敗戦から80年、日本社会の光景に想う(追記)(追々記あり)
映画『黒川の女たち』
この八月、一部で話題になっている映画『黒川の女たち』を観ました。
TV朝日のディレクター、松原文枝氏のドキュメンタリー作品です。
公式サイトはこちら
1930年代、満州事変(柳条湖事件)を機とし、関東軍は中国東北部、満洲全域へと侵攻し、そこに傀儡政権・満州国を建国します(因みに、満州国の経営に辣腕を振るったのが、安倍晋三氏の祖父で、A級戦犯として訴追された岸信介氏です。)。
この荒れ地に満蒙開拓民として岐阜、白川の寒村から国策として半ば強制的に送り込まれた黒川開拓団でしたが、敗色濃厚になっていた8月9日、ソ連軍の参戦による満州侵攻で大混乱に陥り、このソ連兵から開拓団同胞を護るため、うら若き女性たちを「接待」要員として差し出すという敗戦時の秘史を身をもって告発し、広く社会に訴え出た女性たちを追います。
そしてこの残忍な所業を担った開拓団の男たちの遺族らが共にこの重い史実を受け止め、解き明かし、詳細にわたる「碑文」を建立するまでの取材を、映画作品として編集、公開したものです。
戦史に多少でも関心がある人であれば、満州という傀儡国家が作られ、中国人が開梱していた田畑を奪い取り、大陸での戦争の兵站補給地として開拓が進められていたところへ、
1945年の敗戦と同時に攻め入ってきたソ連軍に対し、無防備な開拓団を守るどころか、関東軍はいち早く南下、逃亡していった経緯などは良く知られた話しかと思います。
沖縄戦での日本帝国陸軍の振る舞い
1945年、3月、本土決戦が迫る中、圧倒的な米軍の侵攻を少しでも遅らせるべく〈持久戦〉が沖縄本島で展開されたのでしたが、鉄の暴風と言われる凄まじい地上戦が展開。その結果、県民の4人に一人の換算となる20万人の犠牲を生む壮絶な戦闘が繰り広げられました。
その戦闘において多くのガマなどで演じられたのも、満州での関東軍の逃亡と通底するようなものでした。
自国民を守るべき軍隊のはずが、米軍から自分の身を守るため、邪魔だとして泣き止まぬ幼児などを殺害したり、民間人をガマから追い出すことも厭わなかったという証言はいくつもあります。
2025参院選直前、那覇のシンポジウムでの西田昌司参議院議員の発言で奇しくもクローズアップされた〈ひめゆり学徒隊〉の史実ですが、これも同じで、組織的な戦闘はもはや無理だとばかりに突然解散命令が出され、ひめゆり学徒隊は病院壕から追い出され、米軍の銃乱射の格好のターゲットにさせられ、教師・学徒240人のうち136人が死亡しているのです。(NHK記事「自民 西田議員“ひめゆりの塔めぐる発言は不適切” 謝罪し撤回」)
話を元に戻します。
関東軍に守られるはずであった開拓団は着の身着のまま現地に取り残され、ソ連兵にはありとあらゆるものを奪われ、あるいは殺され、あるいは集団自決を強いられ、翌年の帰国までの日々を塗炭の苦しみの中で過ごしていたのでした。
この「秘史」ですが、「正史」には徹底的に秘匿される一方、開拓団の帰国後、小さな村のコミュニティーゆえか、犠牲になった女性たちは満州での強いられた犠牲よりも、酷い差別と偏見、誹謗中傷の中で、自身が被った悲惨な史実を覆い隠すことを強いられるなど、より厳しく辛いものがあったと語るのです。
しかし、晩年になり、過酷な史実を「我慢しろ、我慢してくれ!」と無きものとする男どもの抑圧から起ち上がり、自らの体験を訥々と語りはじめた女たちもいたのです。
青春期の女性の華やかならざるむごい事実を封印させられることを拒み、せめて最低限の自らの尊厳を取り戻すためのギリギリの闘いだったのでしょう。
また彼女らの訴えと闘いは、開拓団の幹部の子弟にも感染し、彼女らの語りを学ぶところから親の所業への謝罪として彼女らに伝えられ、ついには共に史実を詳細に明かす「碑文」建立へと向かっていくことになるのです。
その中心人物のジャケットの襟にはブルーリボン、つまり政治的には与党自民党員でもあるあたりは なかなか興味深いものがあります。
「碑文」建立の際の新聞記事があります(東京新聞:ソ連兵「性接待」被害を刻む 旧満州黒川開拓団 岐阜・白川町「乙女の碑」)。
碑文建立に奔走された開拓団の幹部の子弟の一節。
