工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

勝利者のいないウクライナ戦争(2)(04/17 補筆あります)

 キーウ郊外・イルピンから避難する赤ちゃん(CNNからお借りしました 謝謝)

ウクライナ侵略戦争は8週目に

世界からの非難に席巻される前、数日あまりで首都・キーウを陥落させる、というプーチンの戦争戦略は脆くも崩れ去っている。

その後、2014年クリミヤ半島の武力による併合を機に強化された、ウクライナ東部の親ロシア派が一部支配するドンバスと呼ばれる地域へとロシア軍を集結させつつあるようで、この東部からクリミヤ半島へと結ぶ回廊の支配を巡る一大攻防戦が繰り広げられようとしている。

戦争戦略の大きな転換を余儀なくされた状況下、残すところ1月を切ったロシアの「戦勝記念日:5月9日」へと照準が合わされているとすれば、ここ数週間はこの戦争の帰趨を決する戦闘になるのは間違い無いところだろう。

火ぶたが切って降ろされた2月24日から3月半ばの頃まで、北部国境から首都キーウに繫がる幹線の街々での支配下に置かれたロシア軍による蛮行の数々が今、露わにされ、世界から囂々たる非難の嵐がまきおこっている。

ウクライナ東部ドネツク州のクラマトルスクの鉄道駅へのクラスター爆弾攻撃で子どもを含む多くの犠牲

欧州各国の調査団、HRW(ヒューマン・ライツ・ウォッチ)など、戦争犯罪への証拠収集も本格的に始まり、ロシア軍や、遺族により葬られた遺体の掘り起こし、医学的検証などから、用いられた武器や殺害された状況などが明らかになっていく。

この残忍な戦争犯罪を前に、EUはじめ、西側諸国によるさらなる制裁が加えられているが、むしろそうした影響より、ウクライナ市民を恐怖に陥れる目的を持ったこの種の蛮行はよりウクライナ市民の怒りと憎悪を掻き立て、萎えさせるどころか、逆に戦争意志の強化へと繫がっているようで、この後の東部を巡る一大決戦は壮絶な戦況を呈していくことになるだろう。

今日は、少し視点を変え、このウクライナ侵略へと踏み切ったロシア・プーチンの戦争意志の依って立つところから考えていこうと思う。

その前に、これまでを振り返る意味から、BBC記者のリポートをお借りし、ご覧いただこうと思う。
BBC【最初のキーウ攻防戦は終わったが……世界の危機続く 現地取材のBBC記者が振り返る】という記事から

プーチンの戦争意志の依って起つものとは

さて、ウクライナ侵略へと踏み切ったロシア・プーチンの戦争意志だが、前回も触れた必須の問題としての〈NATOの東方拡大〉が主要なテーマになってくる。

まずはじめに、プーチンが語る、「ウクライナは兄弟国」という国家像の認識から視ていこう。

プーチンの理解を超える戦争犯罪の色濃い戦争戦略と、その強権的政治には精神的疾患の問題を抱えているからなのではといった根拠不明な憶測も含め、様々な解釈があるようだが、ソヴィエトや、共産党イデオロギーの成れの果て、などとする理解もどうも間違っているように思われる。

プーチンは少年時代からスパイへの関心が強く、将来はKGBに入りたいと考えていたそうで、そのために柔道で身体を鍛え、大学(最終学歴はレニングラード大学)も法学を修め、またKGB採用へ向け必須の条件だったロシア共産党に入党するという経緯だったようだ。
ロシアの共産党員といったものは、今や必ずしも思想的に選択するといったものではなく、その国で名を成し財を獲得するには、それが早道だということに過ぎず。ましてやKGBへの就職ともなれば必須要件というわけである。
マルクスやレーニンの著作に触れずして入党する人も多いのでは。

ソ連崩壊後、ゴルバチョフ、エリツィンに仕え、その後、首相から大統領へと権力の階段を上り詰めていくのだが、その過程で彼の国家像はソ連時代とは大きくかけ離れ、1917年革命前の栄光のロシア帝国への回帰を夢想してきたということは、ロシア研究家、ジャーナリストなどから等しく聴かれる話しだ。

