金具、ではない抽手も悪くない?
ちょっと慌てた。
いま数種の箱物を制作しているが、これに使うハンドル型の抽手の在庫が不足していることに気づき、増産することになった。
既に半加工した在庫が少し残っていたので、とりあえずその分を完成させることに。
約30本分。
残りの半加工分とは言っても、その工程数は少なくない。
小割 → 枘付け → 角面取り(Top画像) → 坊主面取り → 仕上げ鉋 → サンディング、と。
項目を挙げればたったそれだけだが、それぞれの工程にも相応の作業量があるので、半日ほど費やしたが時間切れ。
挙げ句の果て、ルーターマシンでの面取り加工時、圧締のためのミニクランプの先端を破損させてしまうというオチがついた。(画像下)
切削量とセンターピンの相互関係から迫り出し量を決めるのだが、想定が甘かった。
破損とは言っても決定的なものではなく、ルーターマシンのチャック部分が上下の座金に接触して火花が散り、傷がついた程度で済んだ。
こうした圧締方法につきもののトラブルとはいえ、少し注意が足りなかった。
庄田のルータークランプを使えば、こうしたトラブルは避けられるが、型板の作り方、構成がそのままでは使えない。
この小さなトグルクランプを用いたのは、こうしたトラブルを回避させるための選択だったが、まだまだ切削個所の上部にあたるところのスペースが足りなかったことによるものだ。
話しは変わる。
ところで、こうした小物の加工工程というのは、そのプロセスをどのように組むかで、その生産性は大きく変わる。
今の若い人には分からない例えかも知れないが、金太郎飴[1] というのがある。
1個単位で飴の中央に金太郎を描く工程を入れていたのでは巧くはいかないし、やたらと時間が掛かる。
あらかじめ棒状の段階で金太郎が表れるれるように顔の部位をそれぞれ色の着いた板状の飴を上手に配置して練り込む。
これを伸ばしてチョキチョキとカットすることで仕上がる。
抽手の場合はチョキチョキ切っただけでは終わらない。
その後、面を取り、仕上げ削りをして、サンディング仕上げ、という工程が待ち構えている。
もう少し敷衍してみようか。
家具製作一般に留まらず、モノ作りというものは、工程はあらかじめよくよく考えないと無駄と無理が出てしまうことがある。
例えば、うちでは作業工程の中に超仕上げ鉋での削りを入れている。
最終的には手鉋での仕上げを残すのだが、これをよりイージーにするためにも超仕上鉋盤の工程を入れることは重要と考えている。
切削肌は手鉋に及ばないものの、均一な削りが効率的に行われるのは評価すべきものと思っている。
稀なケースだが、かなりのボリュームで板指しの箱物を制作する際、プレナーで厚み決めされた帆立用の板などは、あらかじめ削りの業者に下請けさせ、一通り削ってもらってから、墨付け、加工に移るということさえある。[2]
ちょっと主題から逸れてしまったが、例えばある部材の片面にかなり複雑な加工を施し、基準面のようなものが残っていないというケースがあるとしよう。
これでは反対側の平滑な面に超仕上げ鉋を掛けることはできなくなる。(送り機構に応ずることができない)
こうしたケースでは、複雑な加工工程の前にとりあえず超仕上げ鉋を通しておく、ということは有効なのだ。
鉋掛け程度の問題であれば、さほど深刻なものではなかったね。
ではもう少し深刻な事例をあげてみよう。
成形加工において、ある一方に不定型な成形を施したがために、もう一方の側への切削加工が困難になってしまうことがある。
不定型な成形により基準面を無くしてしまった結果の困惑だが、これはもう後戻りはできない。
仕方がないので、元の基準面を取り戻すために、切り落とした端材をくっつけたりするという羽目になってしまうというわけだ。
こうした事柄は複雑な加工をしていく場合いくらでも起きうる。
つまり、ただ淡々と、ルーチンワークで取り組むのでは無駄、無理が出てしまうのであって、全体のプロセスをしっかりとシミュレーションしてプロセスを組むことが必要という教えである。
このように可能な限りに無理、無駄が起きないように加工プロセスを考えるというのも、有能な職人の欠かすことのできない資質というわけだ。
こうしたものには、やはり一定の経験と、智恵と言うものが要求される。
木工の技法体系が蓄積された練達の親方、兄弟子などの監視の目があれば、そうした無理、無駄はその場で指摘され、修正される契機となり得るが、とかく一人親方であると気づきにくく、後々まで無理、無駄に引きづられてしまう傾向は否めない。
キャリアの読者がこのBlogを読み、鈍くさいことやっていやがる、といった感想を漏らすこともきっとあるだろう。
元々鈍くさい才覚しかない自身の問題でもあり、また親方、兄弟子からの叱られ方が十分ではなかったことによるのかもしれない。
一方同様にBlogサーフィンしていると、なかなかアイディアにあふれた手法を取っているね、と思わされる反面、何と愚かなことを、ということも実は少なくない。
例えば‥‥、昔のCMに鶴の恩返しのパロディーがあったよね。
最後に、歩いて立ち去る鶴に「羽があるのにどうして飛ばないのか」と言うナレーションが被る。
理由はいろいろあるのだろうが、その多くは親方、兄弟子を持たないための不幸によるものではないかと思っている。
やはり手厳しい監視の目も、この世界での修行時には必要なものであるらしい。
今回はタイトルとはかなり異なった内容になってしまった。
あえて説明する事もないと思うが、家具に用いるハードウェアというものは、本来はやはり金属加工品であることが望ましいと考えている。
しかし既製品ではなかなかフィッティングするスマートでクールなものは見つからない場合もあり、結局は自分でデザインして、木で自作するということになってしまうというわけだ。(過去記事《木製のハンドル(偽金具ではありません)》)
しかしやはり、こうした木製のものは代替品というイメージを払拭できないというのも残念だが事実なのである。
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❖ 脚注