工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

『そっと 静かに』(韓江 著)のプレイリストから

2024年ノーベル文学賞・韓江(Han Kang、ハン・ガン)さん、ストックホルム、コンサートホールでの 授賞式、日本時間、12月10日深夜に及ぶ Live中継でしたが視聴した方もおられたかもしれない。(こちらから)

また同日夜の記念晩餐会での短いスピーチでは、
「文学を読んだり書いたりする仕事は、生命を破壊するすべての行為に反対するものです。
文学のためのこの賞の意味を、暴力に反対する皆さんと共有したいと思います。
ありがとうございます。」と締め括っていたが、
スペシャルディナーへのフォークの手を休め、神妙に聴き入っていた晩餐会 列席者の姿が印象的だった。

後段、引用

・・・

Ever since I was a child, I have wanted to know. The reason we are born. The reason suffering and love exist. These questions have been asked by literature for thousands of years, and continue to be asked today. What is the meaning of our brief stay in this world? How difficult is it for us to remain human, come what may? In the darkest night, there is language that asks what we are made of, that insists on imagining into the first person perspectives of the people and living beings that inhabit this planet; language that connects us to one another. Literature that deals in this language inevitably holds a kind of body heat. Just as inevitably, the work of reading and writing literature stands in opposition to all acts that destroy life. I would like to share the meaning of this award, which is for literature, with you – standing here in opposition to violence together. Thank you.


韓国「非常戒厳」と重なった、ノーベルウィーク

韓江氏の記念講演を含めた複数の席上でのスピーチは、ノーベルウィークを迎えようとしていたその矢先の12月3日夜、尹錫悦大統領による「非常戒厳」が発せられ、動乱の中にあるソウルの混乱をまさに時代背景とした中での発言として意識せざるを得ないものだったはず。
ただこれも、この度のノーベル文学賞の受賞理由でもある、彼女の小説世界におけるテーマとかけ離れたものではなく、それどころか、この結語の段落は、彼女の小説世界を貫くテーマそのものであることに気づくのは決して難しいことではない。

ノーベル文学賞受賞が報じられた際、韓江氏は「世の中では戦争が激しく、毎日遺体が運ばれていくのに、何の宴会をして楽しく記者会見をするのか」と、記者会見の求めを断って以降、
初めてとなる公式会見が授賞式本番 数日前の12月6日、ストックホルム、ノーベル博物館で開かれ、ここでは次のように語っている

… あの夜、武装車両を止めようとした人がいた。市民の勇気ある行動を目撃した。

… 2024年に再び戒厳という状況が繰り広げられたことに大きなショックを受けた。
今も状況が急速に変わりつつあるので、ずっとニュースを見ている。


(1979年の状況と)2024年冬の状況が異なるのは、あらゆる状況が生中継され、あらゆる人々がそれを見守ることができたという点だ。
私もその様子を見守っていたが、丸腰で装甲車の前に立ちはだかって止めようとした方々もいたし、素手で武装した軍人たちを抱き抱えて制止しようとする方々もいた。銃を持って近づいてくる軍人たちの前で踏ん張っている人々も見た。


最後に軍人たちが撤収していった時は、まるで息子たちを見送るように別れの言葉を叫ぶ姿も見た。あの場にいた方々の真心と勇気が感じられた瞬間だった。


若い警察官や軍人たちの態度も印象深かった。恐らく多くの方々が感じたと思うが、予期せぬ状況で何かを判断しようとし、内的な衝突を感じつつ、できる限り消極的に動いているという印象を受けた。
そのような(非常戒厳)命令を下した人々の立場からすれば消極的に見えただろうが、普遍的な価値の観点からすれば考え、判断し、苦痛を感じながらも解決策を見いだそうとした積極的な行為だったと思う。
願わくは、武力や弾圧で言路(上の人物に意見を述べる方法・手段)を阻むというやり方で統制する過去の状況に逆戻りしないよう、切に願っている。


文学の役割については、

… 文学というのは、絶え間なく他人の内面に入り込み、またその過程で自身の内面を深く掘り下げていく行為なので、そうした行為を繰り返しながら内的な力が生まれることになる。
そうして突発的な状況に見舞われた時、自ら考え、判断し、最善を尽くし決定を下すために努力する力が生まれる。文学は常に、私たちにとって余分なものではなく、絶対に必要なものだと思う。

