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「デモと広場の自由」のための共同声明・記者会見

9月11日の新宿における脱原発デモでは12名もの不当な逮捕者が出た(その不当性はYoutubeなどの現場映像から確認できる)。
3.11原発震災後、様々な世論調査でも7割ほどの人々が反原発、脱原発の意思を示している中、デモの許可を取り、街頭に出てのパレード・示威行為に対し、露骨な過剰警備で応える官憲。

そして現下の最大の社会的関心事としての原発問題への意思表明に関わる事象であり、憲法で認められた市民の崇高な権利への不当な弾圧を、まるで何も無かったかのように無視するメディア。

このデモもまともにできない不健全な日本社会を撃つ〈「デモと広場の自由」のための共同声明〉が出され、本日9月29日、日本外国特派員協会で共同記者会見が行われた。

先にYouTubeを紹介した(09/17の記事)9月11日のアルタ前でスピーチをした柄谷行人氏をはじめ、雨宮処凛さん、鵜飼哲氏、小熊英二氏ほか、評論家、大学人などが呼びかけ人となっている。

USTREAM、その1


Video streaming by Ustream

USTREAM、その2


Video streaming by Ustream

共同声明文を以下に転載

「デモと広場の自由」のための共同声明

3・11原発事故において、東京電力、経産省、政府は、被害の実情を隠し過小に扱い、近い将来において多数の死者をもたらす恐れのある事態を招きました。これが犯罪的な行為であることは明らかです。さらに、これは日本の憲法に反するものです。《すべて国民(people)は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する》(25条)。しかし、東京電力、経産省、政府はこの事態に対して責任をとるべきなのに、すでに片づいたかのようにふるまっています。

それに抗議し原発の全面的廃炉を要求する声が、国民の中からわき起こっています。そして、その意思がデモとして表現されるのは当然です。デモは「集会と表現の自由」を掲げた憲法21条において保証された民主主義の基本的権利です。そして、全国各地にデモが澎湃(ほうはい)と起こってきたことは、日本の社会の混乱ではなく、成熟度を示すものです。海外のメディアもその点に注目しています。

しかし、実際には、デモは警察によってたえず妨害されています。9月11日に東京・新宿で行われた「9 ・11原発やめろデモ!!!!!」では、12人の参加者が逮捕されました。You Tubeの動画を見れば明らかなように、これは何の根拠もない強引な逮捕です。これまで若者の間に反原発デモを盛り上げてきたグループを狙い打ちすることで、反原発デモ全般を抑え込もうとする意図が透けて見えます。

私たちはこのような不法に抗議し、民衆の意思表示の手段であるデモの権利を擁護します。日本のマスメディアが反原発デモや不当逮捕をきちんと報道しないのは、反原発の意思が存在する事実を消去するのに手を貸すことになります。私たちはマスメディアの報道姿勢に反省を求めます。

2011年9月29日
起草者:柄谷行人、鵜飼哲、小熊英二

* 参照
■ 日本外国特派員協会 公式サイトから関連ページ

《関連すると思われる記事》

                   
    
  • 自己レスで失礼します。
    この共同声明・記者会見はUSTREAMでLiveで拝見しましたが、
    いささか奇妙な気分に陥りました。

    どういうことかと言いますと
    9.11脱原発アクションでの12名の逮捕の不当性を訴え、「デモと広場の自由」を語るというものであるわけですが、
    まるで軍事政権下、あるいはジョージ・オーウェルの『1984年』で描かれている超管理社会下での悲愴な訴えを聴いているかのような気分。

    いつから日本はこんな不自由な社会になってしまったのだろう。
    サウンドデモといったいわゆる平和的デモもまともに繰りひろげられない社会への違和感というのも、必ずしも社会的に共有できていない(メディアの黙殺など)、怖〜い、サブ〜イ、この日本社会。

    これって、もしかしたら福島原発からの放射線被曝と同等程度に怖ろしい話しかも。

    こんな席にはとても似つかわしいとは思えない柄谷行人氏が憐れにさえ思えてくる。
    書斎に閉じこもっているだけの研究者、評論家、思想家ではいられずに、思いあまって起ちあがったんだね。

    小熊英二さんの「デモがとても楽しかったので、以後参加している」という動機付けの話しは良かった(6.11新宿デモでは小さな子どもさんと一緒に参加していたね)。
    多くの市民と唱和して、街頭で声を高らかに上げながら歩くというのは爽快だ。
    悲壮感などとは縁遠い、新しい時代の市民運動の形態だ。

    それと、この日本外国特派員協会での記者会見というのも、考えさせてくれる。
    9.19明治公園での集会 – デモは、国内メディアよりも海外メディアの方が好意的に報じるという対照をみせていたが、起草者はじめとして、日本でもまだまだリベラル陣営は意気軒昂だよ、という国境外へと伝える必要性に迫られたのだろうね。

    何となれば、フクシマ問題は、国内に留まらない世界的事象であるからだ。
    放射線の影響が国境を越えてしまっているということ、そして原発をめぐる判断基準として世界中に衝撃的な影響を与えているということにおいて、
    この自覚というものは、意外とスルーされがちだが、そうであってはいけないと思う。日本人の自覚と、知性が問われていることなのだと思う。

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