気の毒な、いまどきの訓練生
二十四節気・「大寒」そのままに大層冷え込む1日だった。
職業訓練校(「技術専門校」等、名称は様々)の生徒も就活に奔走しているようで、募集しているわけでもないうちなどにも問い合わせが相次ぐ。
過日、採用の意向は無いというところを押し、見学だけでも良いのでと、遠方より来訪された訓練校在籍の若き家具職人志願者との対話は、若い年齢層の考え方を知る上でも、カリキュラムの組み立てなどを知るにも、時間を潰すだけの意味もあると思った。
実は、このBlogを設置して間もない頃、この訓練校に関わる情報を整理して提供したことがあった。
このページは今もなお少なくないアクセスを数えている。
データの多くは更新されておらず、その中のいくつかは閉鎖されてしまっているところもあるようだ。
訓練生には迷惑をお掛けしている。申し訳なく思う。
さて、Top画像は現在制作している小さなキャビネット(部分)。
帆立部分、框組みの構成であることが分かる。
右の広い板は羽目板(鏡板)。束をはさんで左に小さな扉が仮留めしてある。
ありふれたシンプルな構成である。
この駆体、および扉の仕口は、いずれも蛇口(馬乗り)で納めている。
この至極ありふれた仕口だが、訪ね来た訓練生は理解していないようだった。
1月も下旬という時期ともなれば、多くの訓練校では基礎的な技能のカリキュラムは修了している頃のはず。
蛇口(馬乗り)も、面腰(腰落ち)も、その言葉さえ知らないのだという。
訪ねてきたのは2名だが、口をそろえて言うのだから、その人固有の学業修得水準の問題とは言えない。カリキュラムに含まれていないということだろう。
訓練校のカリキュラムへのボクの認識としては、とても信じがたいものだが、どうもそれが実態なのだろう。
木工所に訪ねてきて、彼らが気に掛かるのは、「全部、無垢で作っているのですか‥‥」といったことで、無垢でありさえすればとりあえずは良いものだ、という概念がまずあり、どのような仕口を基本としているのか、というようなところにまでは評価基準の視座を持っていない。
全ての訓練生が同じであるとは思わない。
少なくともこれまでうちを訪ねてきた多くの訓練生は修得されていた。
また例えその教室のカリキュラムに上述の基本的仕口、イロハのイが無かったとしても、家具一般に少しでも関心があれば、これを修得することはいとも簡単なこと。
生徒の意識の在り様で解決する問題領域である。
カリキュラムに入っていなければ、指導教官に訊ねれば簡単に解決する程度の問題。
そんなことはあるまいと思うが、もし指導教官にこの技法が無いとすれば、近隣の木工所に訊ねていけば良いだけのこと。
木工技法を紹介している洋書を開いてみよう。これらの仕口は万国共通であり、木工に関わる人類の遺産のイロハのイであることを示していることがただちに分かる。
こんなありふれた仕口、就職先の親方が手を取り足を取り、イロハのイから教えなければならないとは、一体どういうことなのだろうか。
彼らが去るにあたり、これらの仕口を修得せずして卒業すると困るのは君たちだから、ぜひ教えてもらうことを卒業までの自らの必須課題にしようぜ、と言い聞かせつつ手を振った。
画像下は、いずれも《面腰》を採用した活用事例。
部材接合面を含め、ぐるりと意図する面成形を可能とし、然るべく綺麗に納まっていることが分かる。
これらからは、こうした仕口によりデザインの自由さを広げ、巧緻に組み上げ、仕上げることができ、またこれにより接合強度もより高まることが理解できるだろう(捻れ耐性、靱性が高まる)。
何も框組の扉だけに使われるものではなく、画像のように様々な領域においてユニバーサルな仕口とし活用できることを知っておきたい。とても汎用性の高いものだ。
画像説明
- 左:拭漆楢櫃の正面(4分角面)
- 右上:学習机、幕板〜脚部(2分坊主面)
- 右下:ウォールクロック、L字接合部(3分銀杏面)
これらを駆使することで木工技法の豊かさを深く知り、楽しみを深く味わうことができるだろうし、またこうした基本の技法体系を連綿と繋いでいくことは、いわば木工職人としての社会的な使命でもあるだろう。
それがこれまで数百年、数千年にわたり継承してきてくれた無名の職人に対する倫理的立場。
イモとごまかしだけで席巻されてしまっては、次世代へは恥以外の何ものも残せない。
acanthogobius
2011-1-21(金) 13:14
若き訓練生の年齢は良く分かりませんが、自分も含めて学生の頃は
「学校で習わなかったから」を自分が知らないことの言い訳に
していましたし、それで済んでましたね。
社会で出て、それでは通用しないことに気が付く訳ですが、本来訓練校は学校と社会の接点のような役割を果たすべきなのでしょうが、1年2年では無理なのかもしれません。
もちろん、その訓練校の質、訓練生の資質によるところも大だと思いますが。
彼らが言う「全部、無垢で作っているのですか‥‥」の私の解釈は少し
違っていて、訓練校によっては全部無垢で作ることを前提にした
カリキュラムにはなっていないのではないか、ということです。
訓練校で、ひとつの家具を全部無垢で作ったことがあるのかどうか
その訓練生に聞いてみるとよかったかもしれません。
artisan
2011-1-21(金) 22:00
acanthogobiusさんのように人生経験が豊かな方でも、学生時代に身につけた学識、教養が素地になっている部分があると思いますが、仰るように訓練校という教育現場は、いわゆる学校とも専門学校ともその性格を異にし、職業現場において即戦力として活動していくための技能を実践的に学び、腕を鍛えるための場所であるわけです。
しかし、一部での実態としてはアブナイ機械は使わせない、あるいは、学ぶ対象も、拡散し、ただただ浅く、「家具らしきもの」を作れる程度で送り出してしまうようです。
家具制作における深遠さの一端でも良いので、少し踏み込んで教えていただき、より深く、知見と技法を鍛え、豊かで魅力ある世界であることに気づいてもらうことが必要と思うのですがね。
通り一遍のテキストで学んでいたのではダメですね。
生徒の秘めた力を引きだし、苦闘するだけの意味があるということを身をもって教えるには、指導教官の熱意ある、真剣な取り組みこそ求められているでしょう。
管理教育の弊害は訓練校とて同じであり、それをかいくぐり、生徒と一緒になって夢を描くような熱い現場でないと無理でしょう。
無垢材を素材とする技法だけを教えているところは数少ないでしょう。
例えフラッシュを含むものであったとしても、今回の記事で上げた仕口は、そうした制約から排除されるべき対象であってはならないはずのものです。
これから訓練校で学ぼうとする人は、よくよくリサーチし、優れたカリキュラムを持ち、熱心で有能な指導者がいるところを探し、ドアを叩いてください。