工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

iPhoneのマイナンバーカードの朗報と、マイナ免許証の憂鬱(2)

前回後段の〈iPhoneのマイナカード〉対面本人確認が多くの自治体で拒否されている問題ですが、これを報じた東京新聞の関連記事に以下の記事があり、子育て世代の困惑が取材され、目に留まりました。

マイナ保険証の使い勝手は悪い? 子ども用の管理が面倒、落とすと不安…子育て世代や若者に本音を聞いたら(8月3日・東京新聞)

東京新聞デジタル 8月3日
More »

iPhoneのマイナンバーカードの朗報と、マイナ免許証の憂鬱

iPhone ウォレットの〈マイナンバーカード〉
iPhone ウォレットの〈マイナンバーカード〉

先頃、運転免許証の更新手続きを行いました。
私はここ数十年、無事故 無違反でGold免許証にカテゴライズされていますので、更新手続きもラクチン 👍

いえいえ、運転距離が短いからというわけではなく、昨年も北は盛岡、南は岡山までひとりで走ることもありましたからね。

おっと…、こんなケチな自慢話など不興を買うだけなのでここまでとしますが…、

高齢者による自動車事故多発から、免許返納の話題に事欠かないご時世。
今日はそんな年齢に差し掛かって来ているとは言え、長距離運転でハンドル握るのは嫌いじゃ無い私と同じような人向けのお話とでも言っておきましょうか。


さて、運転免許証の更新手続きの際、併せて本年3月からスタートした〈マイナンバーカードと運転免許証の一体化〉って奴も行いました。

実は、これまでマイナンバーカードの取得はセキュリティ問題などから忌避し続けてきていたのですが、この運転免許証との一体化を含むいくつかの理由から、マイナンバーカードの取得へと大きく転換することになり、今日はそのあたりのことについてお話しします。

More »

剣先の仕口に紐を巻く

剣先仕口に紐面
剣先仕口に紐面

これは書棚の一部。
帆立 柱と、棚板の結合部位の拡大です。

ご覧のように、剣先での枘組みですが、そこに紐を巻いたものです。

私はいわゆる和家具的なものはあまり手掛けませんが、李朝の調度品は魅入られることは少なく無く、
の李朝家具をベースとしたいくつもの家具を手掛けています。

李朝棚
数々の李朝棚(その一部)
More »

敗戦から80年、日本社会の光景に想う 7(終)

8月15日と、靖国神社

8月15日〈全国戦没者追悼式〉における石破首相の式辞に「反省」の2文字が入ったというので批判の声が喧しいようです。
安倍第2次政権以来、12年ぶりに復活したフレーズであれば騒ぐのも分からないでは無いですが、歴史を顧みるべき式典に、これに真摯に向き合うことを拒む右翼ポピュリズム勢力が今般の参院選で台頭し、これに勢いづく1つの表象とも考えることができるでしょう。

同日、靖国神社では遺族を始め、炎天下、多くの人々の参拝の列を横目に涼しげな顔で廊下を本殿に向かう多くの政治家の姿がありました。
参政党は全ての国会議員に加え、多くの地方議員も参拝したそうです。

靖国神社 Creative Commons

ところで、ここに祀られている兵士たちの大元帥であった天皇でさえ(昭和天皇、平成天皇、令和天皇、3代にわたり)、A級戦犯が合祀(1978年10月)されて以降、靖国神社に背を向けていることはご存じでしょうか。

天皇は大日本帝国憲法下で「大元帥」という軍を統帥する立場の最高責任者でしたが、にもかかわらず、なにゆえ靖国に背を向けているのか。

元宮内庁長官・富田朝彦氏が綴っていたメモ(富田メモと称される)に、昭和天皇がA級戦犯の靖国神社への合祀に、強い不快感を示したとされる内容が記されていたことは良く知られていますが、以降、3代にわたり、天皇の靖国に向ける視座は一貫して厳しいものがあるようです。(wiki参照

