工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

木取りと勝手について(続)

アントニン・レイモンド事務所についての企画展示が都内であったのは果たしていつのことでどこでのことだったろうか。10年以上も昔のことだったと思うが良く覚えていない。それは小規模の展示ではあったものの、大いに楽しめ、触発を受けたことは確かだった。
旧レイモンド事務所では構造材の勝手を日本の在来構法とは逆に元を棟の方に末を下に使うように指示を出して棟梁と喧嘩になったという話しがあったという。
結局レイモンド氏の部屋は指示通りにされ、所員の設計室は元を下にして建ったのだという。
確かに丸太の柱であれば緊結部が抜け落ちにくい元末逆の方が合理性があるとも言えるだろう。
一方日本の建築では古来より木材とは生きているときの自然の姿をそのまま取り込む、つまり元がしたで末が上という配置を不文律としてきた。
こうした日本人の古層にある感性というものは、合理性というものを尊ぶ近代主義とは相容れないものではあれ、決して無視することのできない事柄の1つである。
この1点においては日本人の棟梁の方がレイモンド氏よりもより文化的な素養が豊かだったと言えるかも知れない。
してみれば昨日エントリ記事において、逆木にしてしまったことは、いわば不文律を破ってしまったということになるのだが、ま、それだけ文化的素養が無い奴だ、と言われてしまっても仕方がないか。
でも、その部分の経年変化で畳ズリが機能を果たせず、不安定なものになってしまうことは目に見えているので仕方がない。
大事なことはいかに制作者がこうしたことを自覚して、最適な木取りをし、組み合わせるのか、ということになるのだろう。
少し話は変わるが、留めで枠を作るとき、未熟な職人は剣先側(外側)を隙間なく密着させようと心を砕き、反対側(内部)の密着度をおろそかにするものだが、その手法はいずれ留めを切ってしまうことになることはある程度の経験者は知っているものだ。
留めの構造上、内部の経年変化での痩せの方が大きく影響し、しかも2枚の部材ではその隙間は倍加する。
ことほど左様に木の性質をよく知り、適切に配置すると言うことは難しいものだ。
あるいはまた一件不合理に見えたとしても、実は木の文化においては数千年の昔から伝えられてきていることを踏襲することの方が正しい場合もあるだろうし、それらは日本人の感性として深層心理に結びついていたりするから、これまたやっかいな話しとなってくる。

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