工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

私の椅子+α展

九つ井
昨日29日は横浜「九つ井」の「山の上ギャラリー」での「私の椅子+α展」の展示会場で「お話し会」なるものがあって出品者の一人として前田純一さんとともに参加させていただいた。
ギャラリートークなどという経験はほとんど皆無に近く、困惑するばかりだった。
しかも前日の他の出品者2名による同じ「お話し会」では出席者5名ほどであったのに、昨日は何と30名を越える出席者であったために広い展示場ではあったが、ここをはみ出すほどの人員と熱気でスタッフ共々あわてふためいた。
まぁ、ほとんどが若い頃この近くに在住していた前田さんの知人が主体であったろうと思われる。
話の内容は、8名、40脚ほどの出品作品の解説、木工家が椅子というモノを作るという意味、椅子が今の住環境にとって、人間生活にとって如何に重要な道具なのかといったことなどをお話しさせていただいた。
老若男女、様々な方々が対象であったので、あまり専門的なものにせずに、しかしまた椅子について、あるいはモノ作りについての本質に迫るようなものにしたいという企みはあったのだが、どの程度浸透できたのかははなはだ自信があるわけではない。
大きな破綻も無く参加者に喜んでもらえたようであったことはうれしいことであるが、これも重要なところでしっかりと締めてくれた前田純一さんの力によるものであることは確かなので感謝しなければならない。


展示場またある若い参加者からボク達2人の木工家への質問に「このような木工作品は私たちサラリーマンが買い入れることは大きな覚悟があることだが、あなたがたはこれらの作品にどのようなメッセージを込めて作っているのか知りたい…」という実に本質的で手厳しい指摘を受けた。
2人がそれぞれモノ造りとその価値、そして現在の私たちが置かれている地球環境と、社会情勢のなかでのモノ造りのもつ意味について語らせてもらったのだったが、こうした質疑応答が「お話し会」をヨリ本質的な内容へと盛り上げてくれ大いに意味のあるものであったように思う。この質問者にあらためて感謝したいと思う。
またこのような企画をしていただいたギャラリー、企画者に感謝申し上げたい。
量産品で安い価格帯の椅子に日常的に触れながら人生を送ることと、購入するときは少々高くても、モノヅクリの本質を極めようと精進している木工家が制作した上質の椅子で豊かな人生を送ることの価値の違いとは…。
価値基準の置き方は人それぞれであろうが、精神性の豊かさも美しく本質的なモノに触れあうところから育まれるということが事実であることは誰しもその経験と識見から自明であろう。
工芸品を奢侈品として位置づける見方もあろうけれど、ボクは決してそのようなモノ造りをしているのではなく、美しく本質的なものへの本能的な欲求の赴くところへと素直に立ちたいと考えているだけだ。
この前夜には企画店「九つ井」の本店 離れ にて出品者の交流会がもたれた。事情で参加できない2人を除き、6名の参加であったが、初めてお会いする若い作家の々も多く、それぞれのプロフィール、考えたかたの一端を知ることができ、また楽しく交流できたことはありがたかった。
この展示会は9/11まで開催中なので、ぜひ立ち寄っていただきたい。
また「九つ井」の蕎麦は良いです。他にも吟味された素材を生かした様々な和食があるので、こちらでもぜひ舌を喜ばせてあげてもらいたい。
■ 写真top:「九つ井」本店正面入り口
 写真下:会場スナップ
 (このBlogの写真は以前はサムネール写真の制約があったが、現在はこれもなくなり画像をクリックすると大きなサイズで別ページが開くのもあるので、試みて欲しい)

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  • >美しく本質的なものへの本能的な欲求の赴くところへと素直に立ちたいと考えているだけだ。
    本当にそうですね〜とうなずいてしまうおお応えでした。
    セミナーにいらした方はまたartisanファンが増えたのではありませんか?

  • aiさん コメント感謝です。
    他の出品者がなかなか蒼々たる人々の中で末席を汚している感が強く、せめて志の高さだけは負けまいと粋がっているだけかな?

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