工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

職業訓練指導のひ弱さ

木工の基礎的な技能を身につける教育機関として「職業訓練校」(=技術専門校、あるいは地域によりその呼称は様々)というものがあり,その概要についても以前少し詳しく記述したことがあったが、(参照)これは日本の木工加工技能の基礎的教育機関としてより良い選択肢となるだろう、といったような紹介をした。

しかし恥ずかしながら今になってこれはいささか誇張であったかな、という自省に駆られている

今日は少しこれについて考えてみたい。

最近うちで働きたいという若い木工家志願の人がやってきた(こんなおんぼろ工房をめざす奇特な人もいる)。毎年年末頃からこのようなアクセスがあるのだが、募集しているわけでもないので基本的にはお断りすることが多い。
しかしずいぶん熱心にアピールするので1度面接と実技を見せて貰った。

この人はSという訓練校を卒業した後、造作のような家具製作をする会社で従事している若者だからまずまず相応の実技を見せてくれていた。
冒頭の話に関連するのは「訓練校では丸鋸盤でのリッピング(幅割き工程)はさせてもらえなかった。指導員が生徒に替わってやっていた」ということを聞いたことに関わる。

これにはさすがに驚ろかされた。
このSという訓練校は全国的にも最も整備された環境で教育水準も高いと見られていたところだから、この話はいささか衝撃的ではあった。

しかしよく考えてみれば、以前にも同じようなことを言っていた訓練校の若者がいたことを思い出した。この訓練校はHという地域のものだったが、卒業したばかりであったが、丸鋸盤を前にしてリッピング作業をやらせようとしても臆して全くできないのだ。
これはなんじゃ?。
リッピングなどというのは木工加工機械の最も使用頻度の高い汎用機械、丸鋸盤での最も基本的な作業なのだが、これが出来ない。やったことがない。教えて貰えない、というのだ。 ??? (疑問符を数十個付けてもまだ足りない 笑)

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お知らせです。

静岡の家具製作会社に籍を置く若手のデザイナー、職人たちが家具研究会を作り、その製作発表会を開催するようです。
先ほどメンバーに確認しましたところ、このイベントに関するWeb上のアナウンスがないようですので、差し出がましいようではありますが、ボクのほうからお知らせします。
■ 名 称 静岡 F – lab「家具」展 vol.1   〜木と暮らす場所〜
■ 期 日 2006/03/19〜03/26  (22日・23日は休み)
     10:00〜17:00(最終日15:00まで)
■ 場 所 SBSマイホームセンター内 今尾工務店住宅展示場にて
     静岡市駿河区桃園町1-1
■ 問い合わせ 090-6644-1985 スギヤまで
  shizuoka_f_lab@yahoo.co.jp
参加メンバーは画像に示すとおり。(地図とともにクリックで拡大)
お近くでご興味のある方はご覧になってください。
普段会社の仕事をしている若手職人さんですが、この発表会では会社の仕事では出来ない自由な発想で自身の腕試しも兼ねた作品にチャレンジしているものと考えられます。
家具産地、静岡の特徴としましては駿河指物と云われる精緻な作りの小家具、あるいはキャビネットなどに優れたものが伝えられていますが、これに加えて若い発想で斬新なものが見られると思います。
DMa
地図

治具についての序章

治具

三寒四温とは良く言ったものだね。今朝は当地でも結氷。でもさすがにそこは静岡。日中には1枚、1枚と着衣を脱いでいかないと作業では汗をかく。
などとTシャツで仕事してたら、な、何と雪がっ〜、降ってきました。

このところ木工話題を記述していない。そうです、遊んでました。(←半分本当)
いろいろと工場周りを整理していて、昨日はたまりたまった治具(ジグ)を整理。
工場の壁の1面には治具が所狭しとぶら下がっている。
整理は不要になった治具の廃番化、整理されていなかった治具のまとめ、などと云ったところ。

