工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

無線LANの復活とMac vs Win

先に「無線LANがダウン」というトラブルを記したが、その後、後継機種を購入すべくネットから発注していたものが週末に入荷。
価格は8,000円台半ば。(昔と較べずいぶんと安くなったね)
それまでと同様NECのWARPSTARというシリーズのスタンダードなタイプの親機のみを求めた。
選択の条件はAirMac対応、およびそれまでの子機が使用できることというもの。
結論から先に記せば、Macの接続は実に簡単に終え、交信状態はかなりの程度で改善されたように思う。
ただWEP暗号パスワードを打ち込み認識させてやるだけだった。
Macの無線LANは住居部分、書斎に置いた親機と、10数m離れた工房とを交信させるという環境だが、それまで交信状態は必ずしも良好なものではなかった。
これはMacのスペックの問題もあったと考えられるが、それ以上に旧WARPSTARの無線の性能もあまり良いものではなかったと言うことなのだろう。
WARPSTARの更新はこれを飛躍的に改善させてくれるものだった。
ほとんど住居での交信状態と遜色ない程度に工房でも受信できるようになった。
素人考えでは、旧型のものはアンテナも内蔵タイプのものであったが、新しい方はこれが外部にあり、置き方によりアンテナの方向も任意に角度を変えられるようになっている。このアンテナの露出という機構も改善に寄与していることもあるのだろう。
さて、問題はPCの方だった。結論から言えば……繋がらなかった。

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モーリス・ベジャール氏の死を悼む

モーリス・ベジャール
モーリス・ベジャール氏の訃報は突然だった。
氏が創設した「ベジャールバレエ・ローザンヌ」(BEJART BALLET LAUSANNE)のスポークスマンより報ぜられたというが、現段階ではどのメディアからも死去に至る詳細な報道は見あたらない。
腎臓と心臓の治療を受けていたというが、享年80という年齢を考えれば自然死という見方もできるのだろうか。
しかし彼のカンパニーによる80歳の誕生を祝う公演が昨年開かれたばかりという報もあっただけに、あまりに突然な訃報という感が強い。
コンテンポラリーバレー界での喪失感は計り知れないものがあるだろう。
ボクはモダンバレーは好きで限られたお小遣いを投下して東京文化会館に足を運ぶことがあった。
モーリス・ベジャール振り付けの公演を観賞したのは2回だけであったので、必ずしも熱心なファンというほどのものではなかったが、しかしそれはボクの記憶装置から何ら消え去ることなく大切なアーカイブとして刻まれている。
恥ずかしながらモーリス・ベジャールをそれとして最初に意識したのは、これも今は亡きジョルジュ・ドンが踊った『愛と哀しみのボレロ』(クロード・ルルーシュ監督)という映画から。
このボクの体験と同じようなベジャールファンは多いものと思う。
とてもバレーを語るだけの教養も感性もあるとは思っていないが、しかしそんなアジアの小国の貧相な芸術観しか備わっていなかったボクのような者にも、それまでほとんど関心を持ち得なかったクラシックバレーの世界へのある種の偏見を克服させてくれ、現代モダンバレーの魅力を存分に与えてくれことに限りない感謝と敬意を表しておきたい。
ベジャールの指導の下、ダンサー達の鍛え上げられた肉体と研ぎ澄まされた舞踊は人間という存在そのものの美しさを見せてくれたし、バレーという芸術のすばらしさ、豊かさというものを教えてくた。
舞台上にはいわゆる舞台美術というものは皆無。あるのは照明と、あまり高品位とも思えない音響設備から鳴らされる再生音楽だけ。
しかしだからこそ、鍛え上げられたダンサー達の肉体が饒舌なまでに時空を支配し、演目の世界を作り上げる。
時に男性ダンサーの群舞でエネルギーが発散されたかと思えば、次には舞台中央で息詰まる緊張の中、薄い1枚の衣装だけのプリンシパルがソロで静から動へと幽玄の世界を作り上げる。
美というものの極地を見る思いだった。
生誕80年記念 ベジャール!巨匠という敬称は彼にこそふさわしいのだろう。
ベジャール、ありがとう !
自身の粗雑な日常の中での所作のおぞましさは如何ともしがたいものの、DVDでも求め、時にはベジャールの世界に耽溺することで、緊張した時間を作るのは良いかも知れない。
まだまだシルヴィ・ギエムの公演に立ち会うこともできるだろうし、上野水香の活躍も期待したい。
*TOP画像は1994年公演のプログラムより
ベジャールバレエ・ローザンヌ
シルヴィ・ギエム
上野水香

