工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

椅子制作、いくつかの覚え書き

Lam2000 工房 悠

はじめに

猛暑が襲いかかっています。木工に従事されている方々の体調が懸念されますが、いかがお過ごしでしょうか。

梅雨入りの期間は記録的な短さで驚きましたが、これが気象変動というモードの1つの表象という認識が正しいとすれば、大変な時代に突入したんだなと、妙に得心がいく昨今ですが、この猛暑を凌ぎ、収穫の秋を準備する時期として淡々と勤しんでいきたいものです。

前回に引き続き、椅子制作における木工の要諦について、いくつか書き記しておこうと考えています。

椅子制作は部品1つ1つにいくつもの加工工程があり、またそれらの加工工程のいずれもが傾斜角や曲線で構成されていることが多く、直線と定常的な角度で構成されるハコモノなどと異なり、柔らかな思考と柔軟なアプローチが必要です。

こうした制作手法は一般的な木工技法を基軸としつつも、椅子制作特有の領域も多く、こうしたところへの個別のアプローチにおいては制作者固有の技法を取ることも多く、どれがベストな手法なのかを定義づけることはあまり意味のあるものでは無いように思います。

ここで紹介する手法はあくまでも40年近い木工稼業の中から編み出した私なりのものになります。

ただその中にはいくつかのエッセンスが詰め込まれているかも知れず、そうしたところを読み取っていただき、必要とあらば取り込んでいただければうれしいです。

ところで、椅子制作固有の問題として、傾斜角、曲面などのアプローチが多いところから、一般的な木工技法からは精度の確保が難しかったり、生産性に問題を抱え込むと言うこともあるでしょう。
加工精度や、生産性の低さをどのように解決していくのかは、椅子制作における大きな課題です。

これらの工程をいかに高い精度を維持しつつ、生産性を高めるかに、プロとしての腕が問われてくるところです。

そうした観点から数回にわたり、加工工程ごとに、その考え方、アプローチ、手法についての要諦を考えていきたいと思います。

設計図

まずデザインPlanを練り上げたならば、現寸で設計図を描きます。

設計図
アームチェア Yuh2022 の原寸図

四角四面の学童机などであれば、ラフスケッチ、あるいは1/10程度の簡単な設計図で事足りるでしょうが、傾斜角を持たせる、さらには曲線部位が多くなるような場合、やはり現寸で描いた方が、造形の良否を掴むにも、加工上も、何かと都合が良いものです。

正面図、側面図、上面図の三面図を描き、ここから椅子としての機能を満たす構造的な要請を確認したり、目的とする意匠が果たして狙ったものであるか、現寸で視認し、必要な微調整を施します。
(うちでは788×1,085mmのサイズに、50mmのセクションが入った模造紙を使います)

この設計図から、目的とする意匠を叶えるため、もっと接合強度が出せ、あるいはより合理的な仕口は無いのか、木工加工上、無理や無駄は無いのか、それまで培ってきた木工手法を総動員させ徹底的に追求します。

さらには個々の部位を組み上げた時の傾斜角などを確認し、接合部の枘における寸法の割り付けなど詳細な仕口を確認していきます。
現寸であることで細部の確認が視覚的に認識しやすくなります。


ところで、曲線の描き方が問題になってきますが、この手法は様々です。

Illustrator やドローソフト、さらにはCADが使える環境であれば、ベジェ曲線を駆使し、目的とする描線を獲得することができるでしょう。

そうした環境が無ければ、大型の雲形定規、円弧定規、あるいは大型のコンパスを使ったり、時には60cm、1mのステンレススケールの弾性を利用し、これで任意のカーヴを創り出すのも良い方法です。

ここは制作者の意思、デザイン志向に深く関わってくるところですので、その描線の描き方は個別具体的、多様なものになりますが、私は意図するラインがいかに無理なく、自然な形状であるのかを意識することを大切にしています。

動植物をはじめ自然界の物には一切の無駄が無く、統制の執れた物象で成り立っていますが、古来より人が遺してきた事物、芸術品などの多くにも、そうしたものが主体になっているように思いますし、人の美意識の古層にはそうしたものを無意識の中から選び取っているように感じることが屡々です。

