工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

金具ならぬ木製抽手

handle家具デザインにおいて、抽手、つまみ、などの金物が占める要素は大きなものがあると思う。
無論、機能金物での品質は必須なものであるだろうし、単なる抽手などでも疎かにはできない。
以前、須田賢司氏の論考「東京の錺職人」(カネへんに芳と書いて“かざり”と読む)(クラフトセンタージャパン発行『手』7号)という小論を読まれた方もいらっしゃると思うが、冒頭、次のような文章ではじまる。
「金具は木工にとって点睛である。‥‥」
これは周知のように江戸指物の系譜、王道を行く須田さんの作品を知っている方であれば誰しもが大きく頷くところだろう。
もちろん、銀などを素材とする錺を対象とした話しであるが(錺は“かざり”と読むのが本来であるが、“かざりかなぐ”というシニフィエ(意味内容)を持つと考えて良いだろう)、近年この錺職人がいなくなってきていることを慨嘆する内容の話しである。
「‥‥文化の危機を感じさせる。文化は物がつくるのではなく、人が作るものであるとするならば、職人がいなくなるという事は一つの文化の終息をも意味しているのではないだろうか‥‥」と続く。
今では錺を自らの手で作らざるを得ない状況になっているようだ。


そうした高品位な数寄、綺麗の世界の話しではなくとも、機械工業的生産物の家具金物もまた良質なものが消えつつある。
ボクが良く利用するドイツのHÄFELEのものでも同様。
スパニッシュ風の風雅なデザインで古美を施したお気に入りのシリーズがあるのだが、これらも在庫切れが多い。相当数(←数千個?)の受注が無いと生産できないと言う。
それでは須田さんのように自身で作れば良い、ということになるが、一般の家具にはそうした態勢はとても取れない相談だ。
結局、得意とする木製のものを自作するということになる。
確かに錺は金属製というのがキホンであろうけれど、画像のように黒檀、紫檀のような濃色材を用いれば十分に重厚で高品質なものが作成可能だ。
これは元は引き出しのハンドルのためのものであるが、大きな扉のハンドルとしても、その機能、デザイン、サイズからして程よくフィッティングした。
框の鬼クルミ柾目の色調も、良質な部位を用いたこともあり良い感じだ。
最近ではこうした国産の良質なクルミを探すのも困難であるからね。

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