工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

12月8日という困難

今日の夕刊紙(朝日新聞)一面の中央にはアメリカ退役軍人の居並ぶ姿が大きく来ている。
真珠湾への日本軍による猛攻から生き残った軍人たちが列席した68周年記念式典を報ずるものだ(ハワイ現地時間:7日)。
今日12月8日という日が太平洋戦争への口火を切ったその日だという認知度は、果たして同じ日がジョン・レノンの命日として記憶される日と較べてみてどうなのか、などとの比較は恐れ多いものであろうが、一般に多くの若者は感心の外であるらしい。
ところで先のアメリカ大統領オバマの訪日の折のメッセージには「ヒロシマ・ナガサキ訪問はしてみたい」との一言があったことはメディアでも話題になり、ボクもそれが実現されるのであれば良いなと、期待もした一人だ。
4月のプラハにおける「核兵器のない世界」のオバマ演説は、近くオスロで執り行われることになるノーベル平和賞への受賞理由として決定的なものだったろうから、そうであれば「ヒロシマ・ナガサキ訪問」というのもあながちリップサービス、夢物語では無いだろうと思いたい。
ただこれは決して簡単ではないだろうという思いが一方にあるのも事実。
よく知られるように米国内においては、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下によって太平洋戦争の終末を早めた(その分、双方の犠牲が少なくなった、という含意を込めて)、という抜きがたい信念があるらしく、ここに大統領が訪れることは、そうした戦後一貫した米国内の信念にも近いとされる感情を逆なでさせてしまう怖れは、為政者としては無視できないものであるのだろう。
(原爆投下というものが、そうした恣意的な理解のされ方で正当化されるものであってはならないことは言うまでもないのであるが)


しかし一方、日本側(政府当局者、被爆者団体、平和を望む市民たち)から、米国大統領オバマにヒロシマ・ナガサキ訪問を要請するのであるとすれば、相応の覚悟というものも求められるというのが世の倣いというものでもあるのではないか。
どういう事かと言えば、第二次世界大戦の一方の当事者としての日本の立場がどうであったのか、あるいは戦後の歩みがどうであったのか、さらには今後、米国との関係性というものをどのように結び合おうというのか、あるいはまたアジアの中でどのような位置取りをしようとするのか、という基本的な立場を自身に問いかけ、それを対外的に示すことがなければ、大きな声でヒロシマ・ナガサキ訪問を促すわけにはいかないのではないか。
そうした平衡感覚に立った理解のされ方が成熟するようになれば、一方の当事者として日本の首相が12月8日のこのハワイの式典に参列することも実現に向かうかも知れない。
このようなことを含むものでなければ、ヒロシマ・ナガサキが持つ双方のドグマから解放されることにはほど遠く、その説得性は彼の国の人々を十分に納得させるものとはならないだろうな、と思う。
(決してボクはヒロシマ・ナガサキへの原爆投下を軽んじるものではないことはあくまでも前提として)

