工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

希望から諦念への落下速度

迷走する政権の行方
荒涼とした日本社会に一条の光が射し込んだというのが昨年夏も終わりに近づく衆議院総選挙の結果だった。
「友愛」などと恥ずかしげもなくのたまう鳩山党首を頂く民主党ではあっても、安部とか麻生と言った、だひたすら米国に向けては屈従を誓い、国内にはやたらと偉ぶる三文役者に較べればよほどまともで安心させてくれるお坊ちゃんだった。
この政権交代は「これで日本も少しは立ち直れるかも‥‥」といった控えめな高揚感をもたらし、多くの人々同様にボクも期待した一人だったが、まだ半年しか経過していないこの段階で自身の不明を恥じることになるとは‥‥。
世論調査などというものに時代潮流の動向を求めようとはさらさら思わない。しかし70%を超える政権発足時の支持率がたった半年で40%を切るところまで落ち込むといういささかドラスティックな低落というものはやはり無視できる数値ではないことも確か。
このところの鳩山民主党の迷走ぶりは尋常ではない。
象徴的なもので言えば、やはり普天間米軍基地移設問題を典型とする“日米同盟”への姿勢だろう。
これに関しての政権内部、各閣僚からの発言は政権発足当初からばらんばらんで、まるで政権の体を為していなかったわけだが、5月決着とする猶予ならざる時期を迎え、メディアの錯綜ぶりにも足下を掬われ、より一層の混迷ぶりで小田原評定から抜け出す気配すらない。
同時にまた衆院選前に提示されたマニフェストから大きくかけ離れた方向へと舵が切られつつあるいくつかの指標も取り上げねばならない。