どこまでいくのかドル安‥‥

ドルの一人安は留まる様子がない。
対ユーロでは史上最安値を更新し続けている。主要国通貨だけではなく、新興国通貨に対しても拡がってきている。
米ドルという“基軸通貨”そのものの地位が大きく揺らいできているということは底知れぬ経済的混乱と激動の時代への兆候ということなのだろうか。
このドル安は原油高騰の元凶の1つでもあり、庶民の生活へも大きな打撃となって現れて来つつあるが、もっと怯えているのは日本経済の屋台骨を形成する輸出産業だろう。
鬱々とするばかりでは精神衛生上も良くないだろうから、何か良いことでもないかと考えれば、ドルに対する円高となれば米国からの個人輸入でも考えてみるか、とばかりに木工関連の通販サイトを漁ることになるが、実はあまり欲しいものが出てこない。
この際、大きな買い物でも、と思うのだが、欲しいものが見あたらないのだ。
これって、どういうこと?
確かに設備も、道具も既に充実しているということの証ともとれないことはないものの、意欲の減退、ということであれば、そりぁちょっと‥‥、尋常ならざる傾向を示しているということにもなり、いささか複雑な思いではある。
ただ全く欲しいものがないというわけでもなく、欲しいものがなかなか探し出せないというのが正しい。
1つ具体的に明かせば、Shaper(縦軸面取り盤)のカッターが充実していないので、これをターゲットにしようと考えている。
しかし米国の通販サイトにはそもそもこのジャンルのアイテムが少なく、あったとしても軸径がまったく合わないものばかり。
ボクのShaperの軸径は日本の一般的な規格である1″(=25.4mm)なのだが、この規格のものが探し出せないのだ。みんな小さい径ばかり。
暫くはネットでの覚束ない捜索がつづくことになりそうだ。
しかし一番のドル安、底値はいつになるんだい?
そんなこと、誰に聞いても本当のところは解りゃしないよね。
えいやっと、自分で買い時を決めるしかない。
しかし冒頭の“底知れぬ”危機への兆候とやらをのほほんと等閑し、まったくお気楽な木工屋であることよ。
*Shaper(縦軸面取り盤)について:
工房スタイルのところではこの機種を導入しているのは数少ないかも知れないが、椅子などいわゆる曲物(くせもの)を多く手がけるところではぜひ導入を考慮したいものだ。
機能性、切削性能はとても高い。例えば100mm幅の椅子の笠木を成形切削する場合、たった1度の加工操作で目的の形状がかなりの切削肌の水準でで求められる。
高い機械だろうから、ちょっと‥‥などと臆しているようでは職業木工家の看板は下ろした方がよいかも知れない。
わずかに数10万円の機械の導入をためらい、しこしこ南京鉋で削っているようではね‥‥、
いやいや、そうだったね、「手作り木工」ということを忘れていたっけ(苦笑)
無視してください。

テーブル移動横切り丸鋸盤は無用?

