工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

アーツ・アンド・クラフツと日本

ボクが木工の修行を始めたのは「松本民芸家具」というところです。
木工を修行しようと決意してからというもの、様々な文献、雑誌などで対象になるところを探し、また実際いくつかの会社、工房を巡りました。
しかし結局最初から本命視していたところを熱意で拝み倒したのです。それが「松民」でした(恥ずかしながらその時の年齢が30を大きく超えていた事が障害になったのです)。
この選択にはいくつかの理由があったのですが、家具製作という分野において「アート&クラフト」の息づかいがあるところという命題を外すわけにはいかなかったということが第一の理由です。
ここで「アート&クラフト」について論ずる積もりも、その任でもありませんので、数日前にたまたま書店で見つけた本を紹介する事で代えさせていただきましょう。「アーツ・アンド・クラフツと日本」というものです。


アーツ・アンド・クラフツと日本
アーツ・アンド・クラフツと日本
それぞれ章単位で著者が異なり20人を超える研究者による論考となっている。
詳細な関連年表なども充実していて研究文献としても使えるかな。
amzonでは詳細情報がありませんので、「目次」だけ記します。

序文 アーツ・アンド・クラフツ運動と日本
第一部 ウィリアム・モリスと日本
 ウィリアム.モリスと明治の日本
 大槻憲二とモリス誕生百年祭
 モリス生誕百年記念協会と『モリス記念論集』
 日本から見たアーツ&クラフツ運動とドイツ工作連盟
第二部 民藝運動とその周辺
 柳宗悦の二つの関心──美と社会、そして朝鮮──
 青田五良と上賀茂民藝協団
 柳宗悦と日本民芸館
 富本憲吉の小藝術
 A&C運動から民芸運動へ─バーナード・リーチの寄与
 濱田庄司と地域社会
 壽岳文章の書物工芸
第三部 芸術と生活
 「自邸」の変容─西村伊作による「生活」の「芸術化」の試み
 森谷延雄におけるA&C的志向の背景
 宮沢賢治と羅須地人協会
第四部 社会改革
 セツルメント運動と日本
 ギルド社会主義と日本─柳宗悦による受容を中心として─
第五部 A&C運動と日本の造形教育
 東京美術学校と日本美術院
 京都高等工芸学校
 東京高等工芸学校とA&C
 大正の自由主義教育
  文化学院の「A&C」運動
  自由学園と「A&C」─ F・L・ライトをめぐって
   (一部「アーツ・アンド・クラフツ」をA&C と表記しました)

一方、ちょうど今、埼玉県近代美術館(参照)においてあらためて「民藝」の意味を問い直そうという展覧会が開催中です。
埼玉での展示後、沖縄から北海道まで巡回するようですので、興味がありましたらご覧ください。詳細については引用部分(参照)をクリックしてください。

柳総悦の民藝と巨匠たち展 〜柳総悦の心と眼〜
柳宗悦は、大正末期に「民藝運動」を推進した人物として知られていますが、同時に芸術、社会に対して独自の思想を展開した思想家として高く評価されています。 柳は、芸術雑誌『白樺』の創刊に加わり、ビアズリー、フォーゲラー、ロダンなど西洋の美術を紹介します。しかし、朝鮮陶磁器との出会いは、柳の関心を西洋から東洋の美術へと向かわせます。朝鮮文化への関心はやがて朝鮮民族美術館の設立に結実します。さらに日本の木喰仏や日常的な工芸品など、これまで顧みられることのなかった日本の造形にも次第に惹かれ、「民藝」という言葉を作り出します。・・・・
「民藝」こそが美の本質であると主張し、日本各地の民藝調査や収集に携わり、民藝運動を実践しました。・・・・ 
本展は、柳の民藝運動に影響を与えた朝鮮王朝(李朝)の工芸品や、日本各地の民芸品、さらに民藝運動に賛同した巨匠たちの作品など約170点を紹介し、柳の民藝運動の軌跡を辿るとともに、「民藝」の意味を問い直そうとするものです。(参照

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  • その節はおじゃまいたしました、柳宗悦と自由学園の関係、もしくは接触があったのだろうかとググルっていたら行き会いましたい。
    この本は未読ですが、
    羽仁もと子と柳がどこかでつながっているのではないかと調べております。
    なにかご存じでしたらご教示下さい。ではでは

  • kayさん、どうも、その節は。
    たいしたこと書かれていなくても、Blogは上位に検索されてしまいます。
    柳宗悦と自由学園の関係ですか。困ったな…。
    自由学園の創設は1921年です。帝国ホテルの完成(遠藤 新との共作)が23年ですから、ライトは並行して建築していたということになりますね。
    柳が『工藝』を創刊したのが31年。駒場の民芸館設立は36年。
    手元の文献だけでは「柳宗悦と自由学園」の関連性の確証は出てきません。
    しかし「民藝」(運動)は時代の空気ということも含め明らかにアート&クラフトの流れと軌を一にすることはバーナード・リーチという人を介することを軸としながら、柳もモリスを高く評価(逆に批判もしていますが)していることからも明らかです。
    一方のライトはアート&クラフト運動の流れを継承していたのでしょうが、モダニストでしたし、柳のような手業を高く評価する立場にはなかったように思います。
    羽仁吉一、もと子も柳の思想とは重なり合わないような感じがします。
    同時代の人たちですし、何らかの接触があっても不思議ではないと思いますがね。
    知人に自由学園卒園者がいますので、機会があったら確認しましょう。

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