工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

死後の世界とは(宮迫さんの通夜に参列して)

数100m東には相模灘が広がる伊豆半島東岸に立地する葬儀施設の大ホールには、告知時刻の10分前に到着したが、既に200ほど用意された席はほぼ埋め尽くされようとしていた。
宮迫千鶴さんの通夜の会場。
まさかこんな形で宮迫さんに再会しようとは思いもしなかっただけに、会場までの伊豆山中行はとても辛い行程だった。
3時間の行程、カーステレオに繋いだiPodから選んだソースは、モーツアルトのレクイエム、マーラー「巨人」の第3楽章、そしてベートーベン第7番、第3楽章。
午前中の仕事から通夜会場へのスイッチのためのものだったが、後述のような理由から余りふさわしくない選曲だったかも知れない。
喪主、谷川さん以外に知った顔はほんの数名だけであったが、贈られた花輪の札には出版社、新聞社、放送局などの大手メディアをはじめとして、著名な画家、アーティスト、あるいは各地域のギャラリーなどの名前が見える。
故人の生前の幅広い活躍と、交流の深さを物語るものだ。
あるいはこの地で爽やかな5月をアートで埋め尽くす「伊豆高原アートフェスティバル」の発案者、企画運営者として伊豆のこの地に移住した頃から、地元密着型で、かつ多くの美術愛好家を首都圏から招き寄せる仕掛人だったことから、多くの地元の方々の参列者も多かったのだろう。
故人の遺影は萌葱色のドレスに身を包み、おだやかな笑みを浮かべる美しい姿だった。
そして喪主、谷川さんはご長男とともに参列者のお悔やみにひとつひとつに丁寧に返礼されていたが、意外にも沈み込んだ姿というよりも、気丈に、よく皆さん来てくれたね、と言ったようなむしろ明るく接遇してくれていたのが印象的で、ただそれだけで会葬者にとっては救われる思いがした。
この意外さというものは通夜式辞の最後の喪主の謝辞によって明かされた。
宮迫さんの伊豆移住後というものは、徐々にスピリチュアルな世界を探求し、その方面への思考を深めていったことはよく知られているが、谷川さんからは彼女の死後の世界への関心と、これを確信するに至るまでの精神的な遍歴に触れ、宮迫さんは最後には「死は怖いものではない」「これを受け入れることができる」とまで語っていたことが明かされた。
どちらが先に亡くなろうとも、決して落ち込まず、またどこかで逢えるぐらいの気持ちで受け止めよう、という死生観で結ばれていたのだという。
これを聞かされるまでは、到底谷川さんのしっかりとした会葬者への振る舞いと、謝辞に込められた、宮迫さんの強いメッセージは理解が困難だったかもしれない。
しかしやはりそうは言うものの、喪失感はあまりにも大きい。あまりにも早く訪れた死期。
ボクなど俗物には、とても死を前にしてじたばたせすに受容しようなどという達観した地平に起つことなどはできるはずもないが、しかし宮迫さんの死生観の背景にある、生というものへの慈しみ、ものごとへの探求心、精神世界の豊かさ、他者への想像力といったものを今一度接近することで、その思いを継いでいくことができれば良いと考えてはいるのだが、
心からのご冥福をお祈りします。宮迫千鶴さん、ありがとう。
伊豆高原アートフェスティバル 公式サイト

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