曰く「犠牲になった女性におわび申し上げる。悲劇を繰り返さぬよう責務を果たしていく…」
同胞を護ることすら放棄し、我先に逃亡する卑怯な関東軍の実態、あるいは敵国兵士に同胞女性を差し出すなどという酷たらしい所業を恥じない、いわば戦争犯罪とも言える史実を掘り返し、戦争というものがもたらす人権迫害の実相、軍隊の本質が実際どのようなものであるのかが、こうした女性の告発と、碑文建立の運動を通し、世代を超えて継承されていく姿を視ることができます。
この他にもいくつもの貴重な証言があるのですが、それらは公開中の映画でご確認いただくとして、1つだけ印象的なシーンを書きおきます。
最初に告発した当事者の女性は2人だけで、他の当事者の多くは事柄のセンシティヴさ、深刻さから自ら体験を語ることを拒み続けるのでしたが、その中の一人の女性は先行して告発した女性らへの周囲や社会からの優しく温かな眼差しを知り、
さらには被害の実態を知った当事者女性の子や孫から温かな労いの手紙や言葉を掛けられ、それまでほとんど笑顔も見せずに頑なな態度であったのが、徐々に徐々に 傷が癒やされる過程を経、ついには先行した二人に次いで、自身も告発者の一人として名を連ねるに至るのです。
やがて 彼女の顔にも明るさと笑顔が戻っていくシーンは白眉です。
これは一人の女性の尊厳が回復されるプロセスを視るようで感動的なものがありました。
こうした成果も、継続的に、しぶとく、当事者女性に寄り添ってこられた、監督・松原文枝さんの力量によるものと言えるでしょう。
この映画『黒川の女たち』は、現在も全国各地で上映中です。
劇場情報はこちらから
〈乙女の碑〉、および〈碑文〉の画像を 告発に起ち上がった佐藤ハルエさんのお孫さんの X(旧Twitter)からLinkさせてもらいましょう。(画像をクリックすることで碑文を読むことができます)
X〈佐藤ハルエの孫 黒川の女たち〉
戦争トラウマ 連鎖する心の傷

今年6月、朝日新聞では〈戦争トラウマ 連鎖する心の傷〉として、36本の記事を公開しています。
こちら
ここでは対中15年戦争、太平洋戦争、総じて第二次世界大戦に従事した日本軍の兵士と、その遺族、あるいは侵攻したアジアの相手国での戦争被害、捕虜虐待の双方の当事者らと、その遺族らによるオーラルヒストリーが収められています。
敗戦後、60年、70年、80年経ってもなお、突然のようにPTSDを発症し、それを機に、本人の人格が壊れ、人生そのものが立ちゆかなくなり、さらには家庭での日常的な暴力沙汰により家族関係が崩壊していく様などが語られています。
精神医学の概念において、PTSDというものは1945年の頃はもちろんのこと、70年代初期まではありませんでした。
神経症だとか、精神分裂業などとされるだけでしたが、ベトナム戦争からの帰還兵の少なく無い数の兵士が精神的な病を抱え、日常生活そのものが困難になるという痛ましい状況の症例から、PTSD(心的外傷後ストレス障害)という精神疾患が概念化されていくのです。
日本においても、こうした症状を戦争トラウマとして認定されることで、はじめて、当事者自身も自分の苦しみの根源がどこにあるのかが理解され、症例判定を経ることで、徐々に癒やしと回復のプロセスへと向かっていくことができるようになっていくのです。
また、こうしたトラウマは当事者のみならず、親からの理不尽な暴力を受けた子弟らも、彼らの家族を設ける中で、親と似たような暴力沙汰を起こしてしまうことも少なく無いようで、まさにトラウマが代を超えて連鎖する実態が証されています。
36編、全て深く読みこなしたわけでもありませんが、私見を語らせていただくとすれば、日本帝国軍による侵略戦争がいかに非人道的なものであったのかは言うまでも無いのですが、
問題は、敗戦後の日本国としての自国兵士への慰撫の言葉と法的な保護があまりにも弱い事。
そして外地に散った兵士の遺骨収集も、80年後の現在も未だまったく不十分な状態にあり、敗戦からの国家としての事後処理が不作為な状態にあるのです。
大戦の戦没者は民間人を合わせて約310万人とされる。約240万人は海外(硫黄島、沖縄を含む)で亡くなったが、収容された遺骨は今年7月末時点で約128万柱にとどまる。遺骨が海底に沈んでいたり、相手国との事情で収容が難しかったりする約53万柱を除いた最大約59万柱は収容可能とされ、帰還のときを待っている。(朝日新聞 2025.08.15『いまだ戻らない戦没者遺骨 終戦80年の現状』)