ソ連邦時代の最大の祝日は他でも無く1917年、11月7日、首都でのボルシェビキ(レーニン率いる労働者、農民による革命党)による武装蜂起、つまり十月革命の記念日。

プーチンはこれを取りやめ、国歌にも謳われていたロシアの近代史に刻まれたレーニン率いる革命の歴史を悉く捨て去り、革命以前の帝国ロシアの復活をこそ、前面に打ち出すといったように、共産主義を忌み嫌い、ロシアの歴史から葬り去るという思想信条を持つ人物だ。


クレムリンの金ピカ執務室や衛兵の振る舞いなど、どう考えても共産主義国家のそれとは無縁の、まさに専制国家の君主気取り。

また1991年のソ連崩壊後というものは、ロシアを含む旧ソ連邦の各共和国との結びつきを解かれたことなどから、1930年代の世界大恐慌に匹敵するほどの経済的混乱で貧困と不平等が社会に蔓延し、壊滅的な社会混乱を招いたとされる。

米国を頂点とする資本主義国家の大勝利と盛んに喧伝された背後の東側には、こうした「敗北」の苦しみに襲われていたことは知っておきたい。
もっといえば、彼の国の人々の心中には西側諸国へはルサンチマンが積み重ねられていく日々であったのかも知れない。

NATO東方拡大

このソ連崩壊の前年、1990年は1989年11月のベルリンの壁崩壊からはじまる東西ドイツの統一がなされた年だが、この時のドイツ統治交渉時、米国はNATO不拡大を約束したのでは、との問題を蒸し返し、そこにプーチンのNATOへの「約束破り」とする怒りがあると言われてきた。

東方拡大はしないとする統一交渉時の話しは、ジョージワシントン大学に残されている文書からも明らかとのこと。(伊勢崎賢治×神保哲生:NATOの「自分探し」とロシアのウクライナ軍事侵攻の関係

これは1990年2月のゴルバチョフの米国訪問の折りのことで、ベーカー国務長官との会談で、統一されたドイツのNATO加盟に同意を迫られた場において、ゴルバチョフに対しベーカーは、「1インチも東方に進出しない」と約束したと言われている。

ただ、外交文書に明記されていることならいざ知らず、いわば口約束の「ほのめかし」というのでは、お人好しゴルビーの独り相撲と言われても仕方無いのかも知れない。

この時期のアメリカ大統領、ジョージ・ブッシュは資本主義世界の大勝利とばかりに、ロシアに対してはめちゃくちゃ強硬な立場を取っていて、欧州の安全保障に cleverに東欧を包摂するといった戦略など端から眼中になく、ゴルビーが「ワルシャワ条約機構の解体と合わせ、NATOをも不用なものとして解体し、新たな全欧州的な機構を作るべき」との持論に対し、とにかくNATOの解体どころか、より強化する方向を決して崩さなかったと言われている。

BBC記事から拝借

その後は上図に見ての通り、冷戦直後からポーランドを先頭に。我先にとNATO加盟が実現していくこととなる。

1997年5月、NATOとロシアは「NATO・ロシア基本文書」に署名。
NATOとロシアは互いを敵とみなさなさず、NATOは新加盟国に対して核兵器は配備せず、大規模な部隊を恒久的配備しない、などの合意が為される。

そして、その後は雪崩を打つように旧ソ連邦の各共和国は、ロシア、ベラルーシ、ウクライナ、モルドバなどを残し、続々とNATOへの加盟を果たしていくことになる。

  • 1999年:3カ国(ポーランド、チェコ、ハンガリー)
  • 2004年:7カ国(スロバキア、ルーマニア、ブルガリア、旧ソ連バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)および旧ユーゴスラビア連邦のうちスロベニア)
  • 2009年:2か国(アルバニアと旧ユーゴスラビア連邦のクロアチア)
  • 2017年:モンテネグロ
  • 2020年:北マケドニア
(その結果、旧ワルシャワ条約機構加盟国の非NATO加盟国として残ったのは、ロシア、ベラルーシ、ウクライナ、モルドバだけ)