“美は細部に宿る”ということも真実であれば、全体のフォルムを俯瞰的に見据え、美しく無いところをシェイプアップしていくことも重要です。

曲線の描写は、それ自体に意味が発現されるものですので、目的とする全体の意匠にどう有機的な関係性にあるのか、といった理念が大事です。

木工家の手による 椅子のデザイン・設計について

今回の椅子づくりもそうですが、若い頃はそうした観点が十分では無く、無意味に造形することもあったように思います。
描いたラインについて果たして他者にきちんと説明できるものなのか、全体のフォルムの中で、どう関連付けられるのか、そうした意識があってはじめて、ディテールが総体として生きてくるのだろうと思います。

最近では無駄な造形は避け、よりシンプルな美しさを追求するようにしています。

ところで、意匠や、造形と言った創造とは、その作者の意志の反映です。
培ってきた木工家具制作がバックボーンとなり、そこから自然に生み出されてくるものが主体となるでしょうし、あるいは、日々の人生の積み重ねの中から獲得されてきた教養的なものも意識的に投下されることもあるでしょう。

ゼロからいきなり美しいものを創り出せるとすれば、それは天才というものでしょうが、残念ながら一般にはそうしたものはありません。


幼少の頃からの生活様式であったり、所属する民族が持つ伝統的な意匠であったりといったところは、意識下、深層心理に深く刻印されているものですし、自我が芽生えて以降の観るモノ、聞くもの、学ぶモノ、あるいは直接的には美術鑑賞であったり、旅先で建築様式などから受ける印象は大いに家具制作における造形に滋養を与えるものです。

以前、個展会場でのこと。多摩美で油絵を習得してきた友人との会話で、「オレはまともに美術もデザインも学んでおらず、ある種のコンプレックスを感じるところがある」との独白に「何言ってるの、スギヤマさんは長年、木工やってきて、これだけのモノを作ってきている。素養や教育などはちっぽけなものでしかないと思うよ」と。

幾分かのリスペクトはあるけれど、そのほとんどは慰め、苦笑。

ただ長年従事してきた今だからこそ言えるのは、木工という木を素材とするモノ作りでは、木材の個々の魅力と特性を深く知り、これを自家薬籠中のものとして使いこなす力量を獲得し、一方で前述したような人生の途上で身に付けてきた様々な教養と知性を投下すれば、そこにはその作り手ならではの独自の造形美を生み出すことができるだろうという確信です。

かつて、朝日新聞社主催による「暮らしの中の木の椅子展」という公募展がありましたが、初回の〈選考所感〉の中の織田憲嗣 氏は、木工家の作る椅子の特徴と感想を述べており、ここで紹介します。

《暮らしの中の木の椅子展 第1回》選考所感より
難しいことは何も語っていないのでお分かり頂けるものと思いますが、私としてはここにさらに付け加え、 木工家は素材としての木を深く知り、その揺るぎない信念を背景に、その作者が持つ工芸的なスピリッツを武器として、デザイナーには為し得ない独自の豊かな世界を獲得していると付言したいところです。

ある苦々しい経験

若い頃、地元のある家具デザイナーから椅子の試作を頼まれ、設計図通りに制作したことがあります。
結論から言えば、苦々しい思いしか残さなかったのでした。
ユニークなデザインであったのは良いとして、木という素材の物理的特性を無視した、かなり問題のある仕口が要求されるものでした。

実際に使用されれば、数週間で破綻するような代物です。
無論、その問題点を指摘し、修正を進言したモノの、「職人がエラそうに…、言うとおりに作ってくれればいい」とのことで、信頼を置く仲介者のこともあり、それ以上、その問題を追及することはできず、精一杯、仕上げ、納品したものです。
これには苦々しい後日談もありますが、止めておきましょう。

木工職人とデザイナーとの関係性がいかにヒエラルキーで歪められ、不健全なものであるかの一例です。

家具デザイナーも多様ではあるでしょうが、彼らは必ずしも家具素材としての木材のプロとは言えません。
彼らにとって、あくまでも木材は家具を構成するマテリアルとしてのそれでしかなく、個々の木材が持つ固有の物理的特性から、木材固有の美質にまで知悉するものでは無いでしょうし、またそうした関心すら無い人もいます。

むしろ彼らが求められる現場では、いちいち木材固有のなんちゃらなど、追求しはじめれば一気に生産性は落ちることは必定です。
あくまでも木材は家具を構成するマテリアルの1つとして位置づけられ、コスト計算が基軸となり、市場の要請に応えていくのが有能なデザイナーの資質というわけです。

