工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

みちのく顧客にいざなわれるままに(続)

結局翌日も終日そぼ降る雨の中で過ごしたみちのくの街だったが、「はやて」車中の人となった数分後、東向きの窓に流れる風景は急速に明るさを増し、あっ、やっとおてんと様が顔出したか、とため息をもらすと間もなく、車窓に納まりきらない大きさの虹が架かった。
雨が上がり、陽が射してくるという状況に起きるこの虹だが、冷たい雨に見舞われた二日間を締め括るにふさわしい天からの恵みのようだった。
虹が現れる条件。
低空に細かい雨粒が残った状態で、低い角度からの強い日射を受けて発生する気象現象。雨粒で屈折反射してスペクトラムが現れる。
まさに好適な条件であったのだろう。
二日目は食卓テーブルトップの再塗装と打ち合わせで過ごす。
日々お皿やお茶碗が置かれる過酷な環境の食卓であればいくつものキズが付くのが通例だが、驚くことに修復しなければならないような傷はなく、細かいものをアイロンと濡れぞうきんで直す程度で済ますことができ、ほぼ完璧に再生できた。
いかにこの家族が普段から大切に扱っているかという証左。
小さな子供たちがいるご家族だが、かなり厳しく作法を教えているのかもしれない。


日常普段に高品質なものを大切に扱うという家庭内の作法というものは、代を継いでのモノとの付き合いの在りようを伝えるという意味において、とてもすばらしいことであるのだろう。
工芸品を家庭の中で積極的に取り入れ、これらとの交通の中で美意識を涵養し、あるいは背後にある作家や職人の眼差しに触れることで、感謝の心も自然と養われていくかもしれない。
工業的量産品からは得ることのできない関係性がここにはあると言っても良い。
わんこそばところで地方の旅には欠かせない楽しみの1つが食である。
この日のお昼は老舗のお店で蕎麦をご馳走になった。
連れていただいたお店は、どうも椀子蕎麦でも老舗の処らしい。
椀子蕎麦(わんこそば)のような食しかたはどうも自分には楽しめないだろう。
元々食べるのも遅い方だし味わいは二の次で、とにかく掻き込むという慌ただしさはボクには無理。
創業100数十年という古色蒼然とした佇まいは、ただそれだけでとても嬉しいもので、その客間の人となっただけで高揚感をもたらしてくれる。
お店の名前は直利庵(ちょくりあん)。
蕎麦は更科風。つゆは比較的あっさり目。
薬味はネギと、紅葉おろし。ワサビではなく、紅葉おろしというのはこの辺りの定番なのか。
風味豊かで美味しい蕎麦だった。
次の機会があれば、一人でお酒も頼み、ゆっくりと味わってみたい。
画像はそこでのわんこそばの準備の様子と、帳場脇の壁にディスプレーされた蕎麦猪口。
かつてボクも多くの人がそうであるように器の骨董に凝ったこともあり、その対象は蕎麦猪口だったが、これほどまでに並べられると壮観。
蕎麦猪口

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  • 何杯までいきましたか?

  • kokoniさん、もしやこのお店をご存じで?
    残念ですが、今回はわんこ蕎麦の方ではなく、普通の食べ方をしました。
    このお店、それぞれ入り口が違うようで、わんこ蕎麦専用のフロアがあるようでした。

  • わんこではなかったのですね。
    岩手は修学旅行で平泉に行ったぐらいです。、
    訪れる機会がありましたら寄ってみます。

  • kokoniさん、修学旅行ですか。実はボクも平泉には高校の修学旅行でいきました。
    「藤原3代のミイラ」などもね。
    中尊寺からは北上川が遠くに望めました。

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