工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

加藤周一氏の訃報に接し

今朝起き抜けに加藤周一さんの訃報を知った。
膝から崩れ落ちるショックだった。巨星墜つ、という感じだ。
「多臓器不全」という病名を付されているが、89にもなる高齢であれば、老死(自然死)と言うべなのだろう。ただしかしそれだけで悲しみをグイと飲み込めるほど客体化できはしない。
毎月、定期的に朝日新聞に『夕陽妄語』(せきようもうご)というエッセーを書いてくれていて、それもこの7月が最後になってしまっていたので体調悪化を懸念していたのだったが、まさかの訃報には何とも無念としか言いようがない。
心からのご冥福をお祈りしたい。

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木取りと勝手について(続)

アントニン・レイモンド事務所についての企画展示が都内であったのは果たしていつのことでどこでのことだったろうか。10年以上も昔のことだったと思うが良く覚えていない。それは小規模の展示ではあったものの、大いに楽しめ、触発を受けたことは確かだった。
旧レイモンド事務所では構造材の勝手を日本の在来構法とは逆に元を棟の方に末を下に使うように指示を出して棟梁と喧嘩になったという話しがあったという。
結局レイモンド氏の部屋は指示通りにされ、所員の設計室は元を下にして建ったのだという。
確かに丸太の柱であれば緊結部が抜け落ちにくい元末逆の方が合理性があるとも言えるだろう。
一方日本の建築では古来より木材とは生きているときの自然の姿をそのまま取り込む、つまり元がしたで末が上という配置を不文律としてきた。
こうした日本人の古層にある感性というものは、合理性というものを尊ぶ近代主義とは相容れないものではあれ、決して無視することのできない事柄の1つである。
この1点においては日本人の棟梁の方がレイモンド氏よりもより文化的な素養が豊かだったと言えるかも知れない。
してみれば昨日エントリ記事において、逆木にしてしまったことは、いわば不文律を破ってしまったということになるのだが、ま、それだけ文化的素養が無い奴だ、と言われてしまっても仕方がないか。
でも、その部分の経年変化で畳ズリが機能を果たせず、不安定なものになってしまうことは目に見えているので仕方がない。
大事なことはいかに制作者がこうしたことを自覚して、最適な木取りをし、組み合わせるのか、ということになるのだろう。
少し話は変わるが、留めで枠を作るとき、未熟な職人は剣先側(外側)を隙間なく密着させようと心を砕き、反対側(内部)の密着度をおろそかにするものだが、その手法はいずれ留めを切ってしまうことになることはある程度の経験者は知っているものだ。
留めの構造上、内部の経年変化での痩せの方が大きく影響し、しかも2枚の部材ではその隙間は倍加する。
ことほど左様に木の性質をよく知り、適切に配置すると言うことは難しいものだ。
あるいはまた一件不合理に見えたとしても、実は木の文化においては数千年の昔から伝えられてきていることを踏襲することの方が正しい場合もあるだろうし、それらは日本人の感性として深層心理に結びついていたりするから、これまたやっかいな話しとなってくる。

木取りと勝手の迷い

含水率
画像は先のエントリ、CLAROの座卓の柱の部材。
在庫する中で最大の厚板が欲しくて倉庫に走り持ち込んだものから木取ったが、105mmの厚板ならではの気になる乾燥状態。
これも原木製材から乾燥まで独自に管理していたもので、ウォールナット本来の材色を損なわないために人工乾燥はしていない。
桟積みで長年じっくり天然乾燥させた。
結果7〜8年経過したものであるためか、水分計を当てるとその含水率の数値はちゃんと18%台を示していて安堵する(100mmを越える厚板で、自然乾燥ではこのあたりが限界)。
この伊太利亜製の高周波による水分計は50〜60mmの深さまで測定できるという仕様なので、まず信頼して良いだろう。
今日の問題はしたがってこれではなく、隣の長い畳みズリの部材の勝手の問題だ。
追い柾から板目に掛けての木取りになっているが、通常であれば柾目(辺材側)を上に、板目を下に、というところだが、今回はあえて逆にした。
これは経年変化での反張を配慮してのもの。
つまり板目を下にすれば、中央から外側に向けて上に反ろうとするだろうから、これは畳ズリの勝手としては具合が悪い。
逆でなければいけない。外側が下向きに反ってくれないと安定しないだろう。
そうはいうものの、やはり見た目の違和感は拭いがたく、少し悩んだ。
短いものであれば反りを無視できる範囲に地ズリ部分を削ぎ取れば良いが、1.5mともなればそうもいかない。
ここはしたがって機能優先での決断となった。
(こんなところにも“決断”というものは必要となるものだね)

