工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

現代短歌への接近

馬場あき子
先に上げた「人生はまだこれから」に掲載した馬場あき子の短歌に関わり「江戸の風に吹かれて」さんから幾たびものコメントを頂いている。
ありがとうございます。
コメント欄でこれに返すのもその制約上無理が多く、あらためて現代短歌について少しこの欄で考えてみたい。
コメントにも記したようにボクは残念だが短歌は詠まない。(詠めない)
でも好んで短歌集を開くことがある。
その対象は、物故者のものも含め戦後に活躍した歌人および現在活躍している歌人、つまり現代短歌が中心。
さらに言えば青年期、この世界に最初に興味を持たされたのが寺山修司のそれであったように、前衛歌人と言われる人のものが中心となっている。
例えば

海底に夜ごとしづかに溶けゐつつあらむ。航空母艦も火夫も

塚本邦雄(『水葬物語』1951)

歌のほかの何を遂げたる 割くまでは一塊のかなしみの柘榴

塚本邦雄(『豹変』1984)

日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係も

塚本邦雄(『日本人霊歌』1958)

木地師らのかよひし木の間木隠れの嘘かがよひて秋の水湧く

前 登志夫(『霊異記』1972)

サキサキとセロリ噛みいてあどけなき汝を愛する理由はいらず

君は信じるぎんぎんぎらぎら人間の原点はかがやくという嘘を

俺を去らばやがてゆくべしぬばたまの黒髪いたくかわく夜更けに

以上、佐々木幸綱

そら豆の殻一せいに鳴る夕母につながるわれのソネット

煙草くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし

ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

寺山修司(『空には本』1958)

大工町寺町米町仏町老母買ふ町あらずやつばめよ

村境の春や錆びたる捨て車輪ふるさとまとめて花いちもんめ

寺山修司(『田園に死す』1965)

人生はただ一問の質問にすぎぬと書けば二月のかもめ

寺山修司(『テーブルの上の荒野』1971)


塚本邦雄を嚆矢とする前衛歌人の流れはその作風を異にするものの、戦前のそれまでの短歌形式の前近代性、日本的叙情への強い批評性を共有しながら(背景には大政翼賛への強い批判)新たな表現手法と様式、あるいは反様式を試みていったように思うが、その後の寺山に見られる独特の比喩表現と飛躍は多くの歌人に影響を与えてきた。
さらにはこれに続く若い歌人、高野公彦、あるいは道浦母都子へと連なっていることにも示されるように、現代短歌の前衛性は失われてはいないと思う。
先に取り上げた馬場あき子もまた岸上大作などとともに戦後日本の激動期に社会と切り結び、その中で反写実と社会性、性的テーマなどの葛藤を詠み込むことで彼らに繋がる前衛歌人と位置づけられるだろう。
取り上げた歌に見られるように、それまでの日本の短歌の叙情性をぶち破ってきた1950年代〜60年代の前衛歌人とは一線を画し、良質な歌で独自の道を歩んでいたのがコメント氏が選んだ上田三四二だったのだろうと思う。

このいまの病めるうつつを夢なりと覚めてよろこぶを命終とせん

上田三四二(『鎮守』没後発表)

これなどは先のコメント投稿に繋がる歌人の終末における覚悟を詠んだものとして秀逸だろう。
それとこれは短歌とは直接関係ないことだが、サブカルとしての日本の昨今のポップスの歌詞を見ていると、とても叙情的に強く傾斜していっているのが鼻につく。
時節柄もあるのは理解できるとしても、典型が「桜」を詠んだ歌の多さ。
このジャンルは詳しくないのでいちいち取り上げはしないが、ラジオから聞こえてくる若いポップス歌手の歌に桜が歌われないのを探すのが困難なほど。
これは前衛歌人が内省的であったり、反写実であったり、社会的視点を重視したテーマに自覚的であったことと真逆の方向。
メタファも比喩もへったくれもあったものではない。(日本語表現の退化?進化?)
そもそもポップスというサブカルに、現代短歌を対置させること自体大きな間違いであることぐらい判っている。
しかしやはりポップスだからこそその時代性をもろに反映するものであり、その波及力を考えたときに、半歩でも良いから前を向いて表現されねばさほどの価値を見出すことにはならないだろう。
情緒的、写実的なものが決して良くないというのではないが、自身を中心とした半径3mほどの事象にしか興味がいかず、体感的にざらつくような世界は徹底して排除する傾向の強い、現代の若者の世界観におもねているように感じられてならない。
その分とてもイージーな作りで、そうしたものは世界的な拡がりであったり、他者への想像力を断絶するという傾向から免れないのではないだろうか。
いやむしろ、精神の解放と、自由な表現の獲得、あるいは多様な価値観の共有といった、現代人にとって欠かせない思考スタイルを考えたとき、こうした傾向はこれを阻害し、萎縮させ効果をさえ持つことにもなりかねないのではないか。
自己の内面を掘り下げるという作業というものは、物事を単に情緒的に沈殿させていくものではなく、外への交通を求める発条(バネ)を鍛えるものでありたいと思う。
そうした社会を取り巻く空気にとても危うさを感じる者として、あえてここでも内省を迫るようなものを取り上げたりする。
ちょっと脇道に入ってしまったが話しを戻そう。
さてご存じの通り短歌の世界では俵 万智が『サラダ記念日』をひっさげて登場したあたりから、大きく変容してきていることが確認できる。
全くそれまでの短歌の流れとは切り離したところからやってきたかのように。
まさに時代の空気感を詠んだものとして時代を象徴するものなのかもしれない。
しかし短歌は万葉集の時代から蕩々とした歴史の流れの中で、その時代に規定され、あるいは時代を象徴しつつ巧みに詠まれてきたものであり、こうした新しいメインストリームの周囲にはまだまだ伏流の如くに様々な形式、様式の歌も詠まれ続けていることも間違いなく、断絶するというようなことは無いと信ずる。
このような現代短歌の流れの中で、ボクが取り上げるものにも確かに一定の選択基準があることは否定しない。
したがってこれにコメント氏が批評するのは、記述内容をより鮮明にすることにもなり、あるいは読者の意識も喚起されることで良いことだろう。
ただ悲しいかな、ボクの水準ではなかなか当を得た適切な批評が及ばないことである。
しかし、元の記事を上げるのは本人であり、その責任の範囲において逃げるわけにはいかないだろう。
ただ、このBlogは木工家具制作というカテゴリーのものであり、読者としてはいささか戸惑い、困惑することになることも必定。
やや長くなってしまったので、その辺りについては次回に回す。
最後にあらためてこうした世界へと誘って(いざなって)くれたコメント氏に感謝を申し述べておきたい。(こちらへのコメントはお手柔らかに:苦笑)
Top画像のものは馬場あき子『晩花』1985より。

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