘は片方だけだが、左右は好みで対応したいと考えている。
無論両肘でも承りたいと思うが、基本はあえて片方とした。

熱い夏(政治決戦)

長い長い梅雨を越え、やっと安定した夏空がやってきたようだが、短くなってしまった夏を精一杯謳歌している人も多いことと思う。
良い思い出をいっぱい作って、秋を迎えたいものだ。
この夏は日本列島からなかなか去らない梅雨空とは逆に、熱い政治決戦が繰りひろげられていて、こんな日本ではあり得ないのかな、と思わされてきた政権交代が現実の日程として間近に迫っている。
考えても見れば保守合同以来、55年体制と言われた盤石の如くの保守政治(と、それを補完する野党勢力という政治地図)が、これほどまでに長期にわたって継続してきたことの方が信じがたい夢のような話しではないか。
未来永劫に続くかのように装われてきた自民党政治支配もいよいよその延命力も断たれ、終焉を訃げる時がやってきたというわけだ。
いや、無論今月30日の投開票日を迎えるまでは、こうした結論的な物言いは憚れることなどは承知の介であるが、今やほとんどの情勢分析は現在の自民党保守政治に最後通牒を突き付けているようでこれは動かしがたいものであるようだ。
与党の古参政治家さえもが、公示前であるにも関わらず「せめて良い負けっぷりを‥‥」などと吐露していると報じられているが、これでは終盤にもなればかつては余裕の哄笑で締め括っていた古老さえもが土下座での必死の訴えという映像が駆けめぐるようになるのかも知れない。
直近のいくつかの地方選挙、首長選挙において自民党候補は連戦連敗、民主党候補、反自民党候補が圧勝するまさかの状況。
あるいは各メディアによる世論調査が示す支持政党の勢力地図は、驚くほどの数値で自民党勢力の劣勢を示して余りある。
こうして今や来たる衆院選挙での関心は、民主党、および野党勢力側が、もはやどれだけの圧勝ぶりをもたらすか、つまり野党勢力での過半数を取る、あるいは民主党1党での過半数達成すら取りざたされるという状況であるようなのだね。

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09/08/11駿河湾地震を受けて

心地よい爆睡を大きな地震が破った。
右に左に、強烈に揺さぶられる。
普段は寝起きが悪い男だがこの時ばかりはパチッと覚醒し、事態を必至に確認しようと耳目、五感を研ぎ澄ます。
10数秒ほどの強い揺れが納まるのを待って跳び起き、周囲の状況を把握する。
書棚からの本の落下、棚からのバッグの落下が確認できるくらい。
TVの電源を入れれば、既に地震情報が流れている。
(これは予知情報として地震発生前に報ぜられ、間もなく本地震が来襲したとの報であった。無論それを理解したのは後刻)
隣接している工場に恐る恐る足を踏み入れるが、塗装途上で立てかけられていた家具パーツが散乱。
機械場では材木が倒れ、機械に覆い被さるという程度の被災。
報道される当地域一帯の震度5強、というには、軽微な被災状況と言えるかもしれない。
報道ではこの地震はかなり広域の国土を揺らしたようだが、幸いにして人身を含む大きな被害は無かったようだ。
家屋の屋根瓦の落下、店舗での商品の落下、など。
ただ東海ベルト地帯を結ぶ高速道路が寸断された。

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「私の椅子展 」ご案内

山の上1
「山の上ギャラリー」での「私の椅子展」がスタートしました。
会場周囲の鬱蒼とした茂みから聞こえる蝉時雨の主はヒグラシです。
もう暦は立秋なのですね。
ギャラリーの立地環境、その建築様式、設え、など、その空間は、木工家具の展示場としては、恐らくは最も望ましいスタイル、品質を誇るところではないかと思います。
これは会場のイメージだけでに留まらず、企画力、企画ポリシー、運営力等々、総合的な力量における評価と言って良いでしょう。
開催も夏休みの時期と重なりますので、ちょっとした避暑がてらにお出掛けいただけるのではないでしょうか。
実は今日も会場北側に大きく開かれた窓から望める木々には、枝から枝へと動き回るリスの姿を捉えることができましたが、ちょっと信じがたいほどの静謐さの中に佇む異空間といった感じです。
なお、この「山の上ギャラリー」は「九つ井」(ここのついど)という蕎麦屋の傘下での経営となりますが、ギャラリー施設は蕎麦屋本店にも近く、蕎麦っ喰いにはそちらでも楽しめるという環境にあります。
先日久々に堪能させていただきましたが、相変わらず良い蕎麦を打ってくれます。
今回の「私の椅子展 ?」の出展者は以下の7名です。
谷進一郎/藤井慎介/高橋三太郎/デニス・ヤング/井崎正治/般若芳行/杉山裕次郎
良質で優れた木工をされる著名な木工家揃いの中にあって、場を汚すように収まっている杉山ですが、数脚の新作を含め、展示させてもらっています。
どうぞお出掛けいただき、お気に入りの1脚を探してみてください。
山の上4なお、私は以下の予定で会場での立ち会いを行います。
08/22、09/19、09/23
08/22、は「Gallery Talk 作家を囲んで」という企画もあります。(事前予約が必要)
*画像
Top:会場内ひとこま(Dennisさんと杉山の椅子)
中:ギャラリー施設隣の畑で
下:会場全景
山の上2
【私の椅子展 ?】
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■ 会場:山の上ギャラリー
    横浜市戸塚区小雀町644-2
    phone 045-852-8855
■ 会期:8月8日(土)― 9月23日(祝・水)
    11:00〜17:00 祝日を除く月・火曜日休廊
山の上ギャラリー

