工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

安倍晋三内閣総理大臣の時代は終焉に向かうのだろうか

安倍首相の突然の辞任

在任7年と8ヶ月を数えた第二次安倍政権は歴代で最も長期政権を担ったとのこと。
第一次安倍政権が1年余りの任期途中で投げ出された理由でもある潰瘍性大腸炎の再度の悪化だとされる。

この辞任会見の1週間ほど前から、慶応大学病院への通院を事前にメディアに明かし、大々的に報じられるというとても不思議な光景を見せつけられた後の辞任で、いかにも、という感じだった。

一般には国家のトップの健康問題は第一級の機密事項とされるという、いわば世界の常識からはかけ離れたこの行動はあまりにも不自然で、病気への憐憫の情を動員するものと、多くの人が受け取ったのはたぶん間違ってはいなかっただろう。

病気は難病指定の治癒困難なものであるようだが、これまで8年近くにわたる良薬などによりコントロールされてきたものであり、辞任後も入院することもなく、さらには通院治療する様子も無く、TVカメラの前の表情はさして以前と変わるものでも無さそう。

8月28日の辞任会見においても、今後も新たな総裁にはしっかりと協力してきたい、などと盛り込むあたり、まるで院政を敷くかのような意志の表明に至ってはむしろ元気そのものと思わされた。

昨11日には「首相の談話」なるものを発し、イージスアショア導入の断念を受け、「敵基地攻撃能力」を念頭とした新たな「ミサイル阻止」の安全保障政策の提言を行うという、まったく辞任を控えた首相の振るまいとしては実に異様な振る舞いを取っている。(時事

辞任前数ヶ月間の報じられている会食でも、ステーキを中心にヘビーな食事を摂っていることが各紙が報じてきた「首相動静」から読み取ることもでき、この健啖家にしてどこに潰瘍性大腸炎悪化の気配があるのか、辞任理由としてはなかなか理解が難しい。

報道陣からの慶応病院への担当医の記者会見、あるいは診断書開示要請にもまったく応えようとされないとなれば、いよいよ謎めいた病態ではあるだろう。


さて、年初から日本及び世界に襲いかかったCovid-19 新型コロナウイルスへの安倍政権の対応はことごとく失敗し、問題が人々の生活に直接的に関わる事から、これまでの他の多くの不祥事に蓋をし、乗り越えてきた事案とは異なり、強い批判が沸き起こり、ついには内閣支持率は30%台から20%台へと急落するという、これまで在任7年と8ヶ月の安定した政権運営とは大きく異なるモードに陥りつつあった事は間違い無い。

唐突な学校一斉休校から始まり、2020東京五輪の1年延期、PCR検査体制が他国と較べても全くお粗末な実態、ステイホームの大切さを啓蒙するものだったのか、星野源の「うちで踊ろう」優雅に寛ぐなおうちビデオ、経産省主導と言われる安倍政権ならではの GoToトラブルキャンペーン等々、そしてたぶん分かりやすさでは決定的だったのだろう、466億円が投入されたという、あのアベノマスクの戸別配布。

多くの対策が政権の思惑を大きく外れ、そのいくつかが笑いぐさにされるに至っては、いかに長期政権の末路とは言え、目を覆うばかりのあまりにお粗末さで、自民党内からの批判も露わになるにいたっては、首相自身、相当に参っていたのだろうことは想像に余りある。

無論、これらの施策のほとんどは官邸を支配する経産省から送り込まれた今井尚哉総理秘書官などによる示唆と、政策起案だったのは明らかだとしても、遂行者と責任者は誰あろう、安倍晋三首相その人。

閣僚含む与党幹部連の誰一人あのアベノマスクを着用することが無い中、ひとり安倍首相だけが頑なに数ヶ月にわたって使いつつけていたのも、自らがアベノマスクの責任者である事を内外に宣明するようなもので、嘲笑を持って迎える人も多かったと思うが、私はアベノマスク責任者として立派な行動だったと評しても良いと思うほどだ(因みに我が家に来た2枚のアベノマスクはホームレス団体に寄付)。

様々な対コロナ施策で失態を演じてしまい、任期1年を残すものの、もはや解散を打つだけの力量も無ければ、起死回生の政策を創造することへの意志も失せたのだろう、熟慮のあげく、残された1つの道、首相辞任へと決断に至ったというのが本当のところなのだろう。

プロ野球選手の現役期間の争いじゃあるまいとは思うが、歴代最長の大叔父・佐藤内閣の任期を超えたところで、これを餞として決断に至ったのではないだろうか。

メディアを含め、意外と多くの人は病気での辞任であり、7年と8ヶ月の政権を担ったことに慰労の思いから、それまでのいくつもの不祥事、問題を封印することを許容するかのような話しも散見される。武士の情け、とか何とか・・・。支持率もこれを期に大きく反転してるのだという。