こうしてソ連邦解体後の欧州ではロシア勢力圏の縮小一方、これに加えさらに「NATO・ロシア基本文書」に謳われた新たNATO加盟国には常駐軍の追加配備をしないという取り決めも早々に破られたり、2007年にはジョージ・ブッシュJr.により黒海への常備軍の派遣が強硬されるなど、そのあまりの傍若無人さに不信を募らせ、プーチンの態度が硬直化していくことになるのは、理由の無いことでは無かったというのが公平な見方というものだろう。

またこうして冷戦終結で欧州の平和構築へ向けた新たな実効性ある協議が図られるべきと言ったようなゴルバチョフの夢想よりも、旧ソ連邦の共和国は旧敵であったNATOへの加盟へと収斂されることに流れてしまったのは何ともはや 不幸であったと言うべきなのかも知れない。

同じ欧州の国家として地政学的に微妙な力学にある独仏などは、危機回避の思いから欧州における米国の軍事的プレゼンスの後退をNATO首脳会議などで提起した時、ジョージ・ブッシュ(パパ)が「誰のおかげで冷戦を乗り切ることができたのか」と声を荒げたというエピソードも伝えられているという(「論座」渡邊啓貴)


他方、プーチン政権発足時のエピソードとして…

NATOと初期のプーチン政権との関係は良好で、「プーチン氏と冗談交じりに、ロシアのNATO加盟の可能性について話し合ったことさえあった」という
—- ヤープ・デホープスヘッフェル・NATO元事務総長
(読売:「プーチン氏の野心、ウクライナのNATO加盟方針宣言前から…「モルドバなども欲している」

加え、2001年9.11 WTCテロ直後、ブッシュJr.の「対テロ作戦」へは協力する態度を表明するなど、今から考えれば、軽く驚くような米ロ協調、NATO協調路線とも言うべき春の時代があったことも忘れずに書き記しておきたい。

こうした米ロ協調時代は長くは続かず、次第に緊張へと向かう。
その分岐点になったのは2007年の「ミュンヘン安全保障会議」だと言われる。
AFPのこの2枚の画像⤵️(AFP:2007/02/11)からも窺えるが、この会議では積年の恨みを晴らすかのごとく、プーチンは米国、NATOの目に余るロシアとの国境を接する旧ソ連邦諸国への緊張を煽る軍事進出を厳しく言及している。

「米国の一方的な行動は問題を解決しておらず、人道的な悲劇や緊張をもたらしている」「政治、経済、人道などあらゆる側面において行き過ぎている」と演説。

2014年のクリミヤ半島の併合から、本件の2月24日のウクライナ侵攻にいたるプーチンの激高は元を辿れば、既にこの時期からはじまっていたのかもしれない。

この「ミュンヘン安全保障会議」の翌年、2008年、NATO首脳会議ではウクライナとジョージアを「将来的に」加盟させる方針を決めたのだが、これに我慢ならなかったのか、ロシアはジョージアに介入し、親ロ勢力の強い南オセチアを「独立」させる強引さで、その怒りを示すかのように警鐘を鳴らす。まさに「ここがレッドラインだ」とばかりに。

そしてついには2014年、ウクライナでは親露派のヤヌコーヴィチ政権がEUとの政治・貿易協定の調印を見送ったことなどから反政府運動が起こり、双方に死者を出すほどの衝突へと発展。
大統領は解任され、政権が変わる。


これを奇貨とし、政権交代によりウクライナのNATO加盟への動きが出ることに先手を打つかのように、ウクライナの極右民族主義勢力からクリミア半島内のロシア系住民を保護するとの名目で本格的に軍事介入(3月初旬)。
そこから10日ほどで半島全域を制圧。「クリミア独立宣言」を出すに至る。
即、ロシアはこれを承認し、ロシアへの編入を決める。

続いて、5月にはドンバス地域、ドネツィク州、ルガンスク州の一部で親ロシア派の武装勢力が一方的に独立を宣言する。

当然にも国際社会はこの暴挙は許さず、国際法違反の侵略行為であるとし、ロシアへの制裁を実施。

政権交代を勝ち取り、ウクライナが切望していたNATO加盟だったが、この紛争により展望を失うことになる。

このNATO加盟を遠くの彼方へ押しやったと言う意味では、プーチンの狙い通りになったのかもしれないが、逆にまた、ウクライナの親ロ派政権の樹立はこれらロシアの強硬的な軍事展開によりますます遠ざかってしまう結果をもたらしたというのも事実だ。