一般に日本での保守主義、右翼の人々は天皇主義者と見做しても良いと思われますが、その思想に立脚するはずの靖国神社をめぐっても、これほどにも視座、考え方の落差があるところに、戦後日本における保守主義の矛盾を観て取ることができ、また天皇が靖国神社への参拝を拒否し続けるという、このいわば異常としか言いようのない状態が教える靖国神社の本質というものを今一度考えてみなければと思います。

More »

敗戦から80年、日本社会の光景に想う 6

破局へと向かう時代潮流に、どう向き合えば良いのだろうか

今、日本社会の地べたでは、困窮する日々の生活から将来構想などまったくと言って描けない状況下、「日本人ファースト」などと、責任転嫁の甘い囁きに疲弊した心は奪われ、80年前の反省と教訓など「知るかい」とばかりに、歴史の彼方に忘れ去られ、砂糖でまぶされた歴史修正主義の言説にコロンと跪き、分断と排外主義を煽る政治家、評論家の片言隻句に魅入られてしまっている人々の虚ろな眼差しがそこかしこに…。

高畑勲監督が語る「戦争末期の悲惨さを伝えることだけが平和教育じゃなくて、理性的な教育」を求め、学ぶことで、世界の分断ではなく、対話と協調、そのための富の再配分、貧困の撲滅へと足並みを揃える方向へと流れを作れるのかどうかなのだろうと思うものの、隔靴掻痒の感。

そんなことが簡単にできるはずも無いとお考えかもしれませんが、しかし有権者の5%、いや3%でも、誰しもが人として生きる誇りと歓びを感受することができる未来社会を信じ、これに賭ける人が起ち上がれば、世界は変わっていくものです。
最悪、例え破局を止められずとも、その後に立ち現れるだろう新しい世界を生きるためにも、です。

ガザを巡る状況

イスラエル軍による絶え間ない空爆と封鎖により、〈火垂るの墓〉の節子と清太の最期と同じく、餓死で死にゆく光景が、ガザで今、日々生まれているという現実があります。

これを見知りつも、世界の無力さゆえ、人権と人命の崩壊は中東戦争一般の残虐性を越え、人類史に黒々と汚点を刻むものとなっており、世界の破局への道標になりはしないかとの怯えで、心が塞がれてなりません。

イスラエルの封鎖により国連による食糧支援は完全に断たれ、現地で医療支援を提供している「国境なき医師団」スタッフでさえ、1日1食にありつければ良い方。ガザの市民はそれさえ覚束ない。
しかも加えて、空からはひっきりなしに爆弾の雨が落ちてくる状況。

あるいはそれまでガザ全域400個所で食料配布を行っていた国連のプロジェクトはイスラエルの圧力で停止され、これに替わり、米国政府とイスラエルが提供する食糧支援のプログラム(「ガザ人道財団GHF)」)の配給所は4個所しかなく(何と以前の 1/100ヶ所)、しかもそこにはイスラエル軍のライフルが待ち構えるという罠があり、銃撃される危険性の高い状況下でのもので「飢えて死ぬか、空爆で死ぬか、あるいは死を覚悟して食糧配給に向かうか」
まさに日常の毎日が人間の尊厳を根底から奪い取られ、「メメント モリ」を強いられる絶望的な状況にあるのが、現在のガザです。

国境なき医師団(ガザ:「援助に見せかけた虐殺」──イスラエルと米国による食料配給システムの解体と封鎖の解除を

More »

敗戦から80年、日本社会の光景に想う 5

戦争を乗り越えて獲得された『日本国憲法』

日本国憲法の御署名原本(国会図書館 Webサイトより拝借)
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

日本国憲法 前文から

冒頭掲げたのは、『日本国憲法・前文』の部分。
内に300万人、外に2,000万人の犠牲者を生み、国土を焦土化させてしまった対中戦争、太平洋戦争でしたが、その壮絶な犠牲と灰燼の苦しみの中からの厳しい反省と教訓に育まれた 熱く深い思いから生み出されたのが『日本国憲法』でした。
戦争への反省と教訓をベースとし、不戦を誓い、世界各国との信頼構築を普段に行い、もって恒久平和を希求するという、世界に誇るべきものです。