しかし、コロナ禍における安倍政権の対策への検証をはじめとし、モリカケ桜などの問題、安倍政権の守護神と言われた黒川検事正の定年延長問題、法相だった河合夫婦の公職選挙法違反の問題を忘却の彼方に置き去り、封印し、新たな政権を迎えれば事済むものだというものではないだろう。

政権序盤に強行された集団的自衛権の行使を可能にする新安保法制、特定秘密保護法、共謀罪などは、憲法体系そのものを深く傷付け、戦後日本の国家の姿を変容させるものであり、安倍政権の置き土産にしてはあまりにも負の遺産と言わねばならない問題であり、辞める前にきっちりと落とし前付けろよ、と言うのが餞の言葉でなければならないはず。

安倍首相の辞任会見

なぜ かくも長き7年余の長期政権が続いたのか

最長の政権としての評価だが、なぜここまで長期に担えたのか、という側面だが、ここには明らかに戦後政治の質的変容、バブル崩壊以降の日本経済社会の大きな変化が背景にあるのだろうと思う。
安倍政権を高く評価する人々のほとんど全てが株高を筆頭に上げている。いわゆるアベノミクスがいかに奏功したのか、という話し。

日銀と一体となったゼロ金利政策などという無制限な金融緩和による円安誘導、国債と株の買い取りで株高を維持した結果としての株高であり、しかし日本社会はどうなったのか。実体経済はどうなったのか。

雇用拡大を評価すると言われても、非正規労働者ばかりが増大し、実質賃金は下がる一方。デフレマインドで何とか喰えてきたが、それも今では底が抜け、日本社会は分断と貧困者があふれてきてる。
そもそも、生産年齢人口は少子化によりこの10年間に700万人もの減少があり、働き手不足になっていて、その結果、統計上の数値から雇用回復に見えるだけ。

また実質経済成長率を視ても、安倍政権下では「悪夢の民主党時代」時代よりさらに悪い、というのが実態。
首相会見などでは、いつもこうした実態を隠し、都合の良いように統計数字をつまみ食いし、さも成果が上がっているかのように装う。
8月28日の辞任会見の中では、安倍内閣における主要政策の根幹を為す「アベノミクス」に関しては何1つ触れられることは無かった。触れようにも総括のしようが無いほどにズタズタな内容だったからだろう。

第二次安倍政権の成果とは?

私が常に疑念を抱いてきた、アベノミクス三本の矢の最後の「成長戦略」だが、7年余を経て、どこにその姿があるというのだろう。
インバウンド観光ならばまだしも、カジノが成長戦略とされるに至っては、もはやこの国はギャンブルで食いつないでいこうとしているのかと、ただただ呆れ、やがて哀しくなってくるばかりだ。

また一部には外交を高く評価する向きもある。
辞任の際の岩田明子NHK記者は、「地球儀を俯瞰する外交」などとして、海外訪問国の多さを誇り、赤面するほど誇らしげに褒め称えていたが、いったどんな外交成果を収めたというのだろう、寡聞にして聞いたためしがない。

せいぜいトランプと唯一とも言って良い仲良しこよし。
世界から嘲笑の的とされる自国優先主義のトランプのケツを舐めるような二国間関係が、はたして健全な外交関係だとでもいうのだろうか。

プーチンとの外交もかつてないほど会談の回を重ねたらしいが、二国間の最大の問題とされる北方領土の返還問題はこの間、どれだけ引き寄せる事ができたというのだろう。
むしろプーチンを頑なにさせ、四島であれ、二島であれ、遠ざかっていくだけの8年間では無かったのだろうか。


極めつけは拉致問題だ。
安倍晋三首相が、若くして自民党内の階段を一気に上り詰めたのは、小泉内閣の官房副長官時の拉致問題における対応だと言われている。

これが日本社会の中の北朝鮮憎しの空気を一気に醸成させ、そのことで安倍晋三の人気を爆発的に向上させることとなり、そのままの勢いで第一次安倍政権へと勝ち上がっていくこととなる。

安倍晋三のサクセスストーリーにおける主旋律はこの拉致問題と、それをテコとした民族排外主義と、嫌韓、反中による人々の政治的動員に大きく依っていた事はこれまでの政権には無かった特異な体質だったと言えよう。