鋭利で計算高い頭脳を持つと言われるプーチンだが、「策士策に溺れる」ということわざでは無いが、帝国ロシアの復興へ向けた戦略も、その手法のあまりの暴虐さなどからも、悉く上手く行かず、誤算続きの策略家の人生ではあり、今般の2月24日からのウクライナへの軍事侵攻も、クリミヤ半島への制圧時のように、10日もあれば首都を陥落でき、西側諸国の制裁の暇も与えず、一気呵成に勝利できるはず、などと考えていたとすれば、楽観主義にも程があると言うべきだろう。


ウクライナは2014年のクリミヤ半島併合以降、あのような無様な形での領土侵犯はあってはならぬ、とばかりに、国土防衛の施策を進め、軍事力を強化、人々も積極的にこれに参加していくことになる。

皮肉にもプーチンのクリミヤ半島併合、ジョージアへの軍事圧力などは、それまで国民国家と言われるほどの紐帯も無く、地域のボスどもによる中央政治の腐敗蔓延だったりした国柄というものを一気に変えてしまい、結束を強め、領土を守る人々の意志を固める契機を与えてしまったとも言えるようだ。

そして迎えた2月24日からの軍事侵攻。
キーウへと攻め上ろうとする一大軍事国家の侵略に耐え、戦線を膠着状態に持ち込み、今、東部戦線での一大決戦を前に、ウクライナ兵とウクライナ市民は、武者震いしているところだろう。

今日はNATOとロシアの関係から、ウクライナ侵略の背景を見てきたところだが、私の目からは、やはり、現在戦っているのは ロシア vs ウクライナ という構図ではあるものの、しかしその実態としては、ロシアが戦っているのは、西側陣営、その頂点に君臨するアメリカ合衆国ではないのか。

ロシアの映画監督の見立て

今日(04/16)の朝日夕刊の映画紹介ページに、『親愛なる同志たちへ』という作品の映画監督・アンドレイ・コンチャロフスキー氏のインタビュー記事がきていた。

【国への信頼崩れゆく人間の悲劇 「親愛なる同志たちへ」84歳ロシアの巨匠、デモ弾圧に迫る】
こちら

その結語は以下のようだ。

「西欧と東欧の対立は何世紀にもわたる古い問題だ。西側のリベラルな哲学に誘惑されたウクライナ人に深い同情の念を抱いているが、彼らは東欧の人間で西欧の人間とは違う」と前置きし、こう述べた。

「今起きているのはロシアとウクライナのコンフリクト(衝突、紛争)ではなく、ロシアと米国のコンフリクトだ。ウクライナ人はその犠牲者なのだ」

前段はロシアで生きる知識人の誇りとする国への愛情の吐露であり、あるいは処世訓なのかもしれないが、後段は事柄の本質を言い表し、そのままポジティヴに受け取れる。

ソ連解体後の欧州における安全保障体制の構築は米国主導によるものであったわけで、それはあまりに独善的で、今日の軍事的な暴発、戦争行為を準備するようなものでしかなかったと言わねばならず、これは実に苦々しく、鈍重な思いから、歴史的に、現実的に省察されねばならないと思う。

アメリカという国は第二次世界大戦渦中にあっても,真珠湾事件を別にすれば、一度たりとも領土を侵犯されたり、戦禍にまみれるということもなく、圧倒的な経済力に裏打ちされた軍事力で勝者に輝き、その後はパックスアメリカとして我が世の春を謳歌してきたのだが、その過程では、アメリカを頂点とする自由主義陣営を脅かすような蠢きがあれば、CIAから正規軍までを使い、地球狭しと追い立て、暗殺し、籠絡し、スパイに仕立て上げ…、戦争行為を展開してきた。