言葉には、強圧的に阻もうとしても、そうはならない属性があると考える。だからこそ、どんなことがあったとしても語り継がれる真実があるのだろう。
そして、そういう言葉の力が変わることはないだろう

引用・翻訳は「朝鮮日報」など参照

ソウルの大統領公邸に潜む尹大統領、この韓江氏のメッセージと、記者からの求めに応えた内容をどのように読み取ったかは知りたいところだが、国会では与党からの賛同者を含め弾劾決議が可決されるという混乱のただ中にある事から、尹大統領からの関連する言葉は伝えられてはいない。

『そっと 静かに』

そっと 静かに

さて、『そっと 静かに』だが、小説を「書きたいのに、書かねばならないのに、書けなかった」時期に書かれたエッセーとされる。

歌は翼を広げて、私たちの生の上へと滑り出す。歌がなくて、その翼で生の上へと滑空する瞬間すらもなかったら、私たちの苦しみはどれほど重さを増すだろうか
と、彼女の創作を支えてきた音楽との出遭い、思い出に纏わる歌(主に韓国と、各国の唱歌、フォークソング、ポップスなど)を披瀝しつつ、後半にはご自身の幾編もの詩をそこに置くという構成のエッセー集だ。

おまけに、巻末には韓江氏の公式サイトに収められた彼女自身による唄へのアクセスを案内するQRコードが貼り付けられている。

これらは彼女自身の心性の在り様、創作のソース、心の情景を読み取る素材として格好の書とも言える。

私は恥ずかしながら韓国のポップスはほとんど聴いてこなかったものの、ここには一部洋楽も混在し、彼女とはほぼ一世代ほどの年齢差がありながらも(父親の韓勝源氏は私より10歳年長)、そのいくつもに私が好む音楽世界と共通するところがあり、これには驚かされた。

以下、その辺りを中心に少し紹介してみたい。

Let it Be、トレイシー・チャップマン、ジェフ・バックリィ

ビートルズの代表曲の1つ、Let it Be(ビートルズ解散後に公開された同名アルバム所収) は言うまでも無いが、トレーシー・チャップマン(17年前のBlog記事「トレイシー・チャップマン New Beginning」)、あるいはジェフ・バックリィ(Hallelujah)などがリストにあれば、Leonard Cohen ファンの一人としてもついほくそ笑むことにもなろうというもの。

Tracy Chapman – New Beginning

Jeff Buckley – Hallelujah

Cesaria Evora(セザリア・エヴォラ)

他にもいくつかの気付きもあった。
その1つが、Cesaria Evora(セザリア・エヴォラ)

『そっと 静かに』P116

「悲しみや苦しみの中にはありのままに話そうとすると、その人の体を粉々に打ち砕いてしまうものがある。だからといって胸の中に抑え込んでおくといつまでもひ引きずるから、方法は一つだ。リズムに合わせ歌うこと。

セザリア・エヴォラの歌を聴いていると、そんな気になる………、」(『そっと 静かに』P116)

この西アフリカ島嶼育ちののセザリア・エヴォラ という女性、

私には未知の歌手だが、YouTubeからアクセスし聴けば、その唄世界は普段から Putumayo レーベル(モダン ラテンのレーベル)を好んで聴いている私の感性にフィットしないはずがない。

西アフリカ、セネガルのはるか沖にある、島嶼・カーボベルデに生まれ、小さな頃から盛り場で唄い、糊口を凌ぐ貧しい生活を送っていたものの、これがパリで認められ一躍世界各地をツアーするほどの人気歌手になったとか。

この島はポルトガルの植民地であったことからなのか、ファドの唄世界にも似て、セザリアの唄はラテン音楽との親和性がとても高いように思えた。
アフリカ音楽と言っても多様なのは当然だが、私にはセネガル、マリの音楽がイメージされる。
スーパースター、ユッスー・ンドールがそうであるように、