銑は使っていますか

銑
これ銑(せん)という刃物だね。知っているよね。
手前が新潟三条の刃物屋のもの。後ろが米国から個人輸入のもの。さらに後ろのものはちょうな、だね。
いずれも今加工している甲板のナチュラルエッジ(耳付き)の仕上げでは欠かせない刃物だ。
あまり普段使わないので、フィーリングを掴むまでちょっとタイムラグがあるけれど、すぐに手に馴染む。
シュッ、シュッと小気味よくはつるというのも、別次元の時空のようでいてなかなか楽しい。
ここでもやはり刃物は日本の工具鋼に限るね、とその秀逸さを再確認する。
切れ味が全く異なるからね。
ところで今こうしてタイプしていると、いやに肩が張る感じだ。
今日は天板削りでがんばりすぎたみたい。
若い木工家のSくんから「鉋掛けを見せて欲しい」という願い立てがあって、今朝早くから立ち会っていたのだが、恐らくはそいのせいなのか、年齢も省みずぐぁんばり過ぎちゃったようだ。
2m×1mを越える一枚板を手鉋で仕上げるというのは、決して容易い仕事では無い。
平滑面の精度判断力、繊維の並び方向の判断力、そして台鉋の練熟。
あるいはこうし仕事に身を投ずる意識の有り様。
そうしたものに支えられてはじめて平滑で逆目1つ無いすばらしい板面が獲得できる。
Sくんは初々しく、少しものめずらしそうに見ていたが、どこまで理解してくれたのかは判らない。
自身で同じような削りにチャレンジしてはじめて答えがでるのだろう。
ボクはあまり他人に仕事をしているところを晒すことを由とはしない。
上のように平常心を損なうことは間違いないだろうからだ。
例え請われたとしても、良い指導員にはなれないだろう。
自意識が強すぎるのか、あるいは恐らくはメンタル面における強靱さに欠けるところがあるからだろう。
一方基本的にはオープン・マインドであるし、手業などの領域ではいくらBlogで語ったとしても真の理解には達し得ないことの限界と空しさを知る立場なので、請われればあえて断るものでもないだろうと思うよね。
しかし対象の選択権は渡さない。つまりちゃんと理解し、活用できるだろうという展望がなけりゃダメだね。
それほど浮っついたものではないということ。
もう1つ言っておきたい。訓練校でも専門学校でも、もう少し実践的な鉋の仕込み、削り方をしっかりと教えてから社会に送り出して欲しい。
銑2

外作業は楽しからずや(鉋は使っていますか?)

削りa
今朝は柔らかい冬の日射しが降り注ぎ、工房の外で仕事をしてしまった。
少し離れたところにある倉庫からトラックで運び込んだ材料を削っているのだが、さすがにこんな外で削る作業をするなんてことは初めてのこと。
3mを越えるような長尺ものを木取る場合、このように外に丸鋸を持ち出して切り分けるなどということはあるが、鉋仕事を外でとは、我ながら笑えてくる。
先のエントリ「冬の光」で触れたことだが、冬の工房内は光が弱く細胞レベルでの切削状況の判断が難しいということもあるが、何のことはない、この材料あまりに重量がありすぎ、中に運び込むのがめんどくさいのでトラック脇で削り始めちゃったという単純な理由。
でも今日は風もなくとても穏やかで外作業は快適。
厚いGジャンはたちまち邪魔になり、ネルの作業シャツも脱ぎ捨て、最後は二の腕をモロ出しTシャツ1枚。
削っている板はCLAROウォールナットの大きな一枚板。
2mを越える長さと、1mを越える幅を持ち、厚みも75mm.。

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職業訓練校へのいざない(お知らせ)

木工をきちんと学びたい人、そうですそこのあなたですね。
良い方法を教えましょう。
勇気を持って技術専門校の門を叩きなさい。
そうすれば未来への扉が開かれることでしょう。
全国には木工のカリキュラムを持ついくつかの技術専門校がありますが、イチオシは「長野県、伊那技術専門校」です。
理由は後段に少し詳しく話しますが、まずは資料をダウンロードして応募しましょう。(募集要項
2009年度の応募はまだ間に合います。