治具、型板は家具製作には欠かせない重要なもの。これを用いることで、より製作加工の精度が高まり、また生産性も向上する。
修行した松本では必ずしもこうした型板を活用した製作スタイルを取っていなかったが、その後洋家具を得意とする親方の下で1年ほど修行させていただいた過程でこの治具づくりの大切さを教えられた。

過去、このBlogではルーター(ヘビーデューティー)の活用について何度か記述してきたが、このことも種を明かせば治具の大切さとともにこの親方から伝授されたものだった。(親方 !、感謝していますよ。← 年齢は丁度一回り違う人だがMac使い、なので見てくれるかしらん)

このように木工技法もかなり地域性、あるいは製作内容(ジャンル)によっての差異を見ることが出来るように思う。

良く「職人は旅をしろ」、と云われる。つまり1個所に留まらず、多くの職場を体験しろ、ということだが、これは一理ある話だろうと考える。
様々な職場で様々な技法を学び、これを自家薬籠中とすることで、技法の自由性を獲得し、自身の製作スタイルに適合した手法(機械システム、道具システムなどを含む)、あるいは製作対象に適合した手法を選択することが可能となる。

これは単に加工プロセスの問題に留まらない。
製作する家具のデザインへも影響される問題と言えるだろう。
つまり備わった技法の豊かさが、デザインの自由さを与えてくれる1つの決して小さくない要素となってくるのだ。
頑なな考え方ではデザインの拡がりは生まれない。
木工というある種の鈍くさい工藝ではデザインを決定づける要素の1つは明らかに技法の蓄積という制約から免れないからだ。

数日前、かつてある職場を紹介・斡旋した若い女性木工職人からハガキが舞い込んだ。
パートナーとの「世界は2人だけのもの」と云った幸せそうな2ショットの写真に加えて「入籍しました…」とあったのには驚いて腰をぬかしそうになったのだったが、続いて「最近は、どんな治具をつくれば良いのかを考えるのが楽しいです」と近況が添えてあった。
この女性職人さん、芸術系の大学を修め、その後職業訓練校へと進んだのだが、ちゃんと木工修行の王道を歩んでいるな、とまぶしく感じさせられたのだった。