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米国政治がブッシュ共和党から民主オバマに、日本の政治も政権交代で民主鳩山に転換した今日、オバマのヒロシマ・ナガサキ訪問が口の端に登るような情勢が来たというのなら、日本側も相応の対応を見せなければ、恐らくは「日米同盟」なるものにふさわしい関係は結べるはずもないだろうと思う。
残念ながらこうしたことがほとんど話題にすらならずに、一方的にオバマのヒロシマ・ナガサキ訪問だけが俎上に登るというのは、あまりにも欺瞞的に過ぎないか。
あえてもう少し敷衍すれば、ヒロシマ・ナガサキに代表される戦後平和運動というものが少し被害者的な側面だけが強調され、対中国への十五年戦争から太平洋戦争へと継続していった侵略戦争への言及が全くと言って不十分なままに、受けた損害だけを論じていたのでは、先には進まないだろうというのが冷静で客観的な立場だろう。
310万人の日本の犠牲者を語ると同時に、2,000万人とも言われる日本の対アジア侵略戦争の犠牲者をも射程に据えなければ、何一つそれらの本質に迫ることなどできないだろうし、同時にヒロシマ・ナガサキへの原爆投下への言及も、強いメッセージとして国境を越えていくこともできないように思う。
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今、日米における最大の懸案は普天間基地の移設(問題を含む、米軍のグァム移転を中軸とする太平洋部隊の再編成)をめぐる問題であるらしいが、これをめぐっては鳩山政権の閣内はバランバランで全く政権の体を成していないかのようである。
これは、まずは米国側の思惑はさておいて、日本政府の首尾一貫しない対沖縄政策、防衛政策、日米同盟問題というものが、日本の戦後における国家としての基本的成り立ちを様々な領域に於いてあいまいにしたままに今日まで来てしまったことの証しであるのだろうな、という確信に近い思いが拭い去れないのは否定できない。
一言で言えば、第二次世界大戦の敗北の総括が成されず、あいまいにされ、そのままに戦後長きにわたって思考外に置いてきてしまったことの結果である。
その間、結局は米国の好き放題に国土を明け渡し、東西冷戦終了後もなお「思いやり予算」でもてなし、やりたい放題。
その狭間に、沖縄県民の塗炭の苦しみ、被爆者の怨念、戦争被害者の叫び、軍人・軍属の遺族の悲しみが捨て置かれてきてしまっていた。
鳩山政権の無定見には沖縄県民の怒りは爆発寸前。ガマンにも程があるというものだ。
無論これに加えてアジアでの2,000万人とも言われる戦争犠牲者も忘れることはできない。
恐らくは、この度の政権交代は、単に事業仕分けという予算配分の適正化の成果だけに終わるのであっては、本来の与えられた歴史的使命に応えるものではないように思う。
鳩山をはじめとする政権中枢がどのような思いであるかは不明だが、しかし世界と歴史が求める使命とは、様々なものを犠牲とし、あいまいなままに捨て置いてきてしまった多くのものを掘り起こし、上述の方々の亡骸、遺族の方々の怨念を晴らし、誇りを取り戻す、最後のチャンスなのかもしれないと、「買いかぶっている」のだが、どうであろうか。
残念だがそんな覚悟もあるとも思えない面々ではあるが、しかしそうしたところへと踏み込むことなくしては、いつまで経っても自立できず米国の“下駄の雪”状態のまんま、だ、
いつになったら誇り高く自律した国家になれるのか。
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今、NHKでは「坂の上の雲」が放映されている。
視聴してみようと思うが、維新以降、日清、日露戦争を経て「近代国家」形成へと怒濤のように突き進んだ青春群像を描くもので一大スペクタルものとなるのだろう。
ボクは司馬史観を語れるほどの読者でもないので、多くは触れられないが、著者もこの小説の映像化はいささかのためらいがあったことは今般のドラマ化ではじめて知ったが、日清、日露以降のイケイケドンドンの対外侵略が十五年戦争、第二次世界大戦へと連なって行ったことも否定できず、またそれらの結果としての完敗の史実を知るボクらにあっては、呑気にカウチポテト状態でTV画面に向かう勇気も持ち得ない、というのが正直なところだ。
過去を美化するためには、普天間基地問題を抱え、あるいは北東アジアのきな臭い状況に取り巻かれた今日、こうした自分たちが置かれている場所からそれらを照射することができなければ、所詮虚ろなものとしか映らないだろうし、彼ら青春群像に近づくこともできないのだろうな、と思う。
先ほど、数少ない視聴番組の1つである、NHK 総合「クローズアップ現代」を視たが、今日は「さまよう 兵士たちの“日の丸”」とタイトルされたもので、血染めの日章旗が米国内武器オークションで売買されている、との問題に焦点を当てるものだった。
よく知られるように、出征兵士が故郷の家族、友人たちに寄せ書きしてもらい、中央に「武運長久」と大書され、戦地で肌身離さず持ち歩いた日章旗のことであるが、アメリカ兵が戦場から戦利品として持ち帰ったものである。
これを遺族に返したいと、書かれた名前を頼りにその遺族の申し出を待っている元兵士、仲介ボランティアもいるらしい。しかしその多くは未だに不明なままであるとのこと。
当然にも厚労省などにも調査依頼するが、あまり効果もないのだという。(旧陸軍省・海軍省から引継ぎ、遺骨収集事業や軍歴証明書の発行を行ってきたのが旧厚生省であることは知っておきたい)
未だに遺骨収集もままならない、というか、一銭五厘の赤紙一枚で招集しておいて、南の孤島で死に絶えたうら若い兵士の遺骨収集もまともにやらない、この国の在り様からは、真の戦争への総括も必要とされていないようだし、そうであれば21世紀の国のキホンも策定されることなく、だらだらと、(前の首相ではないが)なんとなく〜、進んでいくのだろうか。
「マッチ擦る つかのまの海に 霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや」と寺山が詠んでから早半世紀が経つが、その後今日に至るまでに、果たして一体何が変わってきたというのだろうか。

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