一銭五厘の赤紙で招集され、過酷な戦闘をくぐり抜け、ついには敵の銃弾で、さらには餓死に追いやられた数百万の兵士たち。
白木の骨壺で遺族に戻されるも、中はカラッポということも少なく無かったそうです。
厚生省(現在の「厚生労働省」)の存立理由というのは、こうした自国軍の兵のために設けられた行政機関と言っても過言では無いのですが、遺骨収集すら不十分なママで、どうしてその基本的な行政義務を果たしていると言えるでしょうか。
さらには、安倍政権後は、〈70年談話〉に明らかなように、それまで継承されてきた〈村山談話〉における「植民地支配」と「侵略」という行為を抽象化、曖昧にさせる文面と化し、自らの言葉として語ることを拒否し、しかも 加えて「『謝罪外交』に終止符を打つ意思」と声明されました。
〈安倍首相(当時)による内閣総理大臣談話(通称:70年談話)〉
それ以前は全ての政権がこの〈村山談話〉を踏襲し、内外に日本の戦争における基本的立場を宣明してきたのでしたが、安倍晋三氏が発したのは、満州国の要人であった祖父・岸信介の亡霊のように、〈村山談話〉を貶め、戦前回帰を標榜するかのような歪曲の〈70年談話〉でした。
村山富市氏のコメント
このような過去の史実を曖昧にさせることは、日本人の犠牲者300万人、他国の犠牲者2,000万人と言われる犠牲者らへの冒涜でしか無いと思います。
本件タイトルも〈敗戦から・・〉としたのですが、日本では一般に「終戦」、「戦後・・・」と記述、呼称されています。
そこで私はあえて、注意喚起の想いを込め「戦後」ではなく「敗戦後」、「終戦」では無く「敗戦」と記述しています。
まるで、自然現象であるかのように「終わった戦争」というのは、あまりにも当事者性の欠けた物言いです。
この曖昧さこそ、日本人的思考様式の特徴なのかも知れませんが、そうした曖昧さでは歴史に真っ当に向きあうことができず、「一億総懺悔」と言う物言いに象徴的なように、戦争責任をぼやかし、その総括から逃げ…、その結果、また再び三度、間違いを起こす許容値を限りなく低くさせてしまう元凶なのかもしれません。
前述の『黒川のおんなたち』における告発と、これに学び、起ち上がった開拓団の遺族の働きらに助けられ、当事者の尊厳の回復と癒やしのプロセスを思う時、
心身ともに傷を負って帰還した兵士にとり、歴史に真摯に向き合えず、これを封印してしまうという真逆のものでは、到底PTSDを克服し、自らを癒やすプロセスへと移行する事は一層困難なものになってしまうでしょう。
誤りを認め、傷付け、犠牲を与えてしまった相手にこれを心から謝罪することでしか、自らが負ったトラウマからの回復はあり得ないのです。
そうした回路を国が封じてしまえば、兵士らのトラウマからの回復はとても困難な道を強いられてしまうのです。
・南京大虐殺など嘘に決まってる
・731部隊は単なる防疫研究機関だったはず
・三光作戦(殺し尽くし・焼き尽くし・奪い尽くす)など、中国側のデッチ上げだ
等々、いわゆる歴史修正主義というものが2000年代以降、一部メディア、さらにはSNSなどで「自虐史観」として広く流布され、今に至るわけですが、
こうした史実をねじ曲げる言辞というものは、一見勇ましく雄々しく見えるモノの、その実、まったく潔いモノでは無く、ただの卑劣漢でしか無い場合は多いもので、これらの作戦に従軍した兵士当事者にしてみれば、自身が負ったトラウマがこうした嘘で慰撫されるかと言えば、真実を知る自分を偽ることとなり、そのような自己欺瞞な手法では決して克服は敵わず、回復への道筋は遠ざかるばかりでしょう。
敗戦後80年、この一人の人生の長さに匹敵するほどの超長期の時間が経過し、未だに「戦後云々」として語られるというのは、日本をおいてあまり無いのだそうです。
しかし、〈映画・黒川の女たち〉にあるように、死期に近づく中から、自らの人生を省み、封じ込めていた心の澱を吐かさずにはおれないとばかりに告発に起つというのは、80年という時間も十分に理由のあることで、後の世代である私たちはこれに耳をそばだて、告発までの道のりの困難さ、厳しさを強いていたかも知れない、今を生きる者の一人として、受け止める姿勢を持ちたいと思うのです。
