工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

Blog 継続の意味って ? (続)


(承前)

こうして小さいメディアを獲得し、その中で日々木工を語り、技法を晒し、機械と工具について論ずる。
日々の家具制作活動に随伴しつ、Blog記述、運用が当たり前のように生活の一部と化していく。

今でこそ週に3本を基本としているが、一昨年などは日をおかずに上げていたものだ(今数えてみれば320本/年)。もうほとんど取り憑かれてしまっていたかのように‥‥。

しかも、恐らくは1本あたりのその分量において、あるいは内容におけるジャンルの広さ、さらには1つのことを深く掘り下げるという手法において、木工関連のBlogの中でも異色であったかもしれない。

自身では決して異色という自覚も意図も無いが、結果としてそのようなものになってしまっているというに過ぎない。
このジャンルのBlogでは一般には各々の仕事の成果を表明し、その過程の苦労話を明かし、販売訴求効果をねらうものであったり、食事ネタ、遊びネタといったいわゆる個人録としてのダイアリーといった内容のものが多いと思われる。

そうした平均的なスタイルと衡量して異質であるのはその通りだろう。
ではどうしてこのように異質なスタイルを取っているのかということを少し証しておくのも今後の運営にあたって有用かも知れない。


別にあらためて語るほどのものでもないのだが、木工という仕事に関わる記述に臨むとすれば、トータルに木工というものを捉えたいという意志、つまり技法1つ取ってもそのプロセスにおける、手業から、機械加工に至るまで、合目的的に進めることそのものがアートであるという認識を持つことの重要性であったり、家具のフォルムを捉え、そこに表明される様式美から工芸的エッセンスなどの美質、あるいはまた木工芸としての優位性の1つである木理がもたらすテクスチャーなどへの意識、そうしたトータルな捉え方を意識的に行うことで、木工家具という仕事の意味、あえて言えばその文化的営為としての静かな誇りというものを広く共有したいという願望ゆえのものとでも言っておこうか。

したがって、そうした意図に少しでも近づこうとするものとして、結局は木工に留まらない、アーツ&クラフツ全般、音楽、映画などの記述、さらにはBlogというツールを駆使するものとしてIT、Macを語り、あるいは、人の在り様そのものを考えるものとしての社会事象への言及なども、ボクとしては必須の課題として記述対象としてきた。

過去にも書いてきたが、工芸という営みというのは、作者の美意識をある素材に仮託して表現することであるという定義づけができるとすれば、そこには作者そのものの投影、つまり人生であったり、備えている教養といったものが投下されるということも言えるのではないだろうか。

先に取り上げた「批評性」という思考スタイルからしても、木工を深く掘り下げ、アートにおける時代精神を読み、それらを包摂する社会を考えるというのは当然であろう。
言い換えれば、幼児退行化するこの社会に抗い、大人としての見方、考え方を提示していきたいということでもある。

ところで、Blogというツールの1つの特性として双方向のメディアであるということが言えるわけだが、果たしてこのBlogがどうであったかは、その評価はなかなか難しい。
それなりに活発に交わされたとも言えるが、そのアクセス数からすると、とても少なかったとも言える。
これは著者の文体であるとか、スタイルであるとか、あるいは内容における関心の深さの差異といったいくつかの理由に思い至ることもできるわけだが、ディスカッションが苦手、自己を公的空間に晒すことを嫌う、という、ある種の日本特有の市民の振るまいのスタイルとも関係してくる事なのかも知れない。

実は、コメント欄に記述されずにメールとして感想が送られてくることもめずらしいことではない。

それはそれでありがたいことであり、そうした公的空間における個人の振る舞いについてこれ以上論ずる必要もない。
上述したような日本的エトスの表れとして認識するしかない。
むしろ見据えねばならないことがあるとすれば、Blog記述に注力するに見合うレスポンスが無いということは、己の非力さの問題の方だろう。

元々Blog運営なんて言うのも孤独な作業であるわけだが、しかし広くコメント欄を開放しているからには、読者数にふさわしいコメントがいただけるようにすべきであり、一層の努力も求められるというところだね。

さて、これまでの6年間、1,200本という少なからぬ記事数を上げ、Blogという性格上、断片的でありながらも様々なことを語ってきたわけだが、これからの記述がどう展開していくかは見えていないというのが本音(なぁ〜んだ、そういうことなの?)(← 問題あるかな?)。

技法とか、チップスとか、まだまだいくらでも書き足りないことはあるけれど、以前もどこかで書いてきたように記憶しているが、こうした場で書くことでどれだけ正しく伝わるかは、はなはだ心許ないという思いがある。

