工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

ART = 技法 とは

高橋悠治
3/23の「ゴールドベルク変奏曲」の記事エントリーにあたって、「水牛」サイトに紹介されている高橋悠治さんの顔イラストを頂き、このブログに貼り付けることを承諾いただけるかという確認のメールをサイト管理者にしていたのでしたが、何と本日、高橋さんご本人から直接快諾のメールを頂きました。(あらためて感謝いたします)
さっそくコピペさせていただきました。
お若い頃もダンディー(気取りのない)でしたが、今も颯爽としていて素敵な男性です。イラストは特徴を良く捉えていて似てますね。フフッ。
ご本人からの返信メールで、いささかあわてふためきました。確かに高橋さんはこの世界では巨匠と言っても間違いないと思います。しかし音楽を通した真理の探求者ではあっても、何か祭り上げられるようなことは決して望まないでしょうし、ボクのようなファンの端っこに位置する者にさえも相応の関係を取り結んでくれるということは、やはり彼らしい接遇のあり方なのだと、勝手に解釈しているのです。


ジャケット写真は「J.S.バッハ フーガの技法 ー 自筆譜による初期稿」です。
(これはコンサートの時に求めたものです)
英語表記では「The Art of Fugue」ですが、このARTは技法と訳すんですね。
もともと、ラテン語でARTといえば、「職人的技術」という意味を有していたことは記憶しておきたいところです。(参照

ボクたちの職人仕事でも、そこで用いられる技法は単なるテクニックとしてのそれではなく、ARTという語彙が持つ高次元の芸術的要素を胚胎したものとして積極的に位置づけていかねばいけないようです。
【ものづくり】というものは、それぞれの素材を通して、如何に作り手の素養、教養(狭い意味でのそれではなく)、世界観を表していくのか、ということであろうと考えます。
ひとつの技法も、ある作品(ART)を構成させるための必須の要件としての意味性を持つということであろうと思います。
職人としても、そこで投下される技法はその人固有の意志の反映であって、必ずしも表面の目立つような造形ではなくとも、一つの木工の仕口において高い精度を追求するという実直な技法も、実はその職人の美意識に裏付けられた感性と意志の反映であると考えたいと思うのです。
   ART = 技法    ウム、安易には使えないけど含蓄あります。
次の(音楽)カテゴリーへのエントリーは、あるピアニストから叱られたこと、について書いてみたいと思います。
今夜はブログへのアクセス少ないでしょうね。サッカー、対イラン戦です。勝っていただきましょう。
明日は「望月」(満月)です。昨夕からの荒れた天候でしたが、今は月を冴え冴えと見せてくれています。

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