工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

鉋掛けの技量とは

Workbench
10数年前に制作したテーブルを一旦引き上げ、あらためて少しデザインを替えて再生している。
脚部などは全く新たに制作するものの、天板だけは削り直して再生させる。
今日はこの天板の鉋掛けに纏わる話し。
うちのアシスタント(見習い)は、かなり鉋掛けには自信があるようで、このプロセスを任せてみたのだが、ある程度は削れるもののやはり途中で音を上げた。
まぁ、当然ではある。経年変化で少し反りが出ている。
ブラックウォールナット2枚矧ぎで90cmほどの幅のもの。
いかにウォールナットという材種が安定した反りの出にくいもので、しかも1枚が450mm幅のものともなれば良質で最高の条件ではあるのだが、しかしそのまま平滑にするのは決して容易い作業とはいかない。
全く新たな材料でさえ、なかなかやっかいな仕事だろうからね。
ここに反りが加わり、かつ細胞がうねっている杢がかったところなどはやや過度なサンディングもされているだろうし、より困難なものとなる。
そこで親方が代わり、この板に向かえば小1時間ほどできれいに削り上げた。
これは何を意味しているのだろうか。
未熟な職人とはいっても、小さな板であればほぼ必要とされる水準で削り上げる技量は持っている。それが彼の自信となっているのは理解してやらねばならない。
しかしある程度のボリュームを持つ板で、さらにここに反りが加わっていることでたちまちにしてこの技量の底の浅さが暴露される。


「削ろう会」という鉋掛けのイベントがあることは知っているが、これまで参加したことも見学したこともない。
これは鉋掛けに興味がないということではないのだが、必要とされる技量とは少しめざすところが違うと考えるからだ。
檜の目の通った材を削り上げるのはさほど困難なものではないかもしれない。確かに数ミクロンの厚みの鉋屑を出すのには、相応の鉋の仕込みが必要とされることは自明であり、ボクの日常普段に使う鉋では役立たずかもしれない。
一方、一般に木工家具制作で必要とされる鉋の技量とは多岐にわたる条件の下でのそれとなる。
つまり、

  • テーブルのような大面積のものを平滑に削りあげる技量
  • 框ものを、目的とする厚みにメチ払いしながら平滑に削り上げる技量
  • 凹凸の一定の曲率を持った曲面を精度を確保しながら削り上げる技量
  • 凹凸の不定型な曲面を目的とするラインに沿って削り上げる技量
  • 椅子の座板の削りのような彫刻的な削りが出来る技量
  • そして、今回のような、ある種だましだまし、での一定の厚みで平滑面を出す技量

