工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

3.11から半年

3.11東日本大震災から半年を迎えます。
亡くなられた方々にはあらためて謹んで心からの哀悼の意を捧げます。
被災者の皆さまには心からのお見舞いを申し上げます。

また私、杉山は他2名とともに震災発生旬日後から緊急災害ボランティアに起ち上がり、被災地へと赴き、被災された方々に寄り添いつつ、ささやかながら復旧活動に専心させていただきました。
また本Blogにおいてはその後も全く不十分ながらも関連記事を上げてきていますが、震災発生後半年というこの時期にあたり、あらためて被災地の現状を踏まえつつ考えてみたいと思います。

この震災の特徴の1つとして、被災地がとても広域にわたるものであるために、被災内容も実に多様で、概括的に捉えることはほとんど無理があるという側面があるわけですが、しかし復興への長い道のりはやっと今始まりつつあるのかな、という感じとともに、国レベルの復興構想すら未だに明確に打ち出されず、地元自治体もどのような復興プランを描けば良いのか、住民との狭間にたち戸惑いを深めるばかりという様相というのが共通して言えることのように思えます。

昨夜のNHKの特番に出演していた平野復興大臣の対応を見ている限りでも、ホントに国は真剣に向き合おうとしているのか、いよいよ不安ばかりが募るという感じで視ていた方も多いと思います。(昨夜は知人らとの会食、打ち合わせで外出していたため、先ほど録画をチェックしたばかり)

石巻市、日和山公園を中継基地として組まれた番組でしたが、災害ボランティア活動で赴いた街であり、またこの公園にも足を伸ばしたこともあり、ついつい身を乗り出して見入ってしまいました。
また3週間ほど前には、いくつかの所用を抱えての東北行途上、この地を再訪していましたので、その思いというのもなおさらでした。

半年近く経過するというのに、そこで見せつけられたた光景、沿岸部の道路、住宅地は一見綺麗に整備されつつあるように見えても、そこかしこに堆積するガレキの山で街の光景は灰色に潰され、息を呑む思いで足がすくむこと屡々でした。
石巻市街の中心部でさえ未だに信号が機能せず、警官の手旗信号というので驚かされたものでした。

TVでは地盤沈下で居住区域にも海水が浸水している中、避難所から戻り2階で暮らす人々、あるいは行政の指導を無視して沿岸部に新たな建築をはじめてしまう人々など、被災者の再起へ向けての活力と、これに全く追いついていかない行政の復興プランと言ったような、まさに無政府状態を見せているのでした。

これは決して被災者を責めるべき問題などでは無く、政府の復興へ向けての政治力、行政力の弱さゆえの過渡的状態としての様相でしょう。

新しく内閣を組閣したというのに、何と臨時国会は4日間だけにしたいとの平野国対委員長の暴言。
全く腹立たしく、いったいこの内閣は何を考えているのかと無力感に襲われます。

加えて、問題を困難にしているのが、何と言っても福島第一原子力発電所シビアアクシデントです。

昨日、知人と会食しつつチェックしたiPhoneから伝えられたニュースは、鉢呂経産相の辞任を伝えるもので驚きました。
この大臣、かねてから脱原発派で、また農政に精通しており、それだけに経産省の懸案であるTPPには慎重だと言われており、個人的には期待していたのですが、経産省役人としてはたいへんな大臣がやってきたというので戦々恐々としていた節もあり、そうした政府内部の力学による、鉢呂新大臣の脇の甘さを突くかたちでの辞任劇であったことが考えられます(本質を見失い言葉尻を捉えての断罪に蠢いた、アホで拙劣な大手メディアの罪深さ)。

「東北学」の赤坂憲雄さんはコラム(「朝日新聞」9月10日オピニオン)で、福島原発とその周囲を『ノー・マンズ・ランド』(無人地帯)と語り、これは多くの人が認識しているはずのこととして、一貫して真実を語る事を回避してきた政府の怠慢、ウソを指摘していますが、鉢呂経産相の発言への冷静さを失ったメディア、世相の評価は、より真実から遠ざかることのみに汲々とする今の日本の浅ましい姿の表れと同じ文脈のものでしょう。

あるいはまた、新たな内閣の布陣を視ましても、この大震災への復興構想がどのように描かれるのか、とりわけ福島第一原子力発電所シビアアクシデントをどのように対処しようとしているのか、全く見えてきませんし、果たしてこの新しい“みつを”首相に3.11後の東北の、そして日本のグランドデザインが描けるのか、不安で不安でほんとに滅入ってしまうのです。

このような出口無しの状況は突破せねばなりません。
3.11を受けて見いだすことのできる希望というものは、徹底した除染を進め、これまでのパラダイムを根源から見直し、再生可能エネルギー戦略へと思考をシフトさせ、そのことで新たな産業を起ち上げ、被災地を特区とした新産業立地政策の推進を図るといったような、世界に誇るような国家プロジェクトを進めるしか無いだろうと思うのです。
まさにパラダイムシフトが問われているのです。

こうした課題を前にして、この3.11福島第一原子力発電所事故の衝撃めぐっては、特に若い人々の鋭敏な感性からする反原発、脱原発を志向した街頭行動への澎湃たる起ち上がりというものは特記しなければならことの1つでしょう。
シビアアクシデント3.11という近代史に黒々と記憶されることになった事態の中で、希望というものがあるとすれば、圧倒的とも言えるボランティア活動への起ち上がりと、このような新たな市民運動であることも間違いないところです。

今日11日から1週間、19日の明治公園における5万人集会、デモンストレーションへと向かって「脱原発アクション」が展開されます。(詳細はこちら

私もこうしたサイバー空間でごちゃごちゃ語るだけではなく、この運動の一端を担わねばと考えているところです。
2011年を生きる市民の一人として、3.11への責任を果たしていかねばならないのです。

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