昨日のエントリでは“薪ストーブで暖を取りながらの休憩”に留めるつもりが、筆が滑り加工プロセスを如何にスムースに無駄なく進めるかなどという話しに及んでしまった。また悪いクセ。
この中で横挽き丸鋸での胴付き加工について触れてしまったのだが、滑りついでにこれについて少し敷衍してみよう。また開き直り。
所謂ホゾの胴付き加工のプロセスのことなのだが、ボクはよほどの理由がない限り丸鋸昇降盤で行う。
当たり前じゃん、と眉をひそめるそこの人、そうばかりではないようなのだよ。
タイトルの「テーブル移動横切り丸鋸盤」でこれを行う人もいる。
せっかく横切り盤があるのだから、とばかりにね。
確かに木工所ではこの「テーブル移動横切り丸鋸盤」が設置してあることは多い。
この機械は汎用性も高く、切削性能力も高い。おおいに活用されるべきものだ。
他でもなくボクも工房開設にあたり様々な木工機械を設備したが、新品で購入したのは確かこの横切り盤だけだったような記憶がある。

ここでちょっと余談。昔J・クレノフ来日時の高山でのワークショップに参加させていただいた時のこと。機械設備のことについて印象的なことがあった。
この「テーブル移動横切り丸鋸盤」を前にして、氏は
… ? 何故こんな機械を必要とするのか
スタンダードな丸鋸昇降盤を使いこなすようにしなさい。
と、訝るのだった。
(一方超仕上鉋盤には強い関心を示し、少年のような笑顔で幅広の鉋屑をカバンにこっそり忍ばせたのは見逃さなかったが←本件記事には無関係なエピソードだが)

さて、ほぞの胴付き加工。この「テーブル移動横切り丸鋸盤」でも確かにできるだろう。しかし実はいくつかの点において非合理的な方法であり薦められるものではない。
ここは丸鋸昇降盤に譲るべきものと考えたい。
以下、理由を列記。

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冬ざれた午後の工房

午後の休憩
今日の記事はどうでも良いつまらない話しなので読み飛ばしてください。
(いつもそうだろって?、まぁそう言わずに……)
当地静岡は今日は終日曇天で冬のような (?)一日。
昨日設置した薪ストーブの暖かさが身体に染みいる。
うちでは午後の休憩は夕刊が届く4時頃となっているが、通常6時過ぎまで励んでいるので頃良いタイミングかも知れない。
薪ストーブの暖かさは輻射熱なので温風ヒーターなどと違ってソフトで身体全体を包み込むよう。
しかし工房の建物は天井も高く(7mほどかな)広いし、また鉄筋ではあるものの無理やり増築したということなどによりすきま風も入り、全域に効かすのは土台無理な話だ。
これからは身繕いもしっかりと冬装備で臨まねばならないだろう。

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冬到来、薪ストーブ設置と原油高騰

日本列島、冬型の気圧配置となってきた。雪の便りは北海道から東北地方へと南下してきているようだ。
当地から望める富士も3合目あたりまですっぽりと雪に覆われている。
今朝も気温が10度を切る寒さ。(東北以北の方、スミマセン)
これまで渋っていた薪ストーブの設置を行うことにした。
コンクリート床の機械場と、フローリングの手作業場の2台。
1台は駆体内部壁面に沿って耐熱レンガで周囲を覆っているのだが、これが搬送中に割れたりして、あらためて改修しなければならないことに。
もう1台の方は10年ほど昔に松本で入手したものだが、今では同じものが地元のホームセンターあたりでも入手できるようだ。
温暖な静岡で薪ストーブというのもちょっと違和感があるよね。
一定の需要があるところを見れば、住宅における暖房設備に薪ストーブという考え方は、暖房性能以前に、パチパチと薪が弾ける音、ちろちろと揺れる炎を眺めながら暖を取りたいという趣向があるのか、あるいはまたパッシブな暖房システムでの建築に薪ストーブというのがフィッティングしているということなのかもしれない。
さらにはこのところの異常とも思える原油高騰という状況下に、あらためて薪ストーブへの代替ということが現実的選択肢として浮上してきていることもあるだろうと思われる。
昨週末に今冬初めて灯油を買い求めたが、ただもう唖然とするしかない単価を突きつけられた。84円/L。
店主の話では月が変わるとさらに値上がりし、90円は間違いなく突破するだろうって。
この原油高、確かに原油生産量と消費の需給バランスが崩れているという要素も無いとは言わないけれども(中国要因は確かに大きい)、実は先の米国に発するサブプライムローンの破綻を機に、投資マネーがどどっと原油市場へとなだれ込んできていることが最大の要因となってきているのは明らか。
生活必需品でもある石油がこのような高騰を見せるのは国際的な政治経済がとても不安定な状況に置かれていることを示すもので大変残念なことだと思うし、そうした情況下に我々の生活基盤が置かれてしまっていることにあらためて危うさを感じざるを得ない。
してみれば化石燃料ずぶずぶの社会から炭と薪の木質資源への回帰というのもCO2を削減し地球温暖化を防止させる意味合いもあるだろうから、いわばこの危機を生活スタイルの本質的見直しへと転換させる好機ととらえることもできるかもしれないじゃないか。
いやいやしかし事はそれ程単純なものでもないしね。全く困ったものだ。
うちの車、石焼き芋屋ではないけれど、木炭車に改造できるかな?
米国ではメルセデスを廃油(フライや天ぷらで使い古したサラダ油などの)で走らせるビジネスが話題なのだそうだ。
原油価格の推移を貼り付けておこう(東石株式会社
2003年の4倍  2年前の2倍だよ。 100ドル/バレル 突破もあり得ない話しでは無いのだそうだ。