ただ、ユッスーの唄世界の土着的アフリカの臭いというものはセザリアの唄からは影を潜め、むしろポルトガルの影響の強さを感じるほどだ。

セザリアがステージに立つ際は、常に裸足。
ここに、パリや、ニューヨークで活躍する日常とは言え、出自を忘れることを拒む彼女の姿勢を感じ取ることができよう。

韓江氏は「悲しみや苦しみ(を乗り越える)方法は一つだ。リズムに合わせ歌うこと」として、自身が習ったという「農楽」が身に付いた身体感覚からも、セザリアの唄世界と共通する身体の愉楽を讃えているようだ。

Cesaria Evora  Live in Paris

メルセデズ・ソーサ『Gracias a la Vida』

嬉しいことに、メルセデズ・ソーサの『Gracias a la Vida』(人生よ ありがとう)が取り上げられ、韓江氏自身の詩と対比させるような構成で歌詞全訳が掲載されている。

二つの詩は自身が置かれた状況を省み、外界との様々な接点、関係性から生かされてることを自覚することで、自身の人生に与えてくれた全てのことに感謝を捧げるといったものだ(すばらしい人生観だろうと私も思う)。

Mercedes Sosa  Gracias a La Vida

『そっと 静かに』P81

この曲を知ったのは世界的フォークブームで湧いた70年代、ジョーン・バエズによるカヴァー演奏からだったと記憶しているが、メルセデズ・ソーサによる演奏の方はかなり後のこと。

彼女の『Gracias a la Vida』がラヂヲから流れ、懐かしさも手伝ったものと思うが、その歌世界を好感し、すぐにCDショップに走ったものだ(当時はインターネットなど無かったからね)。

情感豊かにラテンアメリカの広い範囲の詩の世界をそこに再現させ、聴者に優しく、強く、深く、届ける。

ピアニッシモからフォルテまで、声質はダイナミックミックレンジ豊かに、伸びやかに響かせ、一分の破綻もなく、見事に歌い上げる傑出したdivaだ。

この『Gracias a la Vida』(人生よ ありがとう)は隣国チリのビオレータ・パラというフォルクローレの音楽家による楽曲。


チリも、メルセデズ・ソーサを生んだアルゼンチンも、長きにわたる軍事政権下に苦悶する人々の日常から、あるいは政権への異議申し立て行動の中でも唱和されたと言われる歌、『Gracias a la Vida』だが、それほどに人々を奮い立たせ、あるいは悲しみに暮れる人々にそっと寄り添う、強いエナジーを持つ曲だろうと思う。

「月の光を感じる時間、愛する時間は多くないのかも知れない。
この歌のように、人生に告白する時間はそう多くないのかもしれない。ほんとは人生よ、あなたにありがとうと。こんなにたくさんのものをくれて。」(P88、韓江氏の述懐)

その後、YouTubeの時代となり、ジョーン・バエズとのセッションなどを含め、広く、深くアクセスすれば、ラテン界を越え、世界的に著名な歌姫として強く印象を残してきただけに、この書で韓江さんの関心領域に重なることを知り,軽い驚きとともにあらためて聴き直している。

ジョーン・バエズとのLive セッション

このデュオはどちらがメインと言うことでも無いのだろうが、メルセデス・ソーサは普段見せないこぼれるほどの笑顔が印象的で、ジョーン・バエズはその姿に微笑み、とても楽しいセッションで、観客にもそれが伝わるのか大いに盛り上がっている様子がありあり。

こうしたセッションであっても、メルセデスの歌には一片の揺らぎも無く、デュエットであることで、より歌声の響きは強く、華やかに高まっていく。

「ライブの熱のこもった躍動感が、すべての生を心から祝福する祝祭のようだった」と語るのは韓江だ。

もちろん、この曲は世界的に大ヒットした曲だが、
メルセデズ・ソーサには、もう1つ、ぜひ触れておきたい名曲、『Alfonsina y el mar』という曲があり、これを紹介しておきたい。

メルセデス・ソーサ 『Alfonsina y el mar』

題名のAlfonsinaとは、入水自殺で人生を終えたアルゼンチンの詩人で、この曲はいわば彼女へのオマージュ。
ラテン界を越え、この曲は3桁に近い歌手にカヴァーされてきた曲だが、世界にこの曲を知らしめた嚆矢は何と言っても メルセデズ・ソーサその人と言って間違い無いだろう。