あるいはまた、
昔は、木工に関わるBlogにおいて、日本の木工技法を体得している人であれば絶対にやらない間違った技法であるとか、機械や刃物の特性を無視した使い方であるとか、極めて非合理的な手法であるとか、安全性からして問題のある手法などを、誇らしげに書いていることも散見され、苦々しく思っていたことも確かで、それらがもたらすであろう若い未熟な木工職人への悪影響を考えた場合、これらを少しでも軌道修正すべきかなと、少し気負った考えがあったのも確か。
しかしネット社会という性格上、これはいくら抗っても仕方ないことだと、やがて諦めてしまった。
日々澎湃として上げられる記事などに射程を及ぼすなどと言うのは、神かドンキホーテかというようなもの、
あるいはまた逆ギレされ、アホらしいしね。

Blogとは誰でも好き勝手に発信することが許されている世界であり、キャリアであろうと素人であろうと全てがフラット。
ボクの親方のような真摯に木工に取り組みキャリア50年を超える優れた職人であろうと、ポッと出の危うい自称家具作家であろうと、同じ発信力を持つというのがこの世界。

そうした世界であれば、信頼を託すのは読者のリテラシー
そこを信じていきたいと思う。

淡々と、木工職人としてのささやかな誇りにかけ、自己の責任において、良質な木工を語り、またご覧いただくという、迂遠ながらも、正攻法でいくしかないだろうと考えるに至ったというわけだね。(6年間で少しは大人になった?)

あらためて言えば、そうした領域のことについては、ぜひ身近なところでキャリアの木工職人を訪ね、教えを請うというのが本来の手法であるように思われる。
安易にネットから得られた技法などというのは、それ相応の程度の深さでしかなく、血肉化するには、時間と、経費と、仕事量と、己の思考の深さに準じるしかない。
ここでもやはり、あまりに当たり前の法則が貫かれるといううわけである。

すばらしい木工のエッセンスというものは、ネットに掬われることのない、地べたをはって掴み取るしかないというのが、事の本質であろう。
これほどまでにBlog記述しているartisanでさえ、そう信じている。

つまり、本稿冒頭のBlog運営における迷い、というのはそうしたことに起因しているわけなのだが、この難題を抱えつつ、それを自覚しつつ書き連ねていくというのが自らに課せられた倫理的立場なのかもしれない。

つまり公的空間で書かせていただくという、いわば怖れ多い振る舞いに対する最低限のマナーであり、そこを貫く中から、やっとはじめて正統性らしきものが担保され、広く迎え入れられるものになっていけるのかも知れない。

Blog運営という仮想空間における孤独な作業がどれだけ有為なものであるかは、全く持って雲を掴もうとすることに等しい活動だが、しかし決して少なくないアクセス数と、積極的に関わってくれている幾人かののコメント氏からの励ましに支えられ、もう少し続けさせていただこうと思う。

あらためて全ての読者に心からの感謝を !!

《関連すると思われる記事》

                   
    
  • あれ、写真が変わりましたか?(笑)
    ブログは自己表現の一部になっていますね、自己表現が苦手な日本人に
    とって、匿名性という味方を得て、こんなに広がってしまいました。

    色々と、自分を納得させるために整理しようとされているようですが
    要は、やりたければ続ければ良いし、やりたくなければ止めれば良い
    ということです。
    自己表現したいテーマがあれば、それに絞ることもできるでしょう。
    それによって去る読者もいれば、新たに加わる読者もいるでしょう。
    止めたり、テーマを変えることに責任を感じる必要はありません。
    その辺の自由度がブログの利点でもあるのですから。

  • acanthogobiusさん、脱力のコメントをありがとうございます。
    Blogによってソーシャルメディアが一気に普及したことはネット社会における画期でしたね。
    その自由度の高さでコンテンツを公開する敷居を下げました。
    最近ではTwitterやFacebook といったマイクロコンテンツが何かと話題になっていますが、文章記述においてはBlogの方が面倒なようでも意図したものが伝わりますね。

    こうしたネットメディアの在り様はacanthogobiusさんの仰るように何でも自由ではあるのですが、私が申し上げているのは公的空間での発信という社会性を帯びたものである以上、著者の基本的な立場を明示して行いたいということです。
    これはBlog一般に言及しているのではなく、私自身の立場を示すものです。
    Renewal 後に顔写真を掲載したのも、そうした文脈からのものですね。
    ご理解いただけるとありがたいですね。

  •  リニューアルおめでとうございます。顔写真(僕はお姿存じていますが)歓迎です(笑)。 続けていかれることを願っています。

    • たいすけさん、ようこそ。
      まだいくつか修正も必要なNewBlogですが、ご贔屓ください。

      「修正が必要なのは顔だろう‥」なぁんて話しもありますが、
      こればかしは‥、< (_ _)>

  • こんばんは。

    キーボードを前に1時間
    書いては削り(x2)
    で、今日もヤッパリdelete。

    継続に、感謝とエールを。

    • うずまきさん、deleteされずに、そのままでどうぞ。
      その“ゆらぎ”も分かるように思います。
      ハードルがあるとすれば、その過半は当方に依るものですので。

      コメントも様々な言説、スタイルがあった方が良いので、
      どうぞ賑わせてください。

      これからもどうぞごひいきに。

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