工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

松本民藝家具に学ぶ

昨日のエントリ「バーナード・リーチと民藝」の中で

自身が経験してきた“民藝”に纏わるコンテクストは“民藝”本来の理想と高い精神性からは遠くかけ離れたものに堕してしまっていたとは言え、ボクは決して否定的に捉えようとは思えないというのが現在の心境だ

との記述の根拠として、いくつかの事柄をリストしたのだが、実は重要なことを書き落としていたことに気づいたので、そのことを少し書き残しておかねばならない。
ボクの木工におけるスキルの多くは松本民藝家具の制作スタイル、および技法の体系に依っていることは偽れないところなのだ。
以下、少し詳しく述べたいと思うが、制作スタイル、技法の多くを松本民藝のそれに依っているということは、例えいくつかの同意できかねる事柄があったとしても、なおそこに一定の普遍性を見出すことが出来るだろうし、またそれらを知り得る立場の者としてこれを語るときには相応のスタイルを持ち続けたいと思う。
ところで家具の分野で”民藝”という概念を体現しているのが「松本民藝家具」であるということについてはとりあえず了解してよいのだろうと思う。
確かに昨日の記事では卑近な例から”民藝”という高邁な理想からはかけ離れた実態の一端を書いてきたのだが、これはボクが世話になっていた下請けグループ木工所ならではの悲哀であったかもしれないし、生産性至上主義への傾斜も日本全体の腐臭極まる過度に成熟した資本主義経済の影と見ることも可能だろうから、一方的に責め立てられるものと考えているわけでもない。
その出自からしても、あるいはまた他の“民藝”を語る家具メーカーとの比較においても、もっとも“民藝”という精神に近いところで活動してきたグループであることに異論を挟む余地は無いのだろうと思う。
少し話しの筋がよれてしまったが、「松本民藝家具の制作スタイル、および技法の体系」についてである。
冒頭述べたようにボクは箪笥や、飾り棚といったキャビネット制作におけるスタイル、技法の体系は、今も尚松本民藝家具の仕様に則って設計し、加工している。
これは何も松本民藝家具への過度な思い入れがそうさせているというのではなく、とても理に叶ったシステムとして受容し、またそこから発展させることが出来ているからに他ならないからなのだ。
このBlogの読者の多くは既知のことと思うが、松本民藝家具というのは本社の下にいくつもの木工所がグループされており、材木の共同管理、一括受注生産方式による生産分配のシステム、一括販売方式などの協同組合システムが整備されている。
こうしたグループ生産方式において、生産される商品の品質を高い水準において同等に維持するにあたって、徹底した仕様書を整備し、これに準じて制作している。
恐らくはそれ以前の松本の木工所では親方それぞれの制作スタイルに準じた制作スタイルが取られていただろうから、同じものを制作してもかなり異なった品質とディテールの違いがあったに相違ないだろうと考えられるが、この松本民藝家具の制作スタイルの共通化の過程では、徹底した制作システムの研究と議論があっただろうし、その結果、いわば日本における1つのスタンダードな木工家具の制作技法の体系が生まれ出てきたのではとさえ思えるのだ。
卑近な例だが、ボクがその後横浜クラシック家具で修行してきた親方の下で学ばせてもらった時に少し驚くとともに自信を深めたことがある。
それは制作のスタイルはやや異なるものの、その技法に至ってはそれまでの松本民藝家具の技法と異なるところを探すことが困難ほどに似通っているのだった。
1つのものを極めていこうとするとと、いずれ1つの道へと収斂していくというような光景ではないか。
また長野県下の訓練校では、やはりその技法を松本民藝家具から取っていることが、恐らくは全国にあまたある訓練校の中にあっても突出したレベルを維持している背景の大きな要素であることも間違いないところだろう。(指導教官によってその濃淡は大きいのだろうが)
このように松本民藝家具という存在は、いかに否定的に解釈しようとしても、あの池田三四郎氏の体躯の如く、どっしりと巌の如くに揺るぐものではないのかもしれない。

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