Wiki によれば、カヴァーしている歌手は100人近くリストされている(こちら

Mercedes Sosa –  Alfonsina y el mar en directo

まぁ、私自身も音楽世界では、クラシック、Jazz、ロック、ラテンと、様々な名曲に心を揺さぶられてきた者の一人として、それらを作曲、作詞し、そして歌う彼らに感謝するのはもちろんのこと、
そうした音楽世界の素晴らしさを感受するだけの、聴覚、感性を与えてくれたことに対しては、もはや神に感謝するしか無いように思う。

こうしたいわば人間社会の営為の中にあって、欠かすことなどできない音楽。
この音楽を創作し、これを仲間と共有し、事あるごとに演奏して楽しみ、
ついには国境を越え、世界へと「歌は翼を広げて」飛翔を始めていく、

私たちはこれをキャッチし、地球の反対側の人々が何を想い、何を語っているのか、
なぁんだ、彼らの苦悩、あるいは歓びも、オレたちとさほど変わることは無いじゃ無いか、などと心温かくなるかもしれない。

いやいや、オレたちが安穏と暮らしてる時にも、彼らは圧政に押しつぶされる思いの中から新たな歌を創りだし、やがてはそれは世界的に共感を得て「歌は翼を広げ」多くの人々に歌い継がれていく。
それは彼らと同時代を生きることの歓びかもしれないし、あるいは大国の一員としての責任かもしれないが、そうした気付きを与えてくれるものとして、ありがたく感受することもできよう。

そうした感受性が無ければ、実に人間社会は無味乾燥で、「私たちの苦しみはどれほど重さを増」していくのだろうかと考えてしまう。(カギカッコ部分は韓江さんの言葉から)


インターネット世界がもたらす弊害は、今では人の命さえ危うくさせるほどのものがあることは自覚せねばいけないが、音楽サービスのサブスクは、私のような受動的な音楽愛好者としては多くの恩恵を被っていると言えるだろう。
アルゴリズムも同様で、未知のアルバムへと誘うシステムは怠惰な音楽愛好家にはありがたく、自身の愛するジャンルをより深く掘り進めることもでき、アルゴリズムから抽出される新たな曲に耳を奪われることも多い。

・・・・・・
『そっと 静かに』から少し遠くに来てしまったので元に戻そうと思うが…、

韓江さんの人生の中での音楽との出遭い、思い出に纏わる歌の数々、これらから心象風景を著してくれたこのエッセー集に置かれたいくつかの断章。
これらの様々な音楽世界への深い思いに触れれば、ワールドミュージックの普遍的な名曲は、優れて人生に寄り添ってもらえるものであることをあらためて教えられることになる。
韓江さんのこのいわばプレイリストは、この書の第2章にあたる。

第3章 そっと 静かに

第3章は書名にもなっている「そっと 静かに」ということで、彼女自身の14編ほどの詩と、自身による解読が添えられ、静寂な心性…、心躍る歓喜…、その時々の思いが、決して技巧的では無く、素直に綴られる詩が置かれている。

例えばこうだ(第3章、冒頭部分)

十二月の物語

涙も凍り付く
あなたの頬に薄氷が

私の手で溶かして温めてあげる
私の手で溶かして川の水にしてあげる

涙も凍りつく
十二月の愛の歌

第4章 追伸

最後に、もう1つ取り上げたい。

終章『追伸』として所収されているのが、Mahmoud Shukair、というパレスチナの作家(詩人)との交流。

この本では最後の章として置かれる『追伸』だが、原書では「まえがき」に相当する部分だったようだ。

日々、すさまじいジェノサイドが繰り広げられるガザの状況からすれば、やはり「まえがき」に持ってきた方が良いような内容だ。

Mahmoud Shukair、日本ではまだ紹介の無い短編作家。
アラブからのブッカー賞にノミネートされるほどの評価を受けている作家のようで、日本ではなぜか翻訳出版されてはいない。