この〈戦争トラウマ 連鎖する心の傷〉での困難な取材に奔走し、編集の任を執られた大久保真紀記者には感謝したいと思います。
この記者は、いわゆる〈中居正広・フジテレビ問題〉から、広く性被害の問題に取り組んでこられた朝日の編集委員ですが、これらの労をねぎらいたいと思います。

大久保真紀記者はこれらの取材を基にした本も著されているようです。(こちら)

本編、もう少しだけ続けさせていただきます。
石破政権の帰趨などたいしたものとも思えませんが、参院選の結果も気掛かりで、次回はそのあたりも含め、日本社会の光景の解像度を高めていければと思っています。(次回までいま少しお時間を頂きます)
なお、余談ですが、8月15日、TVで以下の映画が放映されます。
私が深く尊敬する高畑勲作の『火垂るの墓』です。
高畑監督は、野坂昭如の原作を徹底して忠実にアニメ化しているのですが、その一部には原作には無い高畑監督のオリジナルなところもあり、そのあたりもとても興味深いものがあります。
高畑監督はこの映画は決して反戦映画では無いと幾度も断じているのですが、
その点についてですが、私はそれだけまた、普遍性の高い文芸作品的な映画であると理解しています。
『火垂るの墓』
▼ 8月15日 21:00〜
▼ 日テレ系列
公式サイトはこちら
追記(2025年8月13日)
朝日新聞の〈戦後80年 記憶の先へ〉シリーズ(全6回)として、本日13日付で
「祖父の日記から考え続けてきた 満州に住民を送った村長としての苦悩」とタイトルされた記事が上がっています。(こちら)
ここには「満蒙開拓団」へと送り込んだ南信州の村長が、開拓団の敗戦時の悲惨な最期(集団自決)への責任をとる形で首つり自殺で果てた経緯など、お孫さんへの取材を通した記事になっています。
敗戦後80年、灰の奥深くに埋もれていた熾(おき)が、フッと吹きかけた息で酸素が供給され、チロチロと着火し、80年という時間を遡及させられる。
長い、長〜い時間を掛け、冷静で客観的な視座を与えられた遺族の語りにより、戦争という国策の片棒を担がされた人間の弱さ、憐れさが浮かび上がる感じだ。
私にとって…、あなたにとって…、国とは何ですか?
国家っていったい何なのでしょう。
愛国って どういう事?
80数年前の日本国と、今の日本国。何がどのように違っているというのでしょう。
これらのギモンというのは、近代を生きる全ての人にとり、永遠の命題なのかも知れません。
追々記(2025.08.16)
追記で取り上げた集団自決による満蒙開拓団自身の処断という悲惨な結果を受け、開拓団を組織し、送り込んだ責任を取る形で自死した村長のお孫さんの寄稿が岩波『世界』8月号の映画紹介コーナーに掲載されていました。
『私たちの 新しい根拠 「黒川の女たち」』
曰く
「どうすれば死なずに帰れたのか。問いは私から離れない。何としても生きて帰ってほしかった。この「何としても」に黒川開拓団が選んだ方法を入れていいのだろうか」
「(黒川開拓団のように性被害を強制するようなことを)するくらいなら集団死した方が良かったのか。いや、死ぬよりは生きて帰ってきた方が。自問は答えにたどり着けない。」
このお孫さんは劇作家で精神科医の胡桃澤 伸さん。
2015年、満蒙開拓平和祈念館が企画した中国旅行の際、胡桃澤氏と黒川開拓団の遺族会との交流が始まり、黒川開拓団の性被害女性と開拓団遺族会の戦時性暴力の告発に起ち上がった経緯を知るに及び、敬服の姿勢を強くし、「性は個人のものだ。国家であれ開拓団であろうとそれを利用してはならない。」と語る。
一方の集団死と祖父の自死という選択の誤りを省察しつつ、黒川の女性たちの闘いと「回復のために責任を果たす)遺族の謝罪に未来への可能性を覚える、と言った内容で締めています。
私はこうしたひとの命に関わる、実に困難で究極的な選択を迫る、国家による戦争行為というものが、いかに女性の人権を踏みにじり、非人道的で、非人間的なものかを厳しく問うものだと強く思うのです。




木工家具のデザイナー & 職人のartisanです。