松本民藝家具に学ぶ

昨日のエントリ「バーナード・リーチと民藝」の中で

自身が経験してきた“民藝”に纏わるコンテクストは“民藝”本来の理想と高い精神性からは遠くかけ離れたものに堕してしまっていたとは言え、ボクは決して否定的に捉えようとは思えないというのが現在の心境だ

との記述の根拠として、いくつかの事柄をリストしたのだが、実は重要なことを書き落としていたことに気づいたので、そのことを少し書き残しておかねばならない。
ボクの木工におけるスキルの多くは松本民藝家具の制作スタイル、および技法の体系に依っていることは偽れないところなのだ。
以下、少し詳しく述べたいと思うが、制作スタイル、技法の多くを松本民藝のそれに依っているということは、例えいくつかの同意できかねる事柄があったとしても、なおそこに一定の普遍性を見出すことが出来るだろうし、またそれらを知り得る立場の者としてこれを語るときには相応のスタイルを持ち続けたいと思う。
ところで家具の分野で”民藝”という概念を体現しているのが「松本民藝家具」であるということについてはとりあえず了解してよいのだろうと思う。
確かに昨日の記事では卑近な例から”民藝”という高邁な理想からはかけ離れた実態の一端を書いてきたのだが、これはボクが世話になっていた下請けグループ木工所ならではの悲哀であったかもしれないし、生産性至上主義への傾斜も日本全体の腐臭極まる過度に成熟した資本主義経済の影と見ることも可能だろうから、一方的に責め立てられるものと考えているわけでもない。
その出自からしても、あるいはまた他の“民藝”を語る家具メーカーとの比較においても、もっとも“民藝”という精神に近いところで活動してきたグループであることに異論を挟む余地は無いのだろうと思う。
少し話しの筋がよれてしまったが、「松本民藝家具の制作スタイル、および技法の体系」についてである。
冒頭述べたようにボクは箪笥や、飾り棚といったキャビネット制作におけるスタイル、技法の体系は、今も尚松本民藝家具の仕様に則って設計し、加工している。
これは何も松本民藝家具への過度な思い入れがそうさせているというのではなく、とても理に叶ったシステムとして受容し、またそこから発展させることが出来ているからに他ならないからなのだ。
このBlogの読者の多くは既知のことと思うが、松本民藝家具というのは本社の下にいくつもの木工所がグループされており、材木の共同管理、一括受注生産方式による生産分配のシステム、一括販売方式などの協同組合システムが整備されている。
こうしたグループ生産方式において、生産される商品の品質を高い水準において同等に維持するにあたって、徹底した仕様書を整備し、これに準じて制作している。
恐らくはそれ以前の松本の木工所では親方それぞれの制作スタイルに準じた制作スタイルが取られていただろうから、同じものを制作してもかなり異なった品質とディテールの違いがあったに相違ないだろうと考えられるが、この松本民藝家具の制作スタイルの共通化の過程では、徹底した制作システムの研究と議論があっただろうし、その結果、いわば日本における1つのスタンダードな木工家具の制作技法の体系が生まれ出てきたのではとさえ思えるのだ。
卑近な例だが、ボクがその後横浜クラシック家具で修行してきた親方の下で学ばせてもらった時に少し驚くとともに自信を深めたことがある。
それは制作のスタイルはやや異なるものの、その技法に至ってはそれまでの松本民藝家具の技法と異なるところを探すことが困難ほどに似通っているのだった。
1つのものを極めていこうとするとと、いずれ1つの道へと収斂していくというような光景ではないか。
また長野県下の訓練校では、やはりその技法を松本民藝家具から取っていることが、恐らくは全国にあまたある訓練校の中にあっても突出したレベルを維持している背景の大きな要素であることも間違いないところだろう。(指導教官によってその濃淡は大きいのだろうが)
このように松本民藝家具という存在は、いかに否定的に解釈しようとしても、あの池田三四郎氏の体躯の如く、どっしりと巌の如くに揺るぐものではないのかもしれない。

