工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

「月面探査機“かぐや”、使命終え月面落下」のニュースから

宇宙航空研究開発機構(JAXA)による2007年9月14日の打ち上げ以来、1年半にわたる月を観測してきた月周回衛星「かぐや」(SELENE)はその使命を終え、6月11日制御落下させられた。(中日新聞
科学者でも無いボクにとっては、その探査結果への検証などへの興味はともかくも、NHKなどにより開発された堅固なイビジョンカメラから送られてくる「満地球の出」、「月面」などの撮影に、その幻想的な映像とともに我らが生きる青い地球の素晴らしい姿にロマンが掻き立てられ、見入ったものだ。
まずはJAXAから提供されているYouTube、JAXAチャンネルから
「かぐや」HDTVによる満地球の出(2008年4月5日)


この「かぐや」プロジェクトは、あのニール・アームストロング船長が乗ったアポロ11号のように月面着陸の構想もあるのだそうだが、今回は周回衛星として地形や元素分布などを調査したそうだ。
近く(11月頃?)観測データも公開されるようなのでそれを待ちたいと思う。
さてこうした夢と希望の話しに水を指す積もりではないが、ただ夢を語るだけで事済むほどには宇宙開発そのものに楽観的にはなれない部分もあるのは確かだね。
いささか懐疑的にならざるを得ない。
貼り付けたYouTubeの映像にはNHKは得意満面なのだろうが、総額550億円の開発費用の中、宇宙探査機用ハイビジョンカメラの開発費用はそれだけでも数10億というコストが掛かっているとのこと。
いやいやただお金のことだけを言ってるのではなく、人類の英知の勝利、科学技術への無条件な信奉といったようにオポティミスティックにはなれないということなのだ‥‥。
事実、歴史的に振り返ってみれば宇宙開発というものは米ソ冷戦の時代、体制優位性のプロパガンダの如くに開発を競い合い、その開発成果というものが大陸間弾道弾ミサイルとして結実したことにも明らかであるように、まさに国家的プロジェクトとして軍事技術開発とともにあったということは忘れてはならない問題だね。(参照:JAXAサイトでのタウンミーティングでの議論
現在進行中のプロジェクト、米国NASAとの国際宇宙ステーション(ISS)、「きぼう」日本実験棟なども、裏を返せば米国主導の宇宙開発の莫大な開発費用の捻出に日本を従属的に取り込もうという意図は明らかで、当然にもその結果として日本側に与えられる成果というものは、かなり限定的であるだろう。
こんな少し考えれば誰でも分かりそうなからくりを今の国内メディアは適切に開示してはくれないが、ネット上からはかなりの程度に情報は得られる。
せめて、かつての「アポロ計画陰謀論」(実はアポロ11号の月面着陸は捏造だとする陰謀論)に見られような疑念を抱かれるものであってはならないだろう。
ところで‥‥、あなたはUFOの存在を信じるという立場ですか?
‥‥ ボクはですね。高校1年の秋、ガールフレンドと肩を並べた通学途上、晴れ上がった東の上空に未確認飛行物体を見たのた。

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  •  日の丸付きNASAの宇宙服で、嬉嬉としてスペースシャトルに乗り込む毛利衛さん達を(後の人たちも)好きにはなれません。(なにせ、原発の宣伝をしてるのですから…。)
     事業としての宇宙開発にもブログ主さんとほぼ同様な感慨を持ちますが、人間は自身が人間になった瞬間から持ってしまった知的好奇心からは逃れられないと思います。其れを自己栄達の手段とせず、純粋にストイックに探求する科学者はいると思いますし、彼らを支持し尊敬します。 その意味で「きぼう」よりも「家具屋」じゃなかった「かぐや」が好きです。
     因みに「UFOの存在を信じるか?」という問は冗談ですよね。問自体の言語矛盾を指摘した上岡竜太郎氏を支持します。 

  • ミルトマップさん、Welcomですね。(お初のコメント?)
    最後のUFOの存否ですが、ちょっとテーマを無駄に拡散させてしまうものでしたね。(m_m)
    ところでスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」は映画史に輝く名作ですが、ご覧になりました?
    名作たりえたのは、猿人が目の前に屹立する石版“モノリス”と接触することで、ミルトマップさんの仰るような知的頭脳を獲得し、その結果、他の猿人をその際に獲得した武器(骨で作られた)で殺してしまい、そこからカメラはパンし、一転して2001年の宇宙船にスキップするという冒頭のショッキングかつ象徴的なシーンからはじまったところにありますし、
    また人工知能(コンピューター)HAL(それぞれのアルファベットの次の文字を並べてみると‥‥)と乗組員との緊迫したやりとりでの、人間存在と宇宙という関係性への哲学的命題をめぐる葛藤というものがあったからだろうと考えています。
    これは映画世界の話しですが、宇宙開発というカテゴリーは常にそうした命題とともにあるのだということは忘れないようにしたいです。
    なお科学者の立場を考えるとき、やはり「ラッセル・アインシュタイン宣言」(1955)、あるいは「パグウォッシュ会議」などの核開発への警鐘に立ち戻り、「科学者の社会的責任」、「科学における倫理学」にも関心を及ぼしたいものです。(それぞれここでは詳述できません。関心のある方はwikiなどで‥)
    日本にも優れた科学者がいまして、武谷三男氏の『科学者の社会的責任』などは好著です。
    最近では、昨年ノーベル物理学賞を南部陽一郎さん、小林誠さんと共同受賞した益川敏英さんなども科学者の倫理的立場を鮮明に示し、平和運動(「九条科学者の会」、など)にも積極的に関与していますね。
    振り返ってボクらが生業とする木工業にも、ある種の職業的倫理が問われるということはあるでしょうね。
    ミルトマップさん、良い対話の機会をいただき感謝します。

  •  幼稚で些か感情的だったと自己嫌悪していたコメント(一晩寝てから清書すべきは書簡と同じですね…)でしたが、丁寧で仔細な返信に驚いています。
    「2001年宇宙の旅」は18歳の秋に名古屋で見ました。北の故郷を離れ異国のような大都会に埋没すまいとする当時の緊張感と重なるように、その鮮烈な映像を思い出します。
     ウェブサイト・ブログ運営も大変な作業と推察しますが、今後ともよろしくお願いいたします。
     有難うございました。

  • ミルトマップ木工房さん、18の秋ですか。
    そうでしたね、映像美もキューブリックならではのものでした。
    ボクは‥‥、ゥ〜ン、二十歳の春だったかな。
    この時はガールフレンドと肩を並べて、ではなく、職場の先輩とともに、勤務時間中、職場をこっそり抜け出して出掛けたという思い出があります。
    課長、許してください <(_ )。  
    牧歌的でしたね、あの頃の職場は。
    >ウェブサイト・ブログ運営も大変な作業と推察
    いえいえ、気ままに、テキトーにやっていまして、読者の方々にはまことに申し訳なく‥‥。
    こちらこそ、よろしく、です。

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