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鮭と菜花のスパゲティーを

スパゲティー
昨日は恒例の週末買い出しに
地元農家の野菜コーナーにはなぜか季節外れの菜花が。 ワォ、と小さな歓声を上げてバスケットに放り込む。
となれば、相方は生鮭だね。
さっそく帰宅して調理したのが画像のクリーム仕立てのスパゲティー。
名付けて
「スパゲティー・アッラ・春よこい ! 鮭よ俎上してこい ! 」(なんちゃって)
【食材】4人前
・生鮭 2切れ
・菜花 1束
・スパゲティー 350g(適量)
・ホワイトソース
  小麦粉、バター、牛乳
・にんにく、鷹の爪
【調理】

  • 生鮭は皮を取り、塩コショウ、ワインふりふりの下ごしらえ→小麦粉をまぶしておく。好きな人は皮も別に取り置き、カリカリに炒めて入れちゃおう
  • 菜花は湯に塩して固ゆで(茎部分1分、葉の部分15秒)
  • ホワイトソース
     鍋にバターを適量入れ細火で溶かし、そこにバターと同量の小麦粉を入れ、焦げないように注意しながら溶かし込む。
     火から下ろし同量の牛乳を入れ、だまにならないように良くかき混ぜ、さらに牛乳で伸ばしてゆく。さらに繰り返す。(生クリームがある人はそれを使ってね)
  • スパゲティーを茹でる(茹で湯にはしっかり塩を入れて、あくまでアルデンテだよ)
  • フライパンにオリーブオイル適量。鷹の爪と潰したにんにく1片を入れ弱火に掛け、エキスを抽出。(鷹の爪、にんにくは取り出す)
     そこに下味を付け、4等分に切り分けた鮭の切り身を入れコロがしながら周りに膜を付ける(この段階では内部まで火は通さない)
     それをオイルごとホワイトソースの中に入れ、とろ火で少し煮込む。(その後のソースの堅さは、スパのゆで汁で調整するんだよ)
  • スパゲティーが茹で上がったら湯を切り、お皿に載せ、まとめた菜花をトッピングし、そこに温めておいた鮭入りホワイトソースを掛ける。
  • 極上ワインとともに「頂〜きまーす」

ボクは濃いめの味付けが好みなので、ホワイトソースにもアンチョビを炒め溶かして入れたりするけど邪道だろうね。
菜花はまだ難しいだろうから、ほうれん草に替えても良いね。(固ゆでだよ)
画像の麺は実は小豆島から送られてきた、オリーブが練り込まれたものなんだ。色が淡いグリーンで美しいね。
(オリーブと言えば、以前訪れた朝倉彫塑館の屋上に老木があったけど、元気にしているかな、そうそう葛西水族館の周囲にも栽培されていたっけ ← ひとりごと)
表記されたゆで時間を守った積もりだけれど、少し柔らかくなりすぎた。
これはいけないね。あくまでもスパゲティーはアルデンテだね。
菜花だけれど、実は独特のえぐみが感じられなかった。露地物ではないのだろうね(この時季だから当然か)ザンネン。
脱力エントリ記事で今月も終わりです。
明日からは師走。自動車メーカーはじめ非正規雇用の派遣労働者などは数千人規模での解雇など大変厳しい師走となりそうです。
私たちを取り巻く環境の厳しさも例外ではありませんね。せめて風邪など召さぬよう、ご自愛ください。
11月も当Blogご愛読いただきありがとうございました。

新聞とネット世界

(承前)
今朝になっても夕刊は届かなかったので、販売店に配達するようFaxしてやっと手元にきた。
スミマセン、と言って、謝罪の意味なのか購読紙2紙にスポーツ紙を抱き合わせて持ってきたが、それはいらないから事情だけ説明してください、と押し返す。
やれやれこんなことなら新聞購読やめて情報収集はネットで済まそうか?
なんて、考えももたげてくる一件だったが、果たして昨夕刊の地元新聞社の印刷ミスとは一体何だったのか。
ネットで検索してもなかなかたどり着けない。
通常より18時間遅れて配達してくれた、その配達員から仄聞する。
県下のある事件を報ずる記事の見出しで容疑者の所属名を間違えたらしい、と漏らしてくれた。
手元の夕刊紙を見れば3面記事のトップにその事件と思われる記事がきていた。
5段ヌキの記事、その見出しは白抜きで最大ポイントのサイズだ。
県下の事件とは言っても全国的規模で広がる、ある社会問題に関わるもので注目度は高く、間違えられた所属先としては社会的逸失は少なくないものがあることは容易に想像できる内容のものだと感じた。
他紙の報道によれば既に間違いを気付かずに配布してしまった地域があるらしい。
恐らく今頃は間違われた所属先からの抗議にたじたじとしているのだろうか。
菓子折1つぶら下げて謝罪するだけでは済まされない誤謬だろう。
新聞メディアの影響力というものをあらためて自身の不手際で感じ入ったかもしれない。
記者、編集部、デスク、整理部、入稿、いずれのミスなのか、全てに問題があったのか、なんとも早お粗末な新聞社ではある。

