“プロダクト的思考”と“手作り家具”
Top画像は、個展会場に展示した座布団椅子のラダーの部品。
1,200Rの円弧状のパーツに枘を付けたところ。(材はオニグルミ)
この後、小さな坊主面を取り、サンディングに掛かります。
1台、11本のラダーが必要ですので、会場に展示した3台ですと33本。
歩留まりを考慮し、40本ほど作ります。
今回は改良を施しましたので試作的な意味もあり、3台分の分量ですが、通常は10〜20台分ほど作ります。したがって、その数、110本〜250本ほどに。
これをいかに高精度、高品質に作るかは、この椅子制作上における1つのキモにもなってきます。
“手作り家具”屋さんは、この場合、どのようにして作れば良いとお考えになるでしょうか。
- 板に墨付け
- 帯鋸で荒木取り
- 1,200Rの型板を造り、ハンドルーターで倣い切削
- 円弧状の部位を手鉋で仕上げ
- 昇降盤でホゾ取り
といったプロセスでしょうか。
2、の「帯鋸で荒木取り」ですが、手作業になりますので、高精度にカットしていくのは至難。眼と鋸刃と手先に集中力が途切れぬようしなければいけませんが、数百本分を維持するのは大変です。
ここを高精度に切っておかないと、次のルーター切削では、負荷のバラツキが大きく、作業上、危険性が増します。
3、の「ハンドルーター切削」ですが、ジグ造りからして、大変な作業になるでしょうし、被加工物が細く、また円弧状という形状からして、必然的に強い逆目切削も伴ってくるため、かなり危険な作業になります。
いやいや、ここは手鉋(小鉋、反台鉋など)でしょ、という人もいるやもしれません。
しかし、250本ともなると途方に暮れてしまいませんか。
荒い肌目ですので、数丁の鉋をとっかえひっかえしながらの作業。
そのうち鉋の切れが甘くなるのはもちろん、裏も無くなり、裏打ちを始めてしまうことにもなりかねません。
4、強い逆目切削ですと、首尾良く切削できても、どうしても逆目切削による肌荒れが強く、手鉋での仕上げが必要となります。
円弧の精度維持も困難でしょうから、TOP画像のよいうにはいかないでしょう。
5、のホゾ取りですが、ここでも円弧状であるために、胴付きを施すにも、相当な困難を強いられます。
カネの精度を確保するのも至難でしょう。
こんなのを昇降盤で作れ、などというのは、しょせん、無理筋と言っても良いかも知れません。
さて一方、私の場合、以下のようです。
- 板に墨付けはしません(そんな無謀な?)。
- 型板も作りません。
- 鉋も使いません。
- 昇降盤も使いません。
用いる機械は帯鋸、面取盤(あるいはルーター盤)、ホゾ取り盤。
もうお分かりの方も多いと思いますが、正Rを挽き出すのは、超簡単です。
Rの中心点を軸として円弧運動すれば良いだけです。
比類無い高精度の切削ができてしまいます。
帯鋸も、面取り盤(ルーター盤)も。
面取り盤、ルーター盤の違いは、刃が上か、下かの違い、および、回転速度、刃径、つまり周速度の差があります。
さらに面取り盤は、刃と、被加工材の運行の関係は、不動ですが、ルーター盤では昇降させることが可能ですので、より作業性は高いです。
しかし面取り盤は上述したところからもお分かりのように、逆目切削にも強く、切削肌が美しいという比較優位性があります。
それらを自覚的に優位判断し、使うことになります。
これらの機械を含む、うちの設置機械は、小規模の木工所と同等か、それ以下でしょうか。
いずれも汎用機械ばかりです。
そんな中で高品質で快適な木工をするためにもルーター盤はたぶん必須ですし、高速面取盤もそれに次いで良い働きをしてくれます。
なお、ルーター盤を設置されていない場合、ハンドルーターでも同様の正Rを挽き出す手法はあるでしょう。
1,200Rのコンパスを作れば良いわけです。
作業性はルーター盤の数分の1になるかもしれませんが、型板を造るよりははるかに安全で、作業性は高くなるでしょう。
また松本民藝家具で修行させて頂いた事から、ホゾ取り盤の有能さは知っていましたので、起業5年後に導入。