画像Topは整理中の治具。
画像下は工場裏の大きな椿の樹からもぎ取って、砥部焼の花器に投げ入れたもの。
この時季にあっては暖色の華やかな花なので好きです。

椿

春を食する

春を食する『医食同源』という考え方があるそうだ。よく世話になるマーケットのチラシにも必ずと言って良いほどこの活字が踊っている。
そもそもは中国古来からの思想『薬食同源』から拡大解釈されたものといわれる。
今や我々の口に入る食物も大規模な生産設備を構え、大量生産されたものを資本という経済システムを通さねば入手できないものが増えている。
ボクたちは本来自然からの恵みであるべきはずの食品素材が、生産管理上、流通安定性のため、あるいは味覚のコントロールのため、などといった理由により様々な人為的な介入(薬品投下を含む)が為されることが所与の条件とされていることを知っている。
果たして現代人は『医食同源』を目指そうとしても、こうした食を巡る環境から逃れられないのだろうか。
せめて添加物の無い、氏素性を知り得る範囲でのものを取得できるよう心がけ、美味いものを食し、味覚を喜ばしてやりたいと思う。
画像は今夕の食卓。
天ぷらと、そら豆。
一昨日、静岡市内では最も新鮮で廉価に求める事のできる生鮮食品店で春野菜を探した結果、初入荷したばかりのそら豆を比較的安く求めることができた。
天たねは菜花、どんこの椎茸、カボチャ、わかさぎ、イカ、など。
【空豆】
空豆は、たぎったお湯にやや強めの塩を降り、茹で時間約1.5分。(昨年もこの時期、確か同じようなエントリーをしていた。進歩が無い)
しかし美味い。酒が進む。
【天ぷら】
素人では、なかなか上手にいかない料理の代表格か。
ポイントはやはり衣。冷水(卵を混ぜ合わせた)に薄力粉をふるいに掛けながら、ざっくりと混ぜる。
この衣の器を氷を入れた冷水のボールに重ね、最後まで決して温度が上がらないよう留意する。
たねの方もできるだけ衣に入れる前まで冷蔵庫などで保管するなどの配慮が必要。
天ぷらとは温度の激烈な転換による物性の変化なのだろうと思うが、このことによりシャキッと揚がり素材の本来の味が封じ込められ、より美味さが増す。
なお油の温度は180℃というがこれは素材によりけりだろう。
今日は海老は使わなかったが(実はほとんど海老は使わない→理由:海老はそのほとんどが抗生物質漬けであり、気持ち悪くて食わない)、ワカサギなど新鮮な魚介類は高温で短時間に揚げるのがコツ。
対して野菜はやや低温でじっくりいこう。
また素人のボクは例えばかき揚げの場合などは衣を付ける前には、まず粉を全体にまぶしてから、本来の衣をまとわす、という2段階のプロセスを取る。
これはビニール袋にまず適量の粉を入れておいて、ここに種を入れ袋を振りまんべんなく混ざり合わせるという方法を取る。
魚介類の場合も水気があるので、同じように粉をまぶしてから本来の衣を付ける事でより簡単にざっくりと揚げることができる。
ワカサギのほろ苦い味わい。菜花のこれまた独特のえぐみが春の到来を知らせてくれる。
まだまだ日本には四季を感じさせ、本来の食のエネルギーを保有する素材はいくらでも入手できるだろう。
これらをあまりいじくりまわさずに、いくつかの加熱方法により、あるいは包丁技により、食文化の体系のなかに料理としてまとめ上げれることが出来れば、もう何も難しいことを付け加えなくとも十分に『医食同源』を実践することができるだろう。
懐石料理屋の暖簾をくぐらなくとも、日々の食卓にこそ求めたいものだ。
■空豆:灰釉輪花向付   ■酒器:志野  いずれも小川幸彦 作

コメントされる方々へ(お願い)

ここ数日スパムコメントが猛烈な勢いで押し寄せて来ています。
今朝は200件を越える数が1度に来襲しました。
このような状態は本ブログだけではなく同サーバー利用者の多くが被っていることのようです。
このような状態では運営管理はもとより、訪問者の方々、コメントを寄せて頂く方々に大変なご迷惑をおかけしますので、然るべく対策を取らねばなりませんが、残念ながら今日までサーバー側からの適切な対策サービスが提供されない状態が続いています。
したがいまして当面、緊急避難としまして、コメント欄の「name」への記入制限を設けさせていただきます。
半角の場合10文字までとさせていただきます。
スパムコメントのそのほとんどは海外からのもので半角10文字を越えるケースがほとんどですので、一定の有効性が期待できます。
当ブログへのコメントをお寄せ頂く方で半角10文字を越えるnameの方もいらっしゃいますが、大変申し訳ありませんが、暫くの間別のnameにてお願いしたいと思います。
ありがとうございました。
    ─────────────────
追補
コメント欄の「url入力枠」記入を暫く機能停止させていただきます。(05/03/10)

『芸術のわな』シリーズ放映

昨日からNHK BS1 でアート関連の興味深い番組が放映されています。4回シリーズで連日21:10〜です。
『芸術のわな』(How Art Made The World aka Art of Being Human)

太古から人間は願望や生活環境をイメージとして壁画や土像に表現してきた。そして、文明が栄枯盛衰するなか、いつしかイメージの表現としての芸術が政治的道具と化していった。文明の遺産として残された芸術作品の中に、権力者の陰謀を読み取ることができるのではないか。イギリスの公共放送BBCが制作したこのシリーズは、脳科学、考古学、心理学の観点から芸術と人間を見つめ、数千年の時を経て現代にまで仕掛けられている「芸術のわな」を読み取っていく。
          (NHK番組サイトからの紹介テキスト)

