工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

飾り棚と、現代住宅事情

飾り棚
ある美術骨董コレクターの顧客から木工品を観察させていただいたことがある。
写真のものがそれなのだが、所謂「飾り棚」あるいは「書棚」と称されるものだ。
ボクはこうしたものを拝観するすることは嫌いではない。
その顧客からはこれがどのような時代のもので、名のある木工家によるものなのかを鑑定して貰いたいということであった。
残念ながらボクはそれほどの鑑識眼を持ち合わせているのではなかったので、とりあえず写真だけ撮らせて頂き、あらためて然るべき人に尋ねてみようということでその場を凌いだのだった。
しかし明らかに骨董としては上物。材種は桑。造りも柱建ての飾り棚、麻の葉文様の透かし彫りが入った開き扉。天、中、地のバランスの良さ。
どう見てもそこらの木工職人の手になるものではなく、手練の指物師によるものであることだけは明らかだった。
ディテール以前にこの品が訴える品格の力というものが、圧倒してくるのだった。


数年前に遠山記念館の木工コレクションが公開されるということを聞きつけ真夏の暑い盛りだったが、一人で出かけていったことがある。
ここにはさまざまな美術品が所蔵されている屈指の個人美術館なのだが、木工品としては、近代木工芸の粋ともいうべき名品が揃っている。
多くは「前田南斉」氏による江戸指物なのだが、保存状態も良く、往時の若き日本の新興ブルジョアジー達に愛玩された宝物同然の品々にただただため息だけがでるばかりで、たいへん感銘を受けて帰路に就いたことが今でも鮮明だ。
また東京国立近代美術館の主催で全国を巡回した「木工芸 ー明治から現代まで」での作品の数々もとても良い企画だったので堪能させて頂いたのだったが、木工という工芸の美的価値をあらためて思い知らされ、個人的には当時はまだ修行中ということもあり、おおいに木工職人という生き方に熱き血潮をたぎらせもしたものだった。
その後幾たびか、ボクもこうした「飾り棚」にチャレンジしてきたのだったが、決して同様なフォルム、機能のようなものではなかった。
それは換骨奪胎というか、自分が有する木工技法を最大限投入しつつも(飾り棚というカテゴリーは、あらかじめそうした指物師の腕の見せ場でもあったということは本当のことだ)、如何にモダンに、シンプルに美しく、という意志を投下したものであった。
何故ならば写真のような飾り棚は、果たして現在の住環境にそれにふさわしい置かれ方が可能なのだろうか、という設問は決して不当なものではないだろうと考えたからだ。
如何にその工芸品がすばらしいものではあっても、現代という時代状況の中にあってそれにふさわしい調度品を追求するのではなく、3/4世紀も前のまさに骨董というカテゴリーに属するようなものを新たにコピーしたとて何ほどの価値が生ずるというのか。
残念ながら現代の住環境にはそれにふさわしい調度品を求められているので、如何に優れた木工品であっても、これらのコピーは習作として研究することの価値はあっても、決して新しい作品として提示できるものではない。
現代の木工家はその時代にふさわしい、あるいはまたこれからの時代を展望するようなものを生み出さねばならないという使命を帯びているのだ。
下の写真は数年前に制作した飾り棚だが、今後も制作できる環境(顧客の確保、材料の確保、技法の修練)を整え、より良い作品を造ってみたいと思う。
ただ、時代状況というものは思うほどこうしたものが求められるような方向には向かっていないのでという危惧が、残念ながら当たってきているのではと思わされる昨今の混迷状況ではある。
飾り棚

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