  • 千葉法務大臣、犯罪取り調べの録音・録画(可視化)のための刑事訴訟法改正案の今国会への提出見送り
  • 高校授業料の実質無償化の対象から朝鮮高級学校を除外


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厚生労働省局長の村木厚子氏が、「民主党の石井一議員の口利きを受けた部長の指示で、部下の上村元係長(起訴休職中)に、偽造文書作成を指示した」として、昨年6月大阪地検特捜部に逮捕され、その後5ヶ月以上にわたる拘留を経、虚偽有印公文書作成などの罪で起訴されるという事件があったが、これが現在大阪地裁において公判中。
昨20日までに14回の公判を重ねてきているが、当時の上司、部下らの証言がことごとく上村被告の無罪主張に沿った証言に終始しており、大阪地検特捜が描くシナリオは根底から崩されつあり、公判維持すらおぼつかない事態となり、まさに前代未聞のフレームアップの様相を呈しているという。(47NEWS
これは公判廷でも明らかになっていることだが、供述調書が容疑者の意志に反する強権的な手法で採取され、でたらめな内容で作成されたことによる起訴であったことがほぼ明らかになってきている。
密室における強権的な捜査と供述書作成がいかに不正な司法手続きの温床になっているのかが証明された形だ。
冤罪・足利事件がまたもや繰り返されようとしている。
一刻も早い可視化法案の国会上程と審議が望まれる。
取り調べ可視化法案に関しては民主党が野党時代に参院で2度も可決しておきながら、政権を取ってからというもの、きびすを返すが如くに及び腰となり、今更「勉強会を起ち上げる」などと呆れかえるほどの後退ぶりだ。
千葉景子法相に個人的な想いなどさらさらないが、現時点ではこの千葉法相の下では死刑執行が為されていないことは高く評価されるべきだろうし、その1点だけとっても好ましく思うが、取り調べ可視化法案の後退は明らかに法務官僚に完全に取り込まれてしまっている姿が浮かび上がる。
あなたは問われている。官僚の側に向けた顔をボクたち市民の側に向き直す意志はあるのか。
閣僚の日常というものは分単位でスケジュール化され、冷静沈着に思考をめぐらす余裕など奪われ、まさにがんじがらめに拘束された状態なのだそうだが、しかし自身の信念に背を向けることなく、その役職を全うするというのが公職にあるあなたの務めであるべきだろう。
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次に、怒りの前に、ただこの国の在りようのおぞましさを象徴させる政権内からの発言に、打ち震えるほどに悲しくさせられてしまうということがあった。
中井洽国家公安委員会委員長による「高校授業料の実質無償化の対象から朝鮮高級学校を除外せよ」という発言と、これに続き同意を与え補強させる発言を繰り返す鳩山首相のことである。
政権人事が発表された時、あぁ、これで北朝鮮による拉致事件問題の解決はさらに一層困難になったな、との感慨を覚えたものだった。
他でもない、この問題解決の方途も、意欲も持たず、いやむしろ放置することに使命を帯びたかのような拉致問題担当相、中井という人物への諦念である。
あるいはこの任命権を発動した鳩山首相への疑念である。
この「高校授業料の実質無償化の対象から朝鮮高級学校を除外」問題は国連の人種差別撤廃委員会から人種差別になると指摘され、改善を勧告されるほどの国際問題化されてしまっている。
東アジア共同体構想」をぶち上げたのは誰あろう、わが鳩山首相であったはずであるが、これほどまでのあからさまな人種差別をしておいて、何が「東アジア共同体」なんだろうか。どこが「友愛」なんだろうか。排外主義丸出しじゃん?
不見識で、無教養で、差別主義。言うこととやることが真逆。
どこがって?
日朝首脳会談(2002/09/17)以降の、あるいはそれを遡り東アジアの近代史を前にしての日本社会の在りよう、政治状況への深い洞察力がまるで感じられないのではないか。
対象国からは「東アジア共同体構想」なるものへの内実への懐疑が巻き起こりつつあることに、恥じ入るしかない。
言うまでもなくこの所轄官庁のTopと、首相のねらいが支持率低迷への危機感から発する排外主義の動員であるとすれば、問われているのは、ボクたち社会全体の冷静な世界史的視点と、未来への展望に他ならないだろう。
このままでは「東アジア共同体構想」どころか、孤立への道へと転げ落ちていくだけだろうね。
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政権の支持率が急降下しているのは政治とカネだと言われているようだが、確かに現政権も旧自民党的金権体質から抜け出ていないことの表れであることは間違いないものの、しかし個人的にはそうしたダーティーな側面を孕みつつも、旧政権からのしがらみと、利害関係を断ち切り、真に民衆とともに新時代に即した経済社会を構築し、人権を守り、北東アジアの平和を先頭に立って打ち立てるべく、強力に推進していくのであれば支持すべきと考えていた。
しかしこのところの混迷ぶりは、ことごとくそうした期待を見事に裏切りつつあり、罪深くもただただ嘆かわしい。
