工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

少子化時代に抗して(見事な家族の光景)

昨日地方都市の郊外にあるM邸にて家具制作の打ち合わせをしてきた。
周囲は新興住宅地といった趣の穏やかな空気が流れる閑静な住宅地である。
周囲の幹線道路から決して遠い距離ではないが、静かなのはこの地域だけほぼ完全に仕切られていて、わずかの訪問者と住人たちの通行があるだけということからなのだろう。

数カ所から鎚音が響いてくる。まだところどころ整地されただけの区域もあり、建築工事からの音だ。
訪問したお宅も、現在施工中、というところ。
既に主(あるじ)家族は入居していて、最低限の生活可能な空間と設備が完成されただけのものだ。

通された広々とした居間。
「やっと数日前に障子が入ったんよ」と南側に大きく開けた窓、手前に目新しい糸柾の檜格子の障子をご夫人が指さす。それまでは掃き出し窓を通して丸見えの居間だったのだそうだ。障子の腰板は見事なうづくりが施された一枚板の杉。
大黒柱は8寸の、オヤッ、なんと桑だ。天井を見上げれば、これまた見事な1尺2寸ほどの幅もありそうな中杢の気品のある杉板を整然と張り上げている。
正面は書院造りの床の間。こうしていちいち挙げると説明しきれる訳がない。
尋ねると著名な宮大工の手によるものだと言う。


2階はかろうじて床が張り