ソ連崩壊後は資本主義国家の勝利の美酒に酔いしれ、NATO拡大の一方、ロシアを欧州安全保障の枠組みにいかに包摂していくのか、との視点から国連を中心とした協議に本格的に取り組む作業を怠り、ロシアをバカにし、敵視するばかりで、米露関係史を良く知る外交官などの「東方拡大はロシアを挑発する危険な選択だ」との警鐘をあざ笑い、無視するといった、超大国としての使命と責任にあまりにもふさわしくない振る舞いに終始してきた、その代償がプーチンのウクライナ軍事侵攻だったのだ。


この2回にわたる論考のタイトル、「勝利者のいないウクライナ戦争という難問」はこうした背景から導き出したものだが、この戦局の行方がどうあれ、南スラブを巡る国家間の闘争は米国による世界支配と、歴史的な弱体化、ロシア・プーチンの時代錯誤的な帝国ロシアの復興という夢想。さらにはその間隙を縫い、世界中に影響力を及ぼしつつある「中華思想」の跋扈・・・

(おっと、「勝利者のいない・・・」としたものの、ほくそ笑んでいる者らがいないわけではない。言うまでもなく、自らは手を汚さず、軍事物資、武器のウクライナ提供などで請求書発行に忙しい米国のことだが、しかし米国とて、未来社会に明るい展望を描けるものでは無いだろう。ウクライナ戦争はこれまで以上に世界を分断させ、経済を疲弊させ、不安定化させることは必至だからだ)

また当然にも様々な意味合いから、このウクライナ戦争は日本へと影響を及ぼしており、そのためにも戦局の混迷を右目で見つつも、左の脳ではこうした文脈からしっかりと新たな世界史の胎動を見据えていかねばと考えている。

最後になったがここでウクライナ国防次官のメッセージを張り付ける。

国防次官が女性というのも、ウクライナ政府の民主制に裏付けられた“強さ”というものを感じさせるが、彼女の自信に溢れる語りは、失礼ながら最初から備わっていたものかと言えば、必ずしもそうではなかったかもしれない。
50日間の戦いの先頭に立ち、兵を整え、差配し、鼓舞し、またそれらへのウクライナ市民からの激励などから自ずと備わってきたものではと思えてならない。

彼女だけではなく、多くのウクライナ市民も同様に、この戦いの中で傷つき、斃れても、すっくと起ち上がり、侵略軍に向かっていく強さを自ら備えていっているのだろう。
これを冷笑したり、観て見ぬ振りをすることは、私にはできない。

さてそこで、あらためて基本とすべきこととして上げれば…、

殺すな!

侵略軍は戦闘を停止し、自国へ帰れ!

侵犯された領土は、2月24日の前日までの状況へと戻せ!

戦争犯罪を問い、その責任者と兵士は国際法に則り、責めを受けよ!

この戦争を停めるのは、残念ながら軍事力では無い。プーチンの戦争意志をこそ打ち破らねば何も進まない。
そのためには、なかなか手が届かないのが残念でならないが、ロシア国内の反戦運動を支え、讃え、促すことだろう。

また、現に戦っているウクライナ軍とウクライナ市民の戦意を貶め、降伏すべきとか、どっちもどっち、などと価値相対化を図るような言論が散見される(橋下徹 元大阪府知事、河瀬直美 監督)が、これには同意できない。
いかにも大勢から離れ、理知的な思考スタイルから逆張りする立場なのだろうが、今回ばかりはそのような高みからの物言いのようでいて、実はとても通俗的な思考でしかなく、厳に慎むべき。

彼らウクライナの戦いは、おぞましいロシア軍の蛮行とは対照的に、同胞を守り、祖国を防衛するために、自らを奮い立たせ、レジスタンスの戦列に加わる、つまり「個に死すとも、類に生きる」という、人間の死生観にあってとても高度に研ぎ澄まされた精神的な営為であり、神々しくさえある。

若者から老人までのこの戦いに、私たちは目を見張り、かれらの健闘と無事の帰還を祈り、魂を震わせ、浄化されていく。


この論考、中途半端な形ですが、一端 休止します。
戦局もまさにこれからで、その推移は見届けねばなりません。
ウクライナという国、ウクライナ軍、などへの言及も無いままですしね。
(本業の仕事も忙しく、この執筆で寝不足が続き、本業での集中力の欠如も自覚され、あきません)


補筆(2022.04.17)