しかし今、与党自民党から、日本維新の会、日本保守党、参政党 ら右翼の立場にたつ政治党派は、『日本国憲法』はGHQの押しつけによるものなので、自主憲法を作るべきとして画策されていることは衆知の通りです。

もちろん「憲法草案」はGHQの占領支配下での制定作業という制約下にあったことはその通りです。
これはしかし、日本軍の無条件降伏を求めたポツダム宣言を受諾した立場でもあり当然の経緯でしょう。

明治維新を画期とし、それまでの封建社会の時代から一気に近代国家への道を歩み始め、外には帝国主義的な拡張主義を展開し、しかしその結果、1945年、8月、日本国は一敗地に塗れたわけです
無条件降伏を求めるポツダム宣言を受諾し、完膚なきまで破れたのです。

More »

敗戦から80年、日本社会の光景に想う 4

『火垂るの墓』 日テレ放送画面から

『火垂るの墓』 加藤周一の涙

8月15日に放映された『火垂るの墓』はご覧になられたでしょうか。

1945年の夏、焼夷弾で焼かれる神戸の街を逃げ惑う二人の兄妹の余りにも悲惨な最期は、高畑監督とスタジオジブリの渾身の映像作品ならではのリアルな描写だけに「悲惨すぎてもう2度と観ることはできない」とされるほどに強い衝撃を与え、胸に迫り来るものがありました。

家を焼き出され、母親を空襲で亡くし、ホームレスとなった節子と清太ですが、二人で必死に生きようとします。
しかし敗戦後の過酷な食糧事情もあり、周囲の大人からも見捨てられ、最期は栄養失調で死に追いやられてしまいます。

映画の公開当時(1988年)、朝日新聞 夕刊に長期連載(29年間。この夕陽妾語を読みたいがために朝日新聞購読者になった人も少なく無かったとの話しも)されていた、文芸批評家の加藤周一さんの〈夕陽妾語〉とタイトルされたエッセーに『火垂るの墓』への魂を揺さぶられるほどの言及があったことをかすかに記憶していて、これをネット上で渉猟したところ、ドンズバ 辿り着くことができ、再読し、往時と同じく感銘を受けたのでした。
せっかくですのでここでも取り上げることにします。

夕刊紙の画像は加藤周一氏の全てと言っても過言では無い年譜や業績を記したwebサイトから拝借させていただきました。多謝(https://kshu.minim.ne.jp)

右画像から、文字起こししたのが以下です。(漢数字を算用数字に代えるなどしていますが、改行等はそのままです)