ただホゾ取り盤の活用は、もっぱら、この円弧状の部品のように、異形な部位へのホゾ取りに重点が置かれ、通常の框組の加工では使うことは稀。
アナログ的なマシンですので設定が難しいという問題があり、加工対象が少ない場合は、かえって面倒なので使いません。
昇降盤でさっさとやった方が早いということになります。
元々、このラダー制作のような異形なものへの枘建てを目的とした導入でしたので、それで十分なのです。
昨夜、ある木工家との電話での話。
丸鋸が壊れ、更新機種についていろいろと考えた末、Festoolの丸鋸をレール付きで購入したそうです。
そのすこぶるな快適さに、買って良かったとの感慨を漏らしていました。
私も欲しい〜と、その選択の賢明さを讃えたものです。
Festoolですので、相応の価格帯であるわけですが、その価値を見出せば、十分に購入に値するという判断になったのでしょう。
その時代の、最も優れたマシンを使うことで生産合理性を図り、工房システムを進化させ、決して楽な仕事では無い木工を楽しみ、良いモノを社会に問うということに繋がりますので、健全な考え方だろうと思います。
“プロダクト的思考”というのは、設計指針における思考に留まらず、加工工程においても同様に、徹底して制作合理性を追求し、高精度なものを作るためにも欠かせぬ思考方なのです。
この記事は、ラダーの写真を何気なくTwitterに投稿した際、円弧状の重なった部分が寸分の隙もなく並んでいるところに、プロダクト的な美しさを覚えたところからのものでした。
ただ私は、造形物の美しさは、もちろんプロダクト的な端正な美しさだけではない、ある種の破調、つまり歪みや、類型的では無い固有の形状などに宿すという真理も忘れてはならないと思います。
ウィリアム・モリスの「機械工業化で失った手業の復権」って奴ですね。
椅子のスピンドルなど、一度ロクロで成形したものをあらためて手鉋などで、形状を崩し、肌を荒すなどということが比較的一般に行われているように、作業合理性を追求しつつも、あえてそこを手業を加え、逸脱するという現象も、ポストモダンというのか、自己矛盾というのか、考えて視れば面白いものではあります。
その時代の産業技術を積極的に取り入れることはすべきです。
いつの時代の木工も、その時代の技術体系に踏まえたものであったはずです。
ただ、モリスの、工業化社会の中で失われていく、手作業が産み出す工芸的スピリッツ、作業者の喜びを捨ててしまうことの無いよう、自覚的に臨むことができるかどうかが、産み出されるものの価値の在り様を規定することになります。
ウィリアム・モリスは、近代における〈アーツ&クラフツ〉の提唱者、室内装飾のデザイナーとして紹介されることがほとんどですが、実は彼は名高い社会主義者であったことは、日本では余り語られる事は無いのですが、その彼の思想から読み解けば、疎外労働としての職人から脱して、自らが主体となった作り手になろうぜ、ということでもあるわけです。(「社会主義―その成長と帰結 [著]ウィリアム・モリス、E・B・バックス」)
時代に背を向けるのでは無く、これをポジティヴに受け入れつつ、頭と手を良く動かし、社会的に有用なものを創り出す喜びに、誇りを持って打ち込む、ということもまた、現代におけるモリスの復権の1つの在り様ではないかと思うのです。(本稿、まだ続きます
キコル修羅ABE
2016-4-13(水) 23:27
だれかイラスト化し
技術解析プレゼンを
仕事にしればいいの
分かりやすく図解し
身体記憶視覚化する
専門家が必要ですね
文章ではぐっとこず
デザイン解説仕事は
特別なセンスがいる
創造的仕事になるで
デザインスクール生
気がつかないかなー
ドンドコ映像記録を
お願いしませう
artisan
2016-4-14(木) 10:22
木工関連雑誌への紹介記事の際、雑誌編集部から依託された外部のイラストレーターとのやりとりをしたことがありますが、まさに専門職としての資質を持たれ、奮闘してくれたものです。
残念ながら、ヘタレなBlogerとしては、こうした専門職を雇うことは叶わず、
自力更生でいくしかありませんね。
毎度毎度、恐縮至極でござります。