第1回 人物像の誕生
第2回 権力が生み出す虚像
第3回 音と映像の力
第4回 為政者の意図
これ以上の詳細情報は取得できませんが、昨日第1回分を見た限りにおいては、その企画内容の興味深さ、歴史的に射程の長い取材と分析、映像処理の秀逸さ、編集の妙、など第1級品です。
芸術への批評精神豊かな企画のようです。
製作はと見れば、やはり英国BBCでした。昨年2005年の製作です。
■ NHK BS1 3/6〜3/9 毎日21:10〜22:00
  → Webサイト

春への胎動、花2題

沈丁花
暦では明日は啓蟄。
今朝からの雨はまだ冷たいので、はい出してくる虫にはちと辛いかも。
しかし徐々に春への胎動の足音が強くなっているようだ。
画像は相模湾を望む熱海郊外高台での春2題。
紅白梅と沈丁花。
紅白梅画像の背景、左下の島影は相模湾に浮かぶ初島
週末の伊豆への旅路でのもの。
梅花
ところで「紅白梅」としたのには理由がある。
この梅の樹からは白を基調としながらも、ところどころに紅色の花が混じっている。
こんなのあり、ですか。梅は園芸種がたくさんあるようで、このような変種もめずらしくはないようだ。
夕刻から強い雨も降るという撮影には不向きな熱海だった。
帰路の熱海峠では雪が舞っていた。

国宝紅白梅図屏風

尾形光琳筆 国宝紅白梅図屏風尾形光琳、最晩年の最高傑作と称される作品「国宝紅白梅図屏風」を鑑賞する機会を得た。
週末、所用で伊東方面に出掛けた。三島から熱函道路を抜け熱海へと向かったが、 途中「来の宮」駅近くの熱海梅林では観梅目当ての観光客が押し寄せていて、とてもゆっくり観梅できる状況でもないのでパスし、そのまま伊東へと向かった。
所用を済ませ、午後あらためて熱海に入り、MOA美術館の「国宝紅白梅図屏風」と対面することにした。
館内奥深くにそれは鎮座していた。
写真で、TVモニターで、既に何度も見慣れた構図のものであったが、それは300年という時間をくぐってきた絵画とは思えないほどの光彩を放って迫ってくるものであった。
無論、国宝という権威付けをされたものへのある種の記号を属性に持った作品であればこその解釈がそこに介入していたことは否定しないし、根津美術館の『燕子花図屏風』と並ぶ光琳の傑作として、審美眼での評価以前に解釈してしまう自分がいたことも否定できないだろう。
しかしその上で、やはり真作を前にしてはじめて感じ取ることのできる力がそこにはあったし、それまでのこびりついた解釈など全く無効にされるほどの強い印象で迫ってきたのだった。
二曲一双の屏風は川の流紋をはさみ、紅白の梅の老樹を対峙させるという構図の緊迫感と、全くと言って無駄のない枝振りと決して多くはない数の花。そして老成した幹のたくましさは鮮やかな緑青で描き出されたコケにより、より印象が鮮やかだ。
決してリアルに描写したものではなく、ある種の抽象化、換骨奪胎ともいうべきデザイン性の追求での勝利により、絵画としての大きな力を獲得しているのだろう。
琳派作品の白眉ではないだろうか。
この作品についての描写術、手法については数年前の新たな調査研究によって、それまでの定説が大きく塗り変わるほどの解析結果を得たことで、あらためて注目されているようだ。
詳述はしないが、背景の金箔と考えられていた金色は、実は箔足までも手筆で書き分けた金泥であったこと、また流水模様においても銀の含有はなかった、などセンセーショナルなまでの反響を呼んだものだ。
既にそのような知見を与えられていたせいか、「これは箔じゃないでしょう…」などと素人解釈することも可能であったが、日本画の専門家でもないボクたちにすれば、それ自体どれほどの意味を持つのか分からないが、ただ謎が謎を呼ぶというミステリーじみたものが持つ稀少性に意味を与えることはできるだろう。
MOA美術館では毎年観梅の季節に限定展示している。(本年は3月8日まで)
参考

