工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

X-Y軸の傾斜(椅子制作の魅力)

椅子の文化史的発展に関しては、その世界史的文脈から遅れてきた日本ではあってもいくつかの専門書があるほどだが、これはまた技術史的文脈としても同時に語られなければならないテーマでもあるだろうね。
椅子の歴史は古代エジプトのファラオの玉座から始まると言われるが、直立した背と水平な座にヒエラルキーを付与するためのデコラティヴな装飾、という構成であり、これは決して座り心地が良かったとは到底思えないものだろう。
近代の「身体」から考えられたデザイン、構成というものに接近するまでにはその後4,000年以上の時間が必要とされた。
いろいろと説はあるものの、バロックからルネッサンス様式の時代に来てやっと「身体の快楽」から要請される設計、意匠になってきたようだが、ご存じのように椅子に限らず宮廷には様々な目的と機能を満たすための家具、調度品が所狭しとが置かれるようになったのもこの頃からだった。
無論技術史的にもそうした求めに応えるための発展があってはじめて可能となったのは言うまでもない。
その後、いよいよ機能美から装飾性を強く意識した椅子を含む家具の発展があったわけだが、しかし今では装飾は悪であるかの如くの現代に生きる我々家具職人としては、どのようなデザインの家具が時代から求められているか、なかなか読み解くことの困難な場に立ち竦んでいるかのようだ。


ノミ

しかし椅子に関して言うならば、求められる「身体の快楽」という概念は、近代以降何も変わっちゃいないことだけは明らかだろうね。
過度な装飾性を超え、いかに近代の知的資産、あるいは美の体系を「身体の快楽」に体現させるかがポイントとなろうか。
ここで言う知的資産とは近代知とも言われるところの近代というパラダイムの概念を構成する重要な要素の1つであるわけだが、当然にもそこには技術史的発展の成果を含むことは言うまでもない。
木工という技術体系が現代の産業技術の中にあっていかに古色蒼然としたもののように見えるとは言っても、近代という枠組みにおいては優れて高度に発展したものであることはもっと自信を持って語られるべきだろうと思っている。
ボクに対し、折りに触れては木工に係わる多くの知的資産を授けてくれる先輩のデザイナーがいるのだが、この碩学に言わせれば日本の伝統木工芸のシステムは、時空を超えた普遍的なテクノロジーである、ということになる。
アームチェア大和2さて右画像はボクの「アームチェア大和」の部分だが、タイトルにした「X-Y軸の傾斜」とはこのアームの束部分を指したもの。
妻台輪からアームに掛けて、正面側と左右外側に掛けて、それぞれ幾分傾斜させているのだが、言うまでもなくこれは肘部分を座から少しでも外側に位置させることでヨリ安楽な姿勢を保つためのデザイン設計処理である。
また台輪の接合部からアームに掛けて部材を細く絞り込んでいるのも、それをヨリ効果的たらしめんとする処理であり、またここが重要なのだが、これをヨリ視覚的に強調させることを意図したものでもある。
因みに正面側に、やや円弧状に、また徐々に細く反らせているのも、外側への傾斜と併せ、共同歩調を取らせた結果である。つまり単純に言えばバランスだね。
ノミ

デザインとは個々のディテールの集積でもあるわけだが、それらが単独で完結しているものというわけではなく、それらが有機的に関わり、全体のフォルムを起ち上がらせるという関係性にこそあるだろうと思う。つまりそれぞれのディテールのデザインも“意味”があるということだね。
これらのディテールが如何に巧緻に考えられていても、それらがばらばらに主張しているようでは本末転倒。
さて、このアームチェア、全体のフォルムとしては過度に曲線を持たせず、できるだけリニアなラインで処理しながらも、「身体の快楽」を確保するためのデザイン処理、仕口の検討には腐心した積もり。
以前も触れたようにこの椅子に関しては過度にごゴツくさせず、軽快に納めたかったのでそれぞれの部材を細身にしたのだが、「身体の快楽」を満たしながら、椅子における大切な要素である「身体をしっかりと支える」構造体の確保という、これら三者の求めに応えるためのデザイン、および仕口処理においてはいくつかの解決すべき課題があったのは言うまでもない。
こうしたことへの取り組みというものが椅子制作における要諦であるわけだが、しかしこれはまた他にはない独特の魅力ともなっているだろう。
ノミ

こうした要請に応えるためには、その技術的処理はより高度なものにならざるを得ないが、現代に生きる職人に託される信頼に応えるためにも、これは当然にも解決していかねばならない課題だね。
先述したように技術史的発展の果実を手にする我々としては、これらは何ら困難なレヴェルのものでもないわけだから。
むしろ問題なのは、成熟した社会に生きる木工職人がおちいりがちな陥穽、技術体系の成果というものを横目で見つつ、そんなんめんどくさいし、コストに合わんから、やらん、という自己欺瞞の誘惑の方かも知れない。
今回は1つのディテールについて取り上げたに過ぎないが、椅子にはこうした要素が他にもいくつもあり、我々木工職人としては創造性を掻き立て、魅力にあふれたジャンルであるだろう。
アームチェア大和1

《関連すると思われる記事》

                   
    
  • 椅子の場合はX-Y軸はもちろんのこと、Z軸も
    加わった3次元になっていますので、より平面的な箱物に較べて、難しさ、魅力があるのだと思います。
    東京で行われている葛城さんの個展を拝見して来ました。
    artisanさんの作品とは、また違った難しさ、魅力があるようです。

  • acanthogobiusさんはどのような椅子を作られるのでしょう。
    >葛城さんの個展を拝見
    このところ精力的に個展を展開されていらっしゃるようで、
    すばらしいことですね。
    椅子はウィンザーが基本のようですが、
    スタンダードを目指していらっしゃるようで頼もしいです。
    多くの成果が上がることを願いましょう。

You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed.