工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

《朝鮮王朝の絵画と日本》

朝鮮王朝の絵画「朝鮮王朝の絵画と日本」(静岡県立美術館)、会期最終日に観覧。
朝鮮王朝の絵画とは、と問われてもイメージできるものは少ない。
よく知られる「民画」(李朝民画)は近世に入って(世界史的文脈としてのそれ)以降のものであろうから、これによって代表されるというものではない。
かろうじて朝鮮通信使により持ち込まれた文物、あるいは彼らによって伝えられた絵画技法などによって見知ることができるくらいだ。
そんな浅学の身にとって、今回の企画は寝ぼけ眼を覚醒させるものとして良いテーマだった。
このようなボクだからこのジャンルはほとんど知識はないものの、しかし恐らくはこれほどの規模でのこの種の展覧会は国内では初めてのものではないのだろうか。
展示企画、展示レイアウトは14C末に建国された李朝の歴史的流れに沿って展開されていたが、随所に狩野派に代表される日本の絵画を対置させ、同時代の息吹を感じさせる相互交通による絵画技法、あるいは画風への影響などを解読させるようなものとなっていた。
それらの多くは山水画に見られるように本科を中国大陸に求めることができるという意味では日本における美術史と同様の類似性を確認できることは当然としても、半島という地政的、地理的条件や、民族性による咀嚼の違い、土着の美的感性からの影響など、独自の発展形態を見ることができた。
会場では俵屋宗達・伊藤若冲などへの影響をクローズアップしていたが、「紙織」という技法(紙を細く切り、これを織っていくことで立体感を出す手法)の伊藤若冲のモザイク画風への影響は、確かに説得性のあるものだった。(白象群獣図など)
また朝鮮通信使の一行と共にやってきた絵師とのコラボレーションによる絵画も数点あり、両氏の落款から当時の文化的交通の豊かさを興味深く感じ取ることができた。


なお、工芸品に興味がいってしまうのは仕事柄当然としても、残念ながら今回は絵画が中心であるので、数点を数えるほど。
当然ながらそのほとんどは磁器。
上質なものが数点並んでいた。(「青花 鯉藻文 盤」「青花 楼閣山水文 偏壺」「鉄砂 葡萄文 壺」など)
木製品としては「華角貼 人物図 箱」だけであったが、小さな文房具であるものの、なかなか雅美豊かな漆藝品だ。
朝鮮の文物への興味というものは、木工家具制作に従事してから首をもたげたということでもなく、かなり以前より興味を抱いていた対象だが、それがいったい何に起因するのかを簡単に言い表すことはできない。
・隣国に位置するという地理的関係
・日本史を考えるとき朝鮮との往来の歴史を抜きには語れない
・日本の近代化は北東アジアにおいて突出したものであったが、その影もまた濃厚であるが、殊に朝鮮においては
・日本古来の美術工芸、あるいは文化全般の多くが朝鮮半島を経由して伝来してきている
・現在の日本と朝鮮(含 韓国)の経済的、政治的関係もまたビビット
といったようなことを概論として踏まえるとしても、
個人的な関心領域から照射したとき、やはり柳宗悦による戦時中の『読売新聞』に投稿された「朝鮮人を想ふ」というエッセーを印象深く胸に刻み込まれたことは関係史における視座を決定づけるほどのものだった。
展覧会会場内での挨拶文、あるいは展示品のクレジット、それぞれきまじめに読み、また展示品解説をしてくれたボランティア女性の言葉も聞き逃さないようにしていたが、ただの一度も朝鮮王朝が1910年で断たれたその理由というものに分け入るような話しなど皆無であったわけだが、柳宗悦が語るところの朝鮮における美術工芸品の「悲哀の美」が何によってもたらされたかを対象化することなくしては恐らくは深く接近することなどはできないかもしれない。
あるいは国宝クラスの美術品が日本国内の官製美術館などの奥深い収蔵庫に眠っていることの意味というものにも想像力を働かせる必要も時にはあるのではないか。
県立美術館に足を運ぶのも久々。
以前は隣接して設置されている県立図書館に調べ物で訪ねることも多く、序でに美術館にも立ち寄るということもあったのだが、昨今ネットでかなりのことが調べられるようになったことで遠ざかってしまっていた。
またこの美術館はロダンの「地獄の門」が常設されている(収蔵品)ことで有名ではあるものの、多くの収蔵品は東西絵画の風景画が多く、興味の対象からやや外れることからどうしても企画展中心の関心となってしまう。(世界に何体あるのか知らないが、静岡なんぞにロダンの「地獄の門」ですか、導入当時は驚かされたね。静岡もバブリーだったのだ)
この日は前日から高速利用料金の一律1,000円への割引ということで覚悟はしていたものの、やはり移動に時間が掛かったが、好天に恵まれたことでさほどストレスを感じることなく楽しむことができた。
経済の急速な収縮のあおりを受けて、公立美術館の今後の企画展開催はより困難を強いられることにもなると思われるが、館長、学芸員、ともども予算削減には抗して良い企画をどしどし打ってもらおう。
良い企画があれば観覧者は押し寄せるものだ。
今朝の朝日には東京国立博物館で始まった「国宝 阿修羅 展」に開場前に800人が並んだという報がきていた。(オイラも観たい)
*参照
■ 「朝鮮王朝の絵画と日本」は3月29日で終了。
■ 今後の巡回について
・仙台市博物館 :09/04/17〜05/24
・岡山県立美術館:09/06/05〜07/12
*過去関連記事
デザインソースその1
今あらためて「柳宗悦」の言説を

《関連すると思われる記事》

                   
    
  • ○丁寧な案内参考になりました。次は地元仙台(仙台市博物館)です。私は巡回展に関心を持ちます。誰がどこで仕掛けているものなのかです。○美術の世界は謎が多い。(藁。○日本の官製美術館に隠匿秘匿されている収蔵品にも言及されるー貴兄の認識の深さを示すもの。○インドや中国が国際的オークションで落札し波紋を起こしてます。帝国主義植民地主義の時代の略奪をどうみるかです。ルーブルも大英博物館もオタオタしてられません。○アジア・アラブ…世界の逆襲のはじまりです。(藁。○柳宗悦の「悲哀の美」を克服する動きが半島自身からあることを期待します。○雑然乱筆乱文ながら失礼します。またの機会に。

  • ぷるとん さん。お初のコメントと思われますが、ありがとうございます。
    コメント内容から拝察される大兄(年齢不詳ではありますが)による指摘は、いずれも現代世界における美術市場の無視することのできないある種の問題の核心を突いたものと考えます。
    古代の名品を観るには、出生地を探訪するのではなく、実はその多くは大英博物館を目指さねば出会えないということなどは誰でも知っていることですからね。
    昨今、それらの少なくない数のものが出自の地から返還を求められるというケースも出てきています。この新たな潮流を無視できるほど傲岸不遜でいられるでしょうか。
    宗主国であった国々には、これらの要請には真摯に向かい合うことが求められているというのが21世紀における国際関係のあり得べき姿でしょう。
    やはり生まれたところに訪ねていって拝観するのが本来の姿のように思います。
    >「悲哀の美」を克服する動き
    その指摘は本文では触れることができませんでしたが、重要なところだと思います。
    ところでこのような記事へのコメントはほとんど期待していなかっただけに、このぷるとんさんの指摘はありがたく、また勇気を与えられるものです。
    なにごとも批評精神を失っては、真の理解には繋がりません。
    (杜の都・仙台の新緑を見たいです)

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