夕陽妾語 1988年の想い出 加藤周一

1988年の暮れ、消えない想出が三つ私の心のなかに生きている。その一つは、「ペレストロイカ」のモスクワである。そのことにはすでに触れた。

「生きるよろこび」

 もう一つは、野坂昭如原作(1967)、高畑勲監督のアニメーション映画『火垂るの墓』(1988)のなかに出てくる四歳の女の子である。1945年6月、神戸の空襲で焼け出されて、母を失った14歳の兄と4歳の妹が、酉宮の親類の家に身を寄せるが、冷たく扱われ、近郊の山の横穴で二人だけの生活を始める。七輪に火をおこして粥(かゆ)をたいたり、ほたるを集めたり、死んだほたるの墓をつくったり、海辺の砂浜を走ったり──そのほとんど牧歌的な二人だけの生活のなかで、女の子が飛んだり跳ねたりしながら全身でよろこびをあらわし、食べものを探しに行った兄が帰って来ると駈(か)けよって抱きつく。
 ついに食べものがなくなって、敗戦直後に、まず妹が栄養失調で死に、ついで兄が倒れるのだが、女の子は死ぬ前に、兄がもってきてくれた西瓜を食べ、「おいしい」とつぶやき、「兄ちゃん、おおきに」と言って眼を閉じる。私にはその4歳の少女の姿が、どうしても忘れられない。この世の中でいちばん確かなものは、少女が笑ったり、駈けだしたりするときの「生きるよろこび」であり、いちばん不確かなものは、彼女を殺したいくさを正当化するようなすべての理屈だろう、と私は思う。
 かつて「聖戦」を正当化するためには、さまざまの理屈があった。「八紘(はっこう)一宇」や「大東亜共栄圏」、「悠久の大義」や「近代の超克」、「神ながらの道」やその他1ダースばかりの壮大で漠然とした観念。そういうものがあったし、これからもあるだろう。それは時代と共に流行し、忘れられ、またあらためて流行する。しかしそういうもののすべては、4歳の女の子の一瞬の笑顔の百分の一にも値しない。映画を見ながら私はそう思い、溢(あふ)れてくる涙に閉口したが、それは私が涙もろいということだけではなかったろう、と今にして私は考える。
 『火垂るの墓』の少女の「生きるよろこび」は、単に動物的なものではなかった。そうではなくて、環境の変化を予測する能力の限界、またそれに適応する能力の限界を十分に意識し、兄との間につくりだした信頼と愛情の関係を通して、またその関係を通してのみ、いっぱいに感じることのできるよろこびであった。しかしそのほかにわれわれが人生を肯定するより根源的な理由があり得るだろうか。生きているのはよいことだ、ともしいうことができるとすれば、つまるところ、そういうよろこびの可能性が人間にあるからではなかろうか。この少女の生命の破壊は、われわれ自身の人生の意味の破壊にほかならない。だからいくさは、決定的によくないのである。

More »

敗戦から80年、日本社会の光景に想う 3

「日本人ファースト」の危険性

ここでは参政党の「日本人ファースト」という、あまりにも分かりやすいキャッチフレーズについて少し視ていきたいと思います。

BBCの東京特派員・シャイマ・ハリルらによる参政党躍進に関する2つの記事が総論的、かつ比較的コンパクトにまとめられていますので、まずこれを参考までに張り付けます。

「【解説】参院選で極右政党が台頭、「日本人ファースト」で議席拡大(2025.07.22)

【解説】 日本での極右の台頭、トランプ大統領と外国人旅行者によって急加速」(2025.07.29)

7月21日、都内で撮影(ロイターから拝借/Kim Kyung-Hoon)

この「日本人ファースト」ですが、神谷代表自身も語っている通り、彼が心酔してるという米大統領・トランプの「アメリカファースト」からのパクリであるのは言うまでも無いのですが、ただ前提とする根拠はかなり違いますので、ここは要注意です。

トランプの「アメリカファースト」の方ですが…、
米国が中南米からの多数の移民で、白人ロワーミドル(ブルーカラーの白人層)のポジションを奪っているという状況(2050年には半数以上が非白人になるとの予想:Bloomberg米国でヒスパニック系320万人増、コロナ禍以来の人口増の大半占める〉であるのに対し、
日本社会の方は、外国人は日本人総数のわずかに3%でしかないというのが事実(日本に30日以上滞在する外国人は377万人)。

この彼我の大きな差、数10年後には白人の数は半数を割っていくというアメリカ社会の状況をそのまま日本に適合させようというのは土台 無理筋なのです。
50%を越えていきそうなアメリカと、たかだか3%でしかない日本。次元が全く違います。

ただ、2003年から始まった海外からのインバウンド観光客の積極的誘致(ビジット・ジャパン事業)は、コロナ禍を挟むも、昨2024年は3687万人というかなりの人数に上るようで、長期に日本社会に溶け込もうとしている外国人に較べ、当然にも彼らは日本語も分からず、電車待ちにホームでは列を作って並び、ゴミは路上など公共空間には勝手に捨てない、などといった日本社会の暗黙のルールも分からず、これに顔をしかめる日本人が多いのも事実でしょう。