バーナード・リーチと民藝

リーチ展会場
ボクは松本民藝の木工所の門を叩くところから木工という道を歩み出したのだが、しかし必ずしも民藝という世界への憧憬があったわけでもなく、その歴史的背景であるとか、工芸のなかでの位置づけなどへの深い認識があったわけでもなかった。
さらに言えば、敗戦直後のいわゆる団塊の世代として生を受け、この世代に広く共有されている戦後民主主義の落とし子として近代主義をストレートに信奉し、いわば封建遺制を忌むものとした価値観に染まってきた者のハシクレとして近代合理主義の中にこそ未来があると信じてきたし、当然にも“民藝”の中から自分自身の未来など語れるはずもないとさえ思っていたものだった。
事実、ボクが松本民藝家具の木工所の門を叩いた80年代半ばという時期は、既に“民芸ブーム”なるものは潮が引くように昔語りのようになっていたし、期待していた職人どおしの“ギルド的紐帯”などはそこには見る影もなかった。
あるのは生産性の追求に汲々とする親方の厳しさであり、職人世界の殺伐とした関係だけだった。
その後バブル経済の狂奔はこうした地方にも大きな時代の波として襲いかかり、いくつかの木工所は木工なんかやっていられない、とばかりに閉鎖していったし、独立後一時世話になった民藝家具店の社長からは「作り手はただ黙って仕事していれば良いんだ !」「民藝とは無名の職人によるものだから、あれこれ言ってもらっては困る」などと、“民藝の精神”なるものを振りかざし作り手のこだわりや思いなどは一方的に封じ込まれてしまうと言う理解を超える関係性を求められ、ただ唖然とすることさえ屡々だった。