『室内』最終号から

室内3gatugou『室内』3月号が週明けに届いていた。<休刊>前の最終号になる。
通常のものと異なりずいぶんと分厚い。
内容は工作社Webサイトに目次があるのでご覧いただくとして、連載ものは通常のように掲載され、最終号として【『室内』まるごと50年】という特集が来ている。
それまで深い関わりのあった投稿者、関係者らからのコメント、他「今さら聞けない家具の基礎知識」をもう一度、などといった回想的記事がある。
「50年分をこの一冊に」と謳っているだけあって、アーカイブ記事のエッセンスを集めたものもあり、比較的新しい読者にはおもしろいかも知れない。やや総花的ではあるけれど。
ただ少し期待していた編集兼発行人からの「休刊へのいきさつ、その理由」などに関わるような記事はなかった。(期待そのものが間違っていた、ということか)
あえてそうしたことを推察させる記事を探すとすれば、「安部譲二 本誌編集兼発行人を叱る !?」という対談、あるいは「石山修武とアブナイ仲間たち」のコラムからということになるだろうが、しかし凡夫だから読みとれないのか、本誌への投稿であれば当然にもその本質に迫ることは出来るわけがないか、との解読をするしかなかった。
「籔の中」 ?!。
さて、いくつかの記事を拾い読みして感じるのは、連載執筆者であるとか、広告クライアントらによる「休刊」への少なからぬ衝撃がここかしこににじみ出ているものが多いと言うことだ。
彼らにとってはボクたち読者などとは異なる次元での深い喪失感があるのだろう。
それだけ唐突であり、関係者にとってのこの雑誌の存在感は大きかったという証左でもあろう。
工作社の編集、営業、少数精鋭のスタッフには休刊が決まってこの1月間、めまぐるしい日々であったことだろう。さらなる残務処理もあれば自身の新たな職場の開拓もあるだろう。
皆さんにはこれまでの発刊のご苦労に感謝したいと思う。
またインテリア、家具のメディア世界で登場されることを期待して、「お疲れさまでした」
PS:草葉の陰から山本夏彦氏がどのような感慨を発せられているかは聞かずにおこう。

家具の納品日和

ダイニングテーブル今日はこれまで数回に渡って記述してきたダイニングテーブル、センターテーブル、椅子などの納品。
隣の県下の地方都市。あいにくの雨模様であったが、さほどの支障もなく無事納品させていただいた。
I邸のご婦人、お疲れさまでした。
お気に召されたようでありがとうございました。
納品の作業というものは一連の仕事の最後を締めくくるものなので、達成感とともにやり終えた開放感があり物作りという生業ならではの喜びだろう。
しかし時にはそうしたものであるべきはずが、とんでもないことに陥ることもある。
・家具のパーツを積み忘れた。
・設置作業に必要とされる工具が足りない。
・搬送途中に傷が付いた。
・一部破損している。
・客のイメージに合わなかった。
 etc。
これらには避けがたいものもあるが、多くは準備を万端にし、適切な搬送を心がければ避けられるものだろうが、何かしら禍根を残すことも少なくない。
今回は拍子抜けする位にスムースに事が運んだのだが、これも学習効果か(苦笑)。いや、そんなん当たり前だよね。
CLAROセンターテーブル画像上はダイニングルームへ納めたテーブル+アームレス「大和」
ウォールナットブックマッチ2枚矧ぎ天板にシンプルなてり脚の脚部。
画像下はリビングルームに納まったCLAROセンターテーブル。
1枚板のCLAROをタイトにカットし、端正な構成にした。
(いずれWebサイト「木工家具の工房 悠」でも詳述する予定)
撮影は今ひとつ技術不足だね。(クリックで別ウィンドーにて拡大)
レンズは17〜85mmズームの広角寄りなので、狭い室内でもまずまず画角に納まるが、照明がストロボ1灯では無理がある。無理やりデジタル的にレタッチせざるを得ない。
という経緯ですので、暫くは製作関連の情報はありません。納税の書類作成やら、見積もりなどの書類作成やら、(遊びやら)……雑務の日々が続きます。
明日から3月ですね。3月は萌え出る季節、希望膨らむ季節。新たなステップを歩み出そうとする若者にエールを送ろう。