支持率低落の挽回にと、そうした排外主義的政策で選挙民の欲情に媚びるという手法はかつてよく見られた保守政治の常套手段だが、そんなものに手を染めるとなっては、この民主党にももはや未来はないということだろうね。
一体何が彼らを変節せしめたのか
戦後日本の政治史、国際関係を少しでも知る人であれば誰しも共通して思い至るのがアメリカの隠然たる存在だろう。
この間の小沢民主党幹事長をめぐる東京地検特捜による国策操作に象徴される検察捜査の政権政党との関係性における慣行を無視した強権発動は、明らかな政権交代へのエスタブリシュメント(その背後にあるアメリカ、エスタブリッシュメントの意志の発動)からの反動であり、また多くの閣僚が政権発足時の意欲が次々と腰砕けになりつつあるのも、結局は同様に、旧政権の意志を引き継ぐ官僚らの強い抵抗に遭い、絡め取られつつあることの現象であると見れば符号が合うだろう。
田中角栄が日中国交回復後、ロッキード事件によって失脚させられたも、中国との関係構築を良しとしないアメリカからの強権発動であったことはつとに知られたことだが、その愛弟子だった小沢幹事長が同様の轍を踏まされるというのも因縁とはいえ、日本の既成政治家を覆う闇の深さに言葉を失う。
冒頭に上げた普天間基地移設問題も結局はこの日米関係における旧支配政治体制からの置き土産からの脱却とのギリギリとした暗闘の顕現なのだろう。
そうしたことを知って知らずか、我が官房長官などは名護市長選の結果を「斟酌」する必要は無いと蛙の顔に小便の顔付きで抜かすアホだが、沖縄県民などは我が国民の一員ではないかの如くのふざけたきった態度には怒りを超えてあきれ果てた。
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冷戦が終わり20数年、米国の世界規模での軍事戦略における沖縄の位置は大きく変容してきている。中国、北朝鮮という不安定要素があるとはいえ、かつての仮想敵国ソヴィエトのような軍事大国は今や北東アジアのどこにもない。
沖縄駐留米軍は、冷戦後のアメリカによるアフガン、イラクへの侵犯のための出撃拠点であり、演習のための基地でしか無く、日米安保条約に基づき日本を護衛するためのものなどではないことなどは中学生にでも了解できる実態だろう。
そうした米国軍事戦略にとり、沖縄駐留軍を含めたグァムへの再編は既定の路線であるにも関わらず、ただただ日本の政治戦略にとってのみ有用として戦後65年間にもわたる基地の島の固定化から抜け出せないだけのこと。
そこには世界最大のアメリカの経済運営というものが軍事戦略、軍事産業に異常に偏倚することで成立しているという隠れた事実というものに学び、日本でも同様の国家戦略を持ちたいという軍産戦略の意思を体現し暗躍する政治家どものあくどい狙いも見ておかねばならないだろうね。
しかし先述した官房長官のあからさまな沖縄切り捨て発言に見られるように、沖縄への差別意識は民主党政権になってもなお止むどころか、あからさまな姿を取って表れてきているところに本土、ヤマトンチュウの罪深さを共有せざるを得ないことが悲しい。
基地移設の結果次第では、過去何度か吹き荒れた沖縄全島からの怒りが澎湃と巻き起こることは必至だろう。問われているのはヤマトンチュウのボクたちの意識の在りようだろう。
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最後に忘れてならないのがメディアの罪深さだ。
先述した米国との関係性をめぐるギリギリとした暗闘というものは、新生日本を作り上げるには欠かせない道程であるが、これをどれだけ自覚しているのかは知らないが、そうした既成力学から一歩も出ないところから民主党への表層的な批判で紙面を埋め尽くしているのが日本の既成メディア。
まるで旧自民党支配体制が恋しいが如くにである。
一見リベラルを標榜する顔つきのメディアほど胡散臭くなってきている。
ただただ小沢を叩くことが使命とばかりに欲情に媚びへつらい、自身が示す方向に、どれだけの明るい未来があるのかの検証もできず、あるいはプラグマティックな政治手法も理解に及ばず、市民のアパシーへの助力に紙面を惜しまないという体たらく。
これほどまでの戦後民主主義の底の浅さに驚きを禁じ得ない。
今日のタイトルの「希望から諦念への落下速度」を促進しているのが既成メディアであり、それがもたらす空気感にどっぷりと浸かる我が選挙民であるとすれば、あまりに寂しいではないか。
いくつかの表象から国内政治の暗部をみてきたわけだが、どうも民主党という政党は、自身が巻き起こした政権交代というドラスティックな改革というものがもたらした国内政治の流動化、それがもたらす国際政治へのインパクト(対米だけではなく、アジア各国は日本の政治動向を固唾を呑んで見守っている)の強さというものに怖じ気づいているという感じである。
それだけの覚悟がないのであれば、「こんな積もりではなかったのに‥‥」と逃げ出せば良いかも知れないが、沖縄県民も俺たち選挙民も、許すはずもないだろう。
明るい未来をどうすればたぐり寄せることができるのか、共に考えたい。

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