しかし、この「拉致問題の解決は、安倍政権でしか為し得ない」と断ずる政治意志と、被害者家族への説得の結果は果たしてどうだったのか。

スーツの襟にブルーバッジを常に付け、いかにも拉致問題をアピールしているかのように見せながらも、残念ながらこの7年余の間、拉致被害者の一人とて帰国することも無く、あるいは北朝鮮国内からの確たる関連情報が届けられることは無く、結局は1mmたりとも進展することがないままに虚しく日々を重ねるだけだったというのが冷厳なる事実では無いだろうか。

進展するどころか、小泉純一郎政権時に交わされた「日朝共同声明」は全く実行に移されること無く棚上げされ、北朝鮮による核武装、ミサイル開発にも手をこまねくばかりで、何らの直接的外交の試みすら無いと言った、実に犯罪的な無外交の7年余で、東西冷戦終結後では、もっとも危機的な事態に陥っているのが実態。

北朝鮮当局によ日本人拉致は実に非人道的な犯罪であり、許されざる断罪されるべき問題だ。
ただちに拉致被害者を解放し、自由の身にするべきなのは言うまでも無い。

当該の被害者、および家族にとっても一刻の猶予も無い中にあって、安倍晋三首相はこれに遠吠えはするものの、何一つ有為な外交の展開は無く、ただただ北朝鮮憎しの印象操作を固め、「外交やってるフリ」だけで、自分への政治的支持の調達のためだけに、いいように使われているというのが実態。

つまりは、「拉致問題を解決させず、宙ぶらりんにしておくのが安倍政権にとっての有利な方策」と見做しているかのようである。
北朝鮮との外交軍事関係を常に危機的事態に置き、フレームアップすることで国内における差別排外主義を正当化させ、政治的調達の資源としていく。
当然にも、この戦略は拉致問題を解決させてしまえば使えなくなるわけで、有効足り得る方策としては、宙ぶらりんにしておくのが最善の道というわけだ。

…でなければ、7年余の無為に過ぎていく日々の積み重ねをどう説明すると言うのだろうか。
なれば、1mmたりとも進展していない今日の事態というものは、彼は裏では余りある成果を挙げたものと密かに総括しているやも知れない。

安倍政治がもたらした政治不信と日本社会の疲弊

アベノミクスの隠された実態、そして新安保法制の強行にみられる憲法体系への侮蔑的な眼差しと破壊工作。モリカケ桜を初めとする盛りだくさんな政治の私物化と、説明責任の放棄。さらにはそれらの過程で演じられた公文書の改竄、のり弁文書、などは有能なノンキャリアの官僚の自殺を招くという痛ましい事件をも起こし、それら全て、未だに説明責任を果たさず、逃げ切ろうとしている。

悪事を働き、露顕しても詫びるどころか、何1つ責任を取ろうとはしない。
閣僚の不祥事に際しては、記者の厳しい質問に「責任は私にあります」と繕うものの、その責任はこれまで1度たりとて果たした例しがない。

その閣僚には「本人が説明すべきこと」として、その本人が何ら説明せず逃げるのを許し、それで鎮まるのを待つだけの繰り返しというのが実態。

こうした繰り返しは悪事を働いても逃げれば良い、と言ったように、日本社会の公正への信頼を失わせ、政治不信を招くだけの7年余だった。

あるいはそうした権力者、また権力者からのおこぼれを頂戴する人々への「あいつらだけ巧いことしてやがって・・・」とする荒んだ妬みの空気を醸成し、いよいよ日本社会の荒廃は底が抜けていく

中央官僚では途中退職が増えているというし、学生の官僚志望者も年々減少傾向とのこと。
国家を牽引するような立派な仕事をしたい、として公務員試験にチャレンジし、勇躍霞ヶ関に席を設けたものの、先輩連中は上司や政治家の忖度やヒラメばかりで、正論がまったく通らない。あるいは公文書の改竄まで求められる、といった風で、夢破れ、精神疾患をきたし、霞ヶ関を去って行く。


Covid-19 新型コロナウイルス対策においても経産省主導の官邸指令であったがため、「人の命より経済」とばかりにその対策は後手後手のちぐはぐなもので、「やってる感」だけに汲々とした施策の数々。さすがにこのコロナへの他国の指導者への支持率を見較べたとき、ほとんど最低ランクに陥り、安倍首相のストレスを高じさせたのも間違いの無いところなのだろう。

もちろん、コロナ禍は日本に留まるものでは無く、均しく世界大的な拡がりを持つので、各国リーダーの感染症対策はさぞ苦難に満ちたものであることにおいて何ら日本と変わるものでは無い。
しかし、その政治指導者による感染症への対応と、それへの市民の評価は実にバラエティに富んでいて、危機の時代にどう国を牽引していくのかという真のリーダー像というものがふるいに掛けられて、見事なまでのコントラストとして表されている。

