赤坂憲雄氏につぐ東北学の若き研究者(山内明美さん)
今朝の朝日新聞・オピニオン覧に〈東北のこれから〉と題したインタビュー記事がきており、何はさておき、朝飯そっちのけで読み入ってしまった。
東京の大学に席を置いたまま、3.11後、故郷の南三陸に駆けつけ、そのまま〈宮城大・南三陸復興ステーション〉で活動している山内明美という若い研究者へのもの。
‥‥東北にはまだ表面に出ていない力がたくさんある。こんなにひどい目にあったからこそ、元々の力を生かせたらと思うのです
──震災後、東北の被災地は称賛されました。「日本ならではの村社会が生きていた」と。
でも、それだけではないのです 地元の新聞に、津波の引いた翌朝、高齢のしゅうとめをおぶって、がれきを歩くお嫁さんの写真が載りました。実は彼女は中国人なのです。この町にはアジアから来たお嫁さんがたくさんいます‥‥
三陸の漁村の女の仕事はきついですよ。 真冬の浜でのカキむき、寒風の中、冷水を使った手作業です。それが都会のスーパーに並ぶわけですが、その仕事を彼女たちが担っています。東北は震災前から国際化・多国籍化が進んでいました。『日本ならでは』と称賛された東北の村社会には今、外国人女性が大勢いることを知ってほしい
「ここの人たちは田んぼも原発も『豊かになれる』『すごく進んだこと』と受け入れてきたのです。長い歴史の中で劣位に置かれた状況から脱しようと、つかの間の夢をみた。
でもコメは多すぎる、もういらないといわれ、原発は爆発して放射能を撒き散らしてしまいました
───これからも厳しい状況が続きます。
難しいですが、ひとつ確信していることがあります。世界で起きているいろいろな問題がここに凝縮されていて、ここで方策を見出さないうちは、社会で起きているいろいろな問題は解決しないだろう、ということです
希望はあります。震災後、仙台や東京から戻って事業を起こそうとしている若い人たちがいます。人がどんどん出て行くことに危機感を抱き、逆にここで生きていこうと腹をくくった人たちです
続いて
『原発を再稼働しなければ国民生活が守れない』と突っ走るのではなく、間伐材で薪をたいてもいい、炭を焼いてもいい、太陽光もある、川があれば水力、あるいは地熱。それぞれの地域に合った、暮らしに合ったエネルギーというものがあると思うのです
あれだけの事故を経験して。まだ原発でなければダメだという議論しかできないのか、エネルギーの転換を想像できないのか、不思議です‥
そして最後、これからの東北とは、と問われ
日本のフロンティア(辺境)です。‥‥‥
フロンティアだからこそ、中央に対して『それでいいんですか』と問い返せる。発想の転換を求めることができる。そういう場所です
ボクはここでは何も付け加えることは無い。
深く考えさせられてしまったことだけは確かだ。
最後の、‥‥ 東北は「日本のフロンティア(辺境)」とする地政学的定義と、その意気を高く、高く、買いたいと思う。
決して強がりとしての物言いでは無く(無論、そうした強がりを持つのは当然だろうし、否定すべき事では無いが)、社会哲学として見出すことのできる先見だろうと思うね。
ところで、この研究員は若いので知るはずも無いのだが、70年代に『辺境』という雑誌があった。(確か、井上光晴 責任編集だったと思う、記憶違いだったらゴメン)
これもまた、辺境こそフロンティア、という含意を持つ、読み応えのある雑誌だったという記憶が鮮やかに蘇った。
さっそくこの山内明美を交えた鼎談の書が見つかったので求めることにした。
そして勝手ながらこの研究者のBlog(ake.note)を見付け、Linkさせてもらった。

補記:なお、同本紙には〈私たちは国土と民を失った〉と題する藤原新也氏の論考が掲載されていた。
水俣病と原発事故の酷似、そして決定的な違いを浮き彫りにし、野田首相の無為無策を鋭く告発している。
機会があればぜひご覧いただきたい。

たいすけ
2012-7-6(金) 10:29
僕もこの記事読みました。 「辺境」という言葉にピクリとしました。
僕が住んでいるところも辺境です。言われるように木を伐って、火を焚いて、水を引いて、そういう基本的な生活手段を守ることが、現在では精神的に快適なこと
になっています。出来る限り続け、良い方向に発展させたいと思います。
artisan
2012-7-6(金) 12:56
この学者、以前より著書(共著)もあったようなのですが、
恥ずかしながらこの記事で知るという、関心の低さでした。
>現在では精神的に快適なこと
実践に踏まえた、そうした感得はとてもステキなことですね。
どぜうクンには、そのような感受性は求むべくも無いのかな?