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無線LANがダウン

数日前から家庭内の無線LANが繋がらなくなっていた。
メインのMacとADSLモデムの接続は有線LANであるが、工房で使うノードブックは無線で飛ばしている。同様に家人が使っているWinのノートブックも無線なで、こちらの接続がおかしいという訴えがあったのだが、必ずしもヘビーな使用でもなかったので検証するところまでしなかった(Winは良く分からないと言うこともあるのだが)。
この度別途Macの2台のノートで接続を試みるもやはりダメだった。
明らかに無線のルーターの不具合と判断。
メーカー、NECサポートへと電話し、判断を仰ぐ。
この無線ルーター、購入したのはISDN時代の時であったが約7年前のこと。
記憶を辿れば、同じISDN/TA(ターミナルアダプター)が避雷しダウンしての更新だった。
その数年後ADSL導入後も、このTAを無線ルーターとしての機能をそのまま活かし快適に使用してきた。
さてメーカーのサポート担当、機器が7年前のものであっても何一つ嫌がることもなく、懇切にかつ適切な検証を試みてくれたのだった。(NEC Atermのサポート態勢には感謝 ! )
しかし結論はADSLの信号を認識してくれないという症状であり、これは機器のメーカーでの修理が必要との結論。
最後にこのやさしいサポート女史は修理のための申し込み窓口の連絡先を伝えてくれ、こちらも謝意とともに電話を切る。
とても明快な判断であり何ら口を挟むものではない。
次にしかしユーザー側とすれば残念だがこの明快な判断に従うわけにはいかないとの結論を導き出さねばならなかった。
何のことはない。修理費用の方が、新規購入よりもコストが掛かると言うことが分かってしまった。
ま、7年も使えば償却は終えたとの判断もできよう。
しかし例えば保証期間1年を経過した直後にトラブルがあったとした場合、同じように修理のコストの方が新規購入より高くなるということは大いにあり得ることだろう。
ITという特異な分野のこととはいえ、現代社会の最先端工業製品というものが持つ高機能とコストの関係というのは、実にすさまじい関係性にあるのだということをあらためて考えさせられたものだった。
つまり廃棄物にしなくとも良いように修理が出来る製品ではあるが、この修理が新規購入よりもコストがかかり、しかも例え修理されても新機種に較べ機能においてははるかに劣位に置かれると言う実態。
これは環境へのローインパクトを旨とする自身の信条に従うことの困難さというものに大いに頭を悩ませることになるのだが、諸兄らは果たしてどのように折り合いを付けているのであろうか。
閑話休題。
MacユーザーでLeopardを導入していないTigerの環境の方々、本日 Mac OS X 10.4.11のアップデータが公開された。(Safariもバージョン 3.0.4がリリース)
インストールしたばかりだが、Safariがめちゃくちゃ読み込みが早い。これがOSの洗練さにるものなのか、Safariの方のそれなのか、両方なのか分からないが、ともかく快適。
○○.11  この末尾2桁というのは‥‥、ちょっとすごいことになっちゃってるよね。
昨日外出した折りに立ち寄った書店でMac関連雑誌に「Leopardインストール特集」があり、購入。
時間が取れた折にでもじっくりいこう。

秋晴れと製材

週明けからとても快適な気候が続いている。秋晴れだ。
一般に秋の天気も移動性高気圧が周期的にやってくるので、春と同様変わりやすいのが特徴で、秋雨前線もくれば台風だってやってくる。年によっては月間降水量は梅雨時と変わらないほど降るときもある。
しかしこのところ大気は安定し、高い空が真っ青に澄み渡っている。
工房に入り浸っているとあまり感じることもない季節の移ろいも、今日はあちこちと所用のために移動する行程で暫し空の青さとやや紅色に染まる山々へと目が奪われる。
今日はいくつかの業者への所用と、製材。
製材は過日エントリしたワードローブの帆立・羽目板(鏡板)に供するための再製材。
実は数年前までは直ぐ近くに賃挽きの製材所があり、世話になっていた。
10年ほど前までは地元でも月に2度の原木市が立ち、時期になると(晩秋から、春先まで)足繁く競り落としに通ったことがあり、競り落とした原木の製材のため、毎月のように世話になっていたものだった。
ただ残念ながら、そこの主人は急死。跡継ぎもなく閉鎖の憂き目。
ここ島田市というところは中央アルプス山系を背後に控えて、大井川という運送経路があったことで、材木の集散地として昔から栄えてきた。
しかしバブルが弾けた頃辺りから、徐々に木偏の付く商いは元気がなくなり、製材機から発するけたたましい音も断続的に‥、さらにそのうちに全く静かになっていくばかりだった。
こうして賃挽きしてもらえるところも次々と無くなってきたが、かろうじて老夫婦の運営による小さな製材所が請けてくれている。
今日もわずかに数枚の再製材なのだが‥‥、と遠慮気味に請えば、元気に「いつでも良いですよ〜」との返事。

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