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冬の光

鉋掛け
この時間、まだ夕刊が届かない。
新聞への信頼性は地に落ちて久しい、との思いはあるものの、やはり読めないというのは精神衛生上とても悪いようだ。
地方紙、静岡新聞が何か印刷ミスとかで配達が遅れるとのプレスリリースを出しているものの、本当の理由は解らない(併読している全国紙もあおりを受けて配達されない)。
よほどのチョンボを出して読者の眼に触れるのを避けたかったのだろうか。
ま、そんなことは読者にはどうでも良いこと。
さてところで今日の話題は冬の光。
我が工房は東、南、西の3方に窓があり、日の出から日没まで日射しが入る。
木工の仕事場の採光については様々な考え方があるようだが、ボクは良質な木工をするには採光はとても重要な要素だと感じている。
確かにあまりに強い光を取り込むことで、加工材への不均質な乾燥による変質、塗装工程でのムラ、など悪影響は無視できるものでないかも知れない。
それでもなお、採光は重要だ。
特に冬のように日射しが弱く、また日射時間も少ない時期には太陽光をしっかりと活用したいものだ。
これは何も作業者の作業環境のみを問題にしているのではなく、加工材・木材の表面精度、テクスチャーの判定というものに採光は必須の条件になるからである。
以前サンディング作業のエントリの時にも書いたことだが、仕上げの品質のチェックというものは意外と難しいもの。多くの新人はほとんど理解していないと考えた方が良いだろう。
それを理解させるには、太陽光の下でその切削面、研削面を透かして視ることだ。
少しは木という素材が持つ固有の表情を理解する者であればたちどころにその品質を見破ることができるだろう。
鉋掛けであれば、鉋まくら、刃の欠け、あるいは取れていない逆目なども歴然とするだろうし、サンディングであれば、高精度に掛けられた表面であればシャープにその材色固有の色が出ているはずである。
不十分であれば白くぼけていたり、ムラになっているもの。
手で触れてすべすべしているからいいだろう、というのはほとんど基準たり得ない。
なお人工の照明で代替できそうに思えるが、これがなかなか微妙。
うちは水銀灯と蛍光灯、そして部分的なスポットライトとして白熱灯を使用しているが、いずれも太陽光に代替できるほどに自然光に近くは無い。
そんなわけでこの冬の時季、陽の光は遠慮気味で弱く、しかも日照時間が短い。
したがって仕上げチェックは日射しのある時間帯をねらってすることにしているが、お天気にも影響されるのでストレスばかりがたまっていくことになるんだな。
今日は朔。いわゆる闇夜の新月だね。
かと言って狼になるほどの元気もないし、夕刊も来ないようだし、今日はふて腐れて布団にもぐっちゃおうかな。、

「ピカソとクレーの生きた時代展」

クレー「黒い領主」
知人のNさんが手術入院したとき見舞った際の贈呈本を [Taschen]社ソフトカバーの「Paul Klee」画集にしたことがあった。
気持ちが沈みがちな病院のベッド暮らしには、少しの明るさをもたらしてくれるものと考えたからだったが、確かに本人は喜んでくれたものの、果たしてそれは正しい選択だったのかという疑問が名古屋市美術館での展覧会「ピカソとクレーの生きた時代展」を見ながら頭をかすめた。
色彩と形態(フォルム)の画家と言われるクレーはボク自身好きで現在タイプしているこの部屋にも大きなポスターの絵が貼り付けられている。
今回の展覧会は、クレーがバウハウス退職後、彼自身が美術学校で教鞭を執ったことがあるデュッセルドルフにある「ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館」の改修増築工事という機にその大部が海外に出されることによって可能となったもので、ピカソ、クレーの名作を中心に、シャガール、ミロ、マティス、マグリット、エルンストなど、20世紀初頭〜第2次世界大戦頃までの欧州美術界を代表する作家の日本未公開のものを主体に展覧されていた。
今回は所用で訪ねた名古屋で少し空き時間ができそうということで急遽美術館行きを決めたということもあり、どのような作品が展示されるのか十分にリサーチしていなかったのだが、思いの外収穫があった。

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