一方、中国、韓国では以前より翻訳されているようで、韓江(ハン・ガン)さんも、そうした翻訳から接近していたのか、このエッセーの中では、アイオワ大学でのワークショップ(1998年)などで知遇を得た経緯が綴られており、
その後、薬草を送ってもらったりと、親しい関係へと発展したようで、彼が住むエルサレムの現状への強い憂い、不安がない交ぜになった懸念が「夢」を通して語られる。
昨年のイスラエルによるガザ侵攻による凄惨な現状に、より心を痛めているのは疑いないところ。

韓江氏が受賞の報を受けた直後、メディア対応など記者会見を望まれたものの、これを断ったことが話題になっていたが、
これは他でも無く、ウクライナの現状、そして、友である、エルサレムに住む Mahmoud Shukair氏が苦悩しているであろうガザでの凄惨な現状を憂い、心落ち着かず、会見の気分にはなれなかったということも考えられる。

父親で作家の韓勝源を介して伝わってきたコメントは以下の通り。
「世の中では戦争が激しく、毎日遺体が運ばれていくのに、何の宴会をして楽しく記者会見をするのか」(朝日 10月11日)(News Week

それほどに彼女の精神は感受性が鋭く繊細な神経を持つがゆえ、歓びを爆発させる振る舞いは困難だっただろう事は想像に難くない。


世界から注目され、華やかなノーベルウィークは終わり、ソウルへと帰路に就いた韓江。
待っているのは、〈非常戒厳〉をめぐる、政治の季節。
厳しく冷え込むソウルの街に帰着し、ノーベル文学賞を授かった韓江さんは今、何を想う。

彼女の著書『少年が来る』に著された、あの光州事件の再現であるかのような、尹錫悦大統領による「非常戒厳」も、長く厳しい韓国民主化運動の中で鍛えられてきた韓国市民により見事なまでに抑えつけられ、遂にはわずか数時間で撤回され、尹大統領は大統領弾劾に付されている。

ノーベルウィークでの最後の公式行事「ノーベル文学賞受賞者朗読の夜」に招待された席で韓江さんはこのソウルで展開されている事案にはオプティミスティックな感じで応えているのが印象的だ。

「今回のことで、市民が見せてくれた真心と勇気にとても感動した。だから、今の状況について、最悪だとは思わない」と。

『少年が来る』で描かれた光州事件から、悲しみを乗り越え、多くの事を学び、そして軍事政権を市民の力で打ち倒し、民主化を勝ち取ってきた強さがあることを韓江さんは深く自覚し、事実、ソウルでの「非常戒厳」撤回と、大統領弾劾の運動はそれを立証しつつあることに強い誇りと自負を持つがゆえの、余裕のコメントとも言えるのかも知れない。

そして「デモ現場から少し離れたところで、私の本を読んでいる方々の写真を見た。胸が熱くなった」とも語っている。(以上、東亜日報より)

東亜日報 2024.12.14

現在進行形のこの韓国の新たな民主化運動の中、韓江氏はノーベル文学賞受賞に浮かれること無く、この現実を韓国の人々とともに一身に受け止め、また新たな創作へと自らを奮い立たせ、歩んでいくことだろう。

さて、最後にこの『そっと 静かに』の日本における出版社〈クオン〉Blogから、プレイリストが提供されており、そのURLを貼り付け、締めるとしよう。

なお、ここでは触れることができなかった、韓国の伝統的な歌、フォークソング、ポップスなどもこのプレイリストを参考に聴いていかねばと考えている。

これまで韓国ポップス、伝統音楽、フォークなどほとんどと言って聴いてこなかったものの、何よりも彼女のプレイリストの主要部分はそこにあるのだから、洋楽、ラテンのそれらに自身が好感するとは言っても、実はほとんど何も分かっていないことと等しいだろうからね。

私はほとんどと言って、日本の演歌は聴いてこず、むしろ忌避感が強いところがある。
しかし何事にも例外はあり、美空ひばり都はるみは嫌いじゃ無かった。
彼女らの歌には、朝鮮半島にそのルーツを辿ることも可能だろうというのが、私の仮説なのだが、そうした関心領域からも、この分野の音楽の視聴は必要だろうし、また楽しみでもある。

ハン・ガンによるエッセイ『そっと 静かに』プレイリスト
YouTubeへのLinkも張られているので好都合だろう。多謝!

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