夏の日射し

真夏の強い日射しがよしず越しに射す工房内は過酷な環境ではあるものの、これまでの連日の雨による湿潤な環境と較べれば、感謝したいほどのありがたさ。
“梅雨明け10日”(梅雨明け後10日間は安定した晴れの日が続くという伝え)とはいかないようで、明日からまた崩れるとの予報もあるが、この2日間の晴れは最後の追い込み状況にあるわが工房にあって恵みのお天気だった。
椅子の脚のホゾを指し、組み上げ、メチ払いをして、塗装する。
これらの他愛ない工程も、この気象条件あってのもの。
しかし‥‥‥、この夏の異常と形容せねば理解できない気象。
果たしてあの暑い夏はどこへいったのさ、と訝りたくなるのは、湿潤な大気がもたらす業務への影響を指してのことだけではない。
夏休みを迎えての子供達が海へ、川へ、山へと向かう勢いを削いでしまうことの気の毒さを考える。
昨今の子供達の日常は、詰め込み授業と、校門を出てからも塾通い、あるいはゲーム、ケータイなどバーチャルな世界に耽溺してしまうという状況であるらしい。
せめてこの夏休みぐらいは、ゲーム機、ケータイから離れ、日常の世界から抜け出し、謂わば本来の子ども世界を回復するための貴重な時間を与えてやる時季とつくづく思う。
クワガタ、カブトムシなどがデパートで売り買いされるという、いびつで仮想的な子ども世界から逃避し、明けやらぬ早朝、近くの里山へ向かい蝉の羽化を待ちかまえ、あるいは麦ワラ帽子を被り(そんなもの今はない?)、網を手に川へともぐり、うぐいを掴まえ、はたまた隣町の少年達と取っ組み合いの喧嘩をする。
ともかくも、自身の脚と目で自然と交歓しあい、あるいはまた肉体のぶつかり合いでの痛さ、悔しさ、嬉しさを存分に体験させられる機会が、こうしたスカッとした夏空で下ならではのもの。
ボクが手先の器用さというものが養われたとするならば、10歳前後の頃、「肥後の守」をポケットに忍ばせて、友と里山を駆けめぐったことに、その源を求めることができると思うし、また自然界の豊かさ、あるいは人間社会が自然界の一部として柔らかく包摂されていることの実感というものを無意識の中に、身体感覚として備わってきたのも、この夏休みというものから与えられたものだったと言えるだろう。
民主党の教育関連マニフェストがどうなっているか詳らかにしないが、夏休みだけはたっぷりと与えて欲しいですね。
基礎教育は普段の授業でびしっと学び、夏休みは日常から解放させてやるという、メリハリを付けた戦略でやってもらおう。
(夏休みは受験戦争の現在では塾通いで追いまくられているのが実態だって?、そんなしょうもないことを‥‥‥)
拓郎、体調が懸念されるようだが、「夏休み」はこの拓郎のものを嚆矢とする ? かな
では皆さま、最後になりましたが‥‥、
 暑中お見舞い申し上げます

夢と現(うつつ)の距離

日曜日なので、ということでもないが、ちょっと夢のある?話しでも。
いえ、今日の夢は「政権交代」などというような大層な夢などではなく(大言壮語ではなく、実現間近であることは必至ではありますが)、寝床での夢うつつ(うつつ ≒ 現)の効用について。
木工への道に進み、修行時代から、工房を構え、日々精進を重ねつつ、力量ををため込めつつあったころ、床に着けば、まだ身体が木工職人のそれとして鍛えられていない段階の症状、腕のしびれが寝付くのを阻害し、あるいは過度な疲労で暁を覚えないという頃のことだが、床に着くという状況は、実は単に休息を摂り、翌日へ向けての心身の再生を図るということ留まらない、有用な意味があった。
翌日の加工プロセスを夢うつつにシュミレーションするのが意識外での日課だったのだ。
無論、仕事を終え、食事を摂り、デスクを前にし翌日の業務プロセスを構想することは日課であった。
しかしここでの夢うつつでのシュミレーションというのは、これとは異なり、まさに日常から放たれ、床に着くという特殊な状況下での話しだ。
さして意識している積もりではないのだが、しかし脳髄のある部位では翌日の加工プロセスであったり、懸案の事柄の解を求めて実はフル稼働しているというのが実態であるようなのだった。
つまり、デスクを前にして最善の手法を編み出している積もりであったが、実は夢うつつの状況下にある特異な環境での思考の方がより良質で、クールな手法を編み出すということが少なくない数で体験するということがあった。
これは一体何を意味するのか。
覚醒時にあるボクの脳髄の働きは凡庸で、レム睡眠のような状況下の方が、より高度な分析力、洞察力を産み出す力を発揮しうる、というこの現実は、どのように理解すればよいのだろうか。
なぜこんなことを思い出したのかと言えば、最近もそうしたことが比較的頻繁に起きるから。
つまり日常のありふれた事象の1つとなっていることについて、あらためてその本質を考えているということだ。
若い頃、フロイトについて学習したこともあったが、こうした有用な夢と現の間というものを、少しまじめにあらためて考えてみようかと思う。
この腐朽する日本で「政権交代」というものが指呼の間にたぐり寄せられているという、ちょっと昔では夢のような話しさえ現実味を帯びてきたことを考えれば、意外と夢と現実というものは、実は交錯しながら現れてくるものなのだろうか。
いや、この社会事象というものは、やはり「ミネルバのフクロウ」の格言のように、機が熟さねば現実化はしないというのが、真理であろう。
一方業務において、より高度な解を編み出すことを夢うつつの状況下に求めようと考えるならば、それはやはり、どれだけ対象に肉薄しているのか、ということに尽きるというのが、凡庸な頭脳のボクの理解ということになるだろうね。