等々、様々な条件の下で目的とする面形状を出す技量というものが求められる。
これらは決してボクのところの固有の条件というものではなく、家具制作において一般に広く求められる普遍的で必須の技量である。
ボクは鉋を持って此の方、わずかに20数年でしかないが、ほぼこれらの要求に応えられるだけの技量は持っている。
これは家具職人としてみればごく当たり前のことなので、何ら誇るべきものではない。
こうした技量というものは、修行の場を与えてくれた「松本民藝家具」での苦しい日々の仕事の賜物。
鉋掛けの対象としては難易度の高いミズメ樺を相手に1日、10数枚もの天板を削り上げることが求められ、それまで鉋など握ったことなど無かった者には腕がもぎれんばかりの苦行ではあった。(それ以外の材種など当時はあまり知りもしなかったので、他の材種を削る機会が訪れたときのあまりの容易さに脱力させられたものだった)
1日の仕事を終え、数時間後に床に着くときには、腱鞘炎でビリビリと腕が痺れて熟睡に入るには暫しの時間が必要だった。
こうした月日は徐々に身体を家具職人としてのそれに変身させていき、はや齢60になろうとしている老体ではあっても、強靱な腕と技量というものはまだ衰えを知らないし、若い職人に負ける気などしない。
ところで、上述したような多岐にわたる条件の下でこれらを削るためには、それぞれに適合した鉋を選択しなければならないことは言うまでもない。
寸八の平台鉋、寸4の小鉋、幾種類かの曲面を持った反り台鉋、大小様々な四方反り鉋、南京鉋、そしてそれぞれに中仕込、仕上げ仕込と、家具職人を目指す若者からすれば驚くほどの数の鉋を使い分け、それぞれのフィーリングを完璧な条件の下に整備し、そして鍛え上げられた技量によって目的とする形状に削り上げるのであるが、
しかしあえて言うならば、それらの技量は、鉋の種類と同じ数ほどの技量が必要とされるというのではなく、極論すればたった1つの技量があれば十分なのである。
換言するならば、平台鉋で削り上げる技量があるのに、反り台鉋、南京鉋が使いこなせないというのは、いわばそこには形容矛盾があると言われても仕方がない何ものかが潜んでいる。
平台鉋を完璧に使いこなせるならば、目的とするところも違えば、形状も違う反り台鉋、南京鉋も実は同様に使いこなせるものなのである。
双方に共通する鉋掛けにおける本質とは、まったく等価である。
反り台鉋、南京鉋が縦横に使いこなせない職人が、平台鉋を完璧に使いこなすと言った定義は成立しない。
謂わばそうした家具制作の現場における職人に求められるのは「削ろう会」で求められるそれとは微妙にニュアンスの異なる、幅広い、しかしまた本質的な技量の方なのである。
したがって今回のような、やや反り返った天板であっても、これを目的とする平滑面に削る前に音を上げるというのは、やはりまだまだ未熟で、鉋掛けというものの本質が体得できていない職人の嘆きでしかないのだ。
ちょっと余談になるが、
そんなもの、サンダーで仕上げりゃ、簡単じゃん、という陰口も聞こえるし、事実そうした手法で再生しているところは多いと思う。
それはその職人、あるいはその工場の志しの違いであるから、様々であるだろう。
しかしボクは日本の家具職人として、木と対峙するに当たってのこうした鉋で仕上げ削りに臨むということは極めて普通の感覚であると考えているし、またその結果、サンダーでは決して求めることの出来ない、本来の木質が有するテクスチャー、一点の曇りもない表情を醸すことができる手鉋の方に依拠するというのは何も決してストイックなものでも、過度に精神性を求めるなどといったものではなく、あくまでも合目的的なものであるからに過ぎないのである。
過去何度も語ってきたように、現代に於いて穢れてしまっている“手作り●▲”なる物言いは趣味ではないので使わないが、手鉋での切削仕上げを“手作り”の象徴的言辞として使うことが良く見受けられる。如何にも精神性が高いかの如くにである。
ボクたちがサンダーではなく、手鉋の方に優位性を認めるのは、決して精神性云々ではなく、目的とする切削形状、切削面の品質を求めることにおいて、はるかにサンダーなどよりも生産性が高く、結果としてはるかに良好なテクスチャーを獲得できるからなのである。
上の合目的的ということはこうしたことを意味する。
これらのことはボクの考え方と同じ感覚で臨んでいる職人にとっては、何も取り立てて口角泡を飛ばしながら語るものではなく、フツウの感覚である。
さて、そこで話しを元に戻せば、反り返った板を削るには、ちょっとしたコツもある。
ここでこの削りに求められる削り台(作業台、ワークベンチ)だが、Top画像のような、しっかりと板の4隅を固定できるドックと、バイス(万力)が必要とされるのであるが、これについてはまたあらためてしっかりと触れてみたいと考えている。
*注、引き合いに出した「削ろう会」であるが、恐らくは、ここでの良い成績を収める職人には、上述した様々な場面においても、良いフィーリングで完璧な鉋掛けが出来ると信じている。 
すなわち、鉋掛けの本質とは、その被切削対象が異なれども、目的に合わせた削り面をもたらすという行為において、何ら変わるものではないということであろう。
また伝統工芸の一翼を担っている鉋の取り扱いという日本古来の手工具の“文化”というものは、現代社会において、日々その求められる場所が少なくなってきている中にあって、この「削ろう会」は技術を伝承させるものとして、とても意味のある有為な活動であることを高く評価していることは言うまでもない。
(今回の記事には、異論、反論もありそうなので、どうぞ遠慮無く俎上にしてください)

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  • 少し言葉が過ぎるようです。あなたのことを尊敬する一人として、言わずにはおれません。

  • 匿名でのコメント氏が仰る「少し言葉が過ぎるようです」は、差し支えなければ、どの部分を指摘されていらっしゃるのかお示しいただければ、実のある意見交換も可能となるでしょうから、お願いしたいところです。
    なお、この記事の翌日(06/20)に「追補」を上げましたので、これも参照いただき、ぜひ具体的な反論いただくことができればうれしく思います。

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