昨夜のネット報道番組(ビデオニュース・ドットコム)に取り上げられたデータが大変興味深く、日本人としてこのウクライナ戦争を考える上で、参照すべきと思うところがあり、ここで取り上げる。

これはGlobal Soft Power という英国の著名なシンクタンクによる調査研究のデータからのもの。
「ウクライナ紛争は誰に責任があるのか」との問いへの各国の人々の考えをグラフ化したものだ。(元のWebサイト

Global Soft Power
Global Soft Power のグラフから作り替えたもの(ビデオニュース・ドットコム)

本論考ではこの軍事侵攻は一方的に踏み込んだロシアに全責任がある、との基本認識に立ちつつも、軍事侵攻に踏み切ったロシアの最高責任者・プーチンの戦争意志の依って起つところ、その背景等を考えるならば、ウクライナとの戦いとはいえ、実はアメリカを頂点とするNATOの東方拡大、さらには世界支配戦略の歴史的な構図の中から見据えれば、アメリカとの戦いなのではという、事柄の本質へと言及してきたつもりだ。

しかし、このグラフは衝撃的だった。
中国を典型として、インド、トルコを除き、いわゆるG7は当然にもロシアが悪者で、自分たちには責任が無い、との調査結果が示されている。

衝撃的なのは日本の突出した一面的な見方。
他方、興味深いのは、アメリカにおける、自国・アメリカ合衆国の責任が印度やトルコと並ぶほどに高いという結果だ。

戦争当事国でもないアメリカ・自国の責任が20%を越えるというのは、なかなか凄い数字だと思った。他のG7の人々よりも、アメリカに、つまり自国にも責任があるという見方をしているではないか。

自国、アメリカ合衆国が過去、世界でどのように振る舞ってきたのかとの省察に踏まえたものと言えるのだろうか。なかなかに含蓄がある。
アメリカという国はトンデモ無い、どうしようもない酷い国だけど、しかし市民レベルではこのように批評精神豊かで自己省察も行き届く民主主義が息づいている証しと言える数値であり、つい頬が緩み、ほくそ笑んだものだ。

比し、大統領選 真っ直中のフランスには呆れるね。自国が深くコミットしているNATOへの批評精神が希薄。

そして日本だ。この突出した一方的なロシア悪者説は、肯くしか無いのかもしれない。
アメリカの支配下、あるいは属国とも自虐的に語るほどのアメリカべったりだもん。

これでは私の論考読んでもポジティヴに受け取るどころか、石が投げつけられてもおかしくは無いのかな、くわばらくわばら・・・。

番組の中でも語られていたが、日本人は「自己責任」という言葉が好きなようだが、実は自分というものへの客観的な見方をするのが苦手で、本当の意味での責任概念が理解されていない、備わっていないことの表れとも言える。

第二次世界大戦では、日本では300万人の軍人、同胞が犠牲になったことは良く語られるけれども、他方、日本軍のアジアでの戦争行為、蛮行により2,000万人が犠牲になったことは、ほとんど触れられることが無く、口をつぐみ語ろうとしない。
・・・責任を明かそうとしない。

この圧倒的な非対称は目も眩むばかりである。

このウクライナ戦争は地球の裏側でのもので、自分たちとどう関係するのか、理解は困難なのも仕方がないかもしれない。(このことも、グラフが教えるところだろう)
しかし、小麦、食用油から、原油から木材を含む輸入資材、あらゆるものが高騰していく中で、これを機に、世界の成り立ち、その構造というものへと思いを飛翔させる良い契機になるのではないだろうか。


この戦争がどのような結末を迎えるかは、たぶん誰もわからない。
ただはっきりしているのは、ロシアの世界的な孤立は間違い無いところだろう。
そして終戦後、一定の冷却期間を過ぎれば、冷静な議論が交わされ、そこではアメリカとて、NATOとともにその歴史的責任を負うべきとする論調は間違い無く出てくる。

当然にも、日本とて、こんなグラフ結果をみせつけられ、この責任からあらかじめ免れていると考えるならば、世界での地位の低落は受け入れるしか無いだろう。


〓 参照 〓
<Q&A>NATOって何?ロシアはなぜウクライナの加盟に反発するの?(東京新聞

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