しかし、日本社会に溶け込もうとしている定住外国人と、日本の自然と食を楽しみ、「旅の恥はかき捨て」とばかりに日本社会の暗黙のルールを守らないツアー客とをごちゃ混ぜにしての非難は公平を欠きはしないでしょうか。

加え、「外国人犯罪が増えている」だとか、「日本の社会保障制度を悪用している」などとするSNSなどの煽りは事実誤認であるか、まったく根拠の無いデマです。

More »

敗戦から80年、日本社会の光景に想う 2

はじめに

敗戦後80年」ということで、新聞、TVなどでは、例年に無く様々な特集が組まれていたようですが、読者、視聴者からどれだけ関心が寄せられていたのでしょうか。

地下鉄運行停止で大阪万博の帰宅困難者が出たとか、伊東市長の百条委員会での不誠実な対応へのパッシングや、羅臼のヒグマにフォーカスされ、特集番組を制作したスタッフは番組の視聴率の低さに頭を抱え、今頃、始末書書かされているところかも知れませんね(知らんけど)。

8月ともなれば、6日広島8日長崎。そして15日に武道館での〈全国戦没者追悼式〉と恒例行事のように毎年、ルーチンで開催されるイメージ。
今年はキリの良い80周年ということで、例年とは気合いの入れようも違ったのだろうと思われますが、市民レヴェルでどうであったのかはお寒い総括がなされてしまいそう。

2025年という今年は、敗戦後80年ということだけでは無く。隣国、韓国との国交正常化をを果たす〈日韓請求権協定(『日韓基本条約』)〉からちょうど60周年にあたる年でもあるのですね。(明日24日、韓国のイ・ジェミョン(李在明)大統領を迎え、日韓首脳会談が開かれます)

あるいはまた、一部では〈昭和100年〉とも言われ、昭和元年は1926年12月25日から、同月31日までの6日間しか無いのですが、ともかくも〈昭和100周年〉は来年、2026年のはずで、なんだかサバ読んでません?。

さて、前回は戦争がもたらした悲劇、そして戦争トラウマが決して過去のものでは無く、今に課題を照射している状況というものを少し視てきましたが、今回は〈敗戦後80年の光景〉ということで、いくつか気になるところから概観してみたいと思います。

More »

敗戦から80年、日本社会の光景に想う(追記)(追々記あり)

映画『黒川の女たち』

この八月、一部で話題になっている映画『黒川の女たち』を観ました。
TV朝日のディレクター、松原文枝氏のドキュメンタリー作品です。

公式サイトはこちら

公式フライヤー

1930年代、満州事変柳条湖事件)を機とし、関東軍は中国東北部、満洲全域へと侵攻し、そこに傀儡政権・満州国を建国します(因みに、満州国の経営に辣腕を振るったのが、安倍晋三氏の祖父で、A級戦犯として訴追された岸信介氏です。)。

この荒れ地に満蒙開拓民として岐阜、白川の寒村から国策として半ば強制的に送り込まれた黒川開拓団でしたが、敗色濃厚になっていた8月9日、ソ連軍の参戦による満州侵攻で大混乱に陥り、このソ連兵から開拓団同胞を護るため、うら若き女性たちを「接待」要員として差し出すという敗戦時の秘史を身をもって告発し、広く社会に訴え出た女性たちを追います。

そしてこの残忍な所業を担った開拓団の男たちの遺族らが共にこの重い史実を受け止め、解き明かし、詳細にわたる「碑文」を建立するまでの取材を、映画作品として編集、公開したものです。

戦史に多少でも関心がある人であれば、満州という傀儡国家が作られ、中国人が開梱していた田畑を奪い取り、大陸での戦争の兵站補給地として開拓が進められていたところへ、
1945年の敗戦と同時に攻め入ってきたソ連軍に対し、無防備な開拓団を守るどころか、関東軍はいち早く南下、逃亡していった経緯などは良く知られた話しかと思います。

More »