逆に言えば、私たちがそうしたスタンスを取るようになれば、できあがったものは、もはや量産家具と何ら変わらない消費物質でしか無いということです。

1つの事例

アームチェア 笠木

1つの事例を上げてみます。
右の画像はアームチェアの笠木部分。
この笠木の木目の流れにご注目ください。
この笠木の正面は上部がなだらかなカーブを描いています。

木目の流れを視れば、同様の方向でカーブを描いていることが見てとれると思います。

これは木取りの段階で円弧状に挽き出すにあたり、こうした木目を取り出すため、被加工材の年輪の配置を見抜き、どのように刃物を入れれば良いのか、考えた上での鋸挽きなのです。

具体的に見ていきましょう。
下図にあるように、笠木に見合う手頃なブロックを用意し、必要な厚みで挽き抜いていくわけですが、木表から挽き出すのか、木裏から挽き出すのかで、獲得される笠木の表情は大きく異なってきます。

ここでは前述のように輪郭線に合わせた木目の流れを獲得するため、木表から挽き出していけば良いのです。

こうした木材内部に隠された、年輪がもたらす木目をあらかじめ読み込み、刃物を入れていく、そうした意識的な働きができるのが、木工職人ならではの資質というわけですが、デザイナーにはそうした資質は求められておらず、あるいはそうした観念すら無いものです。

彼らにとっては木材は単なるマテリアルの1つでしか無く、それ以上でもそれ以下でもないというわけです。

この差異をどのように評価するのかが、一般的な家具制作と、私たち木工房を営む、木工職人の観念と、資質、能力の違いということになります。

私が活動している静岡という地は家具産地で、多くの家具メーカーとそこにぶら下がる多くのデザイナーが活動しており、木工所、木工職人の多くは彼らと共に家具制作を行っています。
そうした環境であれば、オリジナルなものを追求せずとも、仕事にあぶれること無く工房は回っていくものです。

工房経営上、そうした安定的なポジションに座っていれば、多少は安楽な木工人生を歩むことができたかもしれません。

しかし私のような自立、自律を尊ぶ精神を備える生き方では、いずれは精神を病み、心身ともに疲弊し、やがては破綻が待ち構えているかもしれません。

なによりも、私はもともと、そうした垂直統合的な製造システムの駒になろうと、この木工家具制作を始めたわけでもありませんし、そこに加え、前述のような苦々しい経験もあり、自身のプロパーな家具制作に絞り込み、今日までやってきました。

下請的な業務を請けることは避け、自身のオリジナルだけでやってこれたのは、例え美学やデザインの素養を教育機関で学んでこずとも、日々の仕事に打ち込む中から、木工の心髄の欠片でも掴み取ることができれば、人に訴求するだけの品質と、魅了させることのできる意匠とセンスを自らのものにしていくことができるという確信があればこそです。

ただ、当然ですが、家具産地で工房を営むということは多くのメリットがあります。
家具産地ですので、そこには良いモノ作りをしてきた先輩がおり、彼らに学ぶ機会に恵まれているということもその1つです。


私は信州で木工の基礎を学んだ後、この家具産地、静岡でさらに数年修行したのですが、世話になった親方は横浜で洋家具の木工所で長年にわたり従事してきた家具職人で、短期間でしたが、この親方には実益的な木工を叩き込まれ、これまで木工をやってきれたのも、この親方との幸せな修業時代があったればこそとの思いがあります。

また、東京・芝で戦前から椅子専門の木工所に勤めていた椅子職人の古老に教えを請うことができたのも大きな財産です。

さらに、浜松には皇居の調度品を作っていた家具職人もおられ、3mほどの大きなカップボードの原寸図を拝見する機会もありましたが、これは衝撃的なものでした。

先人の仕事から多くの事を学び、親方のところに一升瓶を片手に仕口の教えを請い、時には他分野の工芸家の話を聞き、共に美術館に通い、そして工房に籠もっては、鉋屑にまみれ、顧客へと届け、喜んでもらう。

真摯に打ち込む姿勢があれば、そうした繰り返しの中から、間違い無く木工の真髄を掴み取ることはできるはずです。
新奇性を狙うようなデザイナーとタッグを組むのが悪いとは言いませんが、まずは自身の仕事に打ち込み、揺るがぬ確信を獲得することです。


今日はどうしたことか、かなり横道に逸れてしまいました。
次回からは、各工程における具体的なエッセンスを散りばめ、記述していこうと思います。

hr

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