右図は東京新聞に掲載された「自国のリーダーがコロナ危機へ適切に対応できているか」を問う調査結果だ。(米独のPR戦略会社「ケクストCNC」により日米英独仏などを対象に7月に行われたもの)

なかなか香ばしい結果となって表れているではないか。

こうして危機の時代に即応できる指導者では無かったことを突き付けられ、嫌になってしまったという「自認」こそが、自ら辞任という選択にいたった主因なのだろう。

さて、辞任で安倍政権の悪事がすべてチャラになるとは到底思えないし、既に政権下で起きた様々な不祥事に関わるいくつもの訴訟を抱えており、それらの司法的な決着はさらに先のことだ。

もっと言えば、上述したように、国の依って立つ安全保障、憲法九条に関わる新安保法制など、いくつもの強行採決で法制化されたものなどは取り返しがつかない状況であるわけだが、新たな民主主義的な政権下で、これらを無効化することも決して不可能なことでは無い。

ところでここ数年、世界の主要なメディアは、拠点を構えるアジアの都市として、それまで東京に置いていた支局を、シンガポールや、韓国、タイ、香港(民主化運動への弾圧で、変わりつつあるようだが)などに移転しつつあるのだという。

NYTなどはアジアの拠点を以前より香港に置いていたのが、香港への中国共産党による民主化運動への激しい締め付けなどから、移転を迫られ、結果、東京を選ぶのかと思いきや、何とソウルにしたというので大きな話題になっていた。韓国嫌いな人にはバッドなニュースかも知れないが、クオリティペーパーの企業理念からすれば、東京より、ソウルという結論に至ったのはそこにある含意を考え巡らせば、その意味は決して浅くないとだけ言っておこう。

それだけ、東京という拠点が報道対象として意味が希薄化しているという現状を指し示すもので、日本という国の地盤沈下をいみじくも表す表象の1つなのだろう。

いずれにしても、日本の社会経済力を削ぎ落とし、世界から高い評価を受けてきた憲法九条などを傷付け、トランプ米国に追従するだけで、「戦争準備態勢」を強行的に推し進めてきた政治的調達の資源は、やはり野党を圧倒するだけの有権者の支持によるものであることは否定できず、つまりはこれらの様々な安倍政権下の問題は、結局は私たち一人ひとりの政治意志の反映というわけだ。

問われているのは個々の私たち。

民主主義的手続きを疎んじ、数の力で強行採決し、ヘイト紛いの嫌韓反中を旗頭にするなどと言う、東アジアの盟主であったはずの日本を貶めてきた安倍政権も、民主主義的手続きである総選挙で幾度も押し上げてきたのは私たち。
ここに還元される客観的事実は実に重く、やはり問われているのは個々の私たちというところに帰結されてしまう。

おわりに

本拙稿「安倍晋三内閣総理大臣の時代は終焉に向かうのだろうか」の「終焉に向かうのだろうか」との疑問形だが、他でも無く自民党の安倍政権に代わる新たに構成される内閣の姿勢を指す。

アベ政治を「継承する」と語る管官房長官が総裁選に立ち、何やら最有力候補、いや既にこの総裁選の火ぶたが切って降ろされる前に、既にこれが既定路線だと言わんばかりの風潮からの謂であり、大変な状況になっているようなのだ。

まるで安倍政権・菅内閣、といった二重権力状態が表れる可能性すら取りざたされ、そうであれば、安倍政権下での悪事、不祥事がまったく封印されるばかりで、人々の鬱屈した気分は一段と悪化し、日本政治はズタズタに引き裂かれていくことになる。

第一次安倍政権が1年足らずして投げ捨てられた際、これを継いだ福田(康夫)政権は、強行採決を繰り返すなど、安倍政権下の失政で進んでしまっていた政治不信の解消と野党との協議を再構築するなどして、それまでの安倍政権と大きくイメージを変え、期待を持たせてくれたものだった。

この度の任期途中での突然の辞任はこの時と相似形であるわけだが、果たして福田(康夫)政権のような空気を変えてくれる総裁が誕生するのか、そうではなく なんちゃって安倍政権が継続していくのか、注視していきたいと思う。機会があれば、それについても考えて見ようと思う。

暫くは、次期総裁=新しく組閣される内閣の首相がどのような国家像を描き、この秋から冬に掛け、インフルエンザとともに、間違い無く再拡大されるだろうと言われるCovid-19 新型コロナウイルス禍への対応をどのように提示してくれるのか、問題山積のこの日本を牽引し行く船長の姿をしかと見据えていきたいと思う。

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