工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

梅雨と日本人の心性

蓮池
各地で梅雨末期特有の荒れた気象による被害が出ているようだ。
当地、今期は被害に見舞われてはいないが、スキッとした夏空にはほど遠く、不安定な気象が続く。
極東はモンスーン地帯に位置する日本列島に生を受けたからにはイヤでも甘受せねばならない気象条件なんだがね。
文化人類学者はどのように分析しているのかは知らないが、日本人のエトス(心性)、思考スタイルに、この湿潤な気象条件がビミョウに影響を与えていることは疑いないだろうと、ボクは考えている。
無論、逆の冬季の寒冷地における気象の厳しさも同様だろう。
友人は言う。若者を採用するなら東北出身の者にしたほうが良い、と。
厳しい修行にも辛抱強く耐えてくれる、というわけだ。
概して、そうしたことは広く一般に知られたことだね。
気象という条件からは当地は日本列島の中でも最も温暖で暮らしやすいところらしく、つまりは辛抱がきかず、耐性のない人に育つ人間が多いということ?
ま、ボクなどが甲斐性が無いことを、そうした生地から説明する言い訳にはなるかもしれないね。
話しがやや拡散してしまっているが、湿潤な気象がもたらす日本人のエトス。


例えば、「和をもってと尊しとなす」(以和為貴)という教えは聖徳太子が編んだと言われる「十七条憲法」(『日本書紀』に全文引用)の冒頭に出てくるものだが、こんなのはとても法理とは言い難く、単なる規範の1つでしかないように思える。
何となれば、これは孔子の『論語』に引用元があるとの説を知り、大きく首を縦に振ってしまう。
しかし例え法規範ではないだろうと考えたとしても、この言葉を知らずしてもそうした認識が広く日本の隅々まで浸透していることを考えれば、1,400年前に聖徳太子がめざした日本人が備えるべき心性というものは見事なまでに根付いていると言えるのかも知れない。
この規範も恐らくは日本の1867年以降の近代国家の歩みにとって、ある種の障害であった概念でもあるはずなのだが、それを越えて今日に至ることを知れば、南河内は叡福寺北古墳に眠ると言われる聖徳太子もさぞご満悦のことだろう。
ある種の障害とはつまりこういうこと。
近代主義(モダニズム)というものは国民国家(Nation-State)の形成、あるいは資本主義制度の導入というものを基本概念とするものだよね。
つまり封建制が排された社会において、自由な市民というものの台頭を条件とするものなので、「以和為貴」などという前近代的な封建遺制ならではの概念とは相容れないからなんだ。
でも日本ではそうではなかった。
アジアで唯一近代化を歩もうとした日本はいわば1周遅れのトップランナーとして、とても歪んだ近代化の歩みをしてきちゃった(跛行)ということだね。
(歪んだ、という意味にはいくつもの重要なことが孕まれているが、ここでは詳しくは立ち入らない。1930年代〜1945年に至る戦争の歴史を想起すれば理解できるはずだね)
近代化の重要な概念としての人権で有名なフランスで最も好まれる劇は「レ・ミゼラブル」と言われているようだが、対し、日本のそれは「忠臣蔵」でしょ。
こうして忠義が今もって好まれる日本に、果たして民主主義なんて本当に根付いてるの?という疑問は残念ながら正当なんだろうね。
議論下手だったり、個を主張しようとする(和を乱す)者は排除されがちだったり、田舎っぺ的な心性が好まれたり、と理性がとかく疎んじられてしまい、何かと風通しが悪いものだが、そうしたエトスというものは日本から梅雨という気象が無くならないのと同じであるかのように、一朝一夕には改められないもののようで、何とか折り合いを付けていくしかないのかも知れないと思ったりする。
ボクは若い頃は近代万歳 ! 的なところもあったが、9/11、あるいは昨年の金融破綻問題で教えられた資本主義の暴走を見せつけられたこともあるけれど、近代への懐疑は十分持っているつもりだ。
現代世界はどこの国でも誰でも様々な葛藤を抱えている生きているわけだけれど、日本のそれは、また固有の難しい問題があるということも事実であるように思うね。
ボクも梅雨の時期のこの湿潤な空気感を身に纏いながら、アジアの国の一員として持つべき心性というものをどこに求めていくべきか、日々いろいろと考えているのだが‥‥。
(‥‥もちろん日本の住環境における家具調度品の意匠をどうすべきか、もだがね 苦笑)

* 画像は鶴岡八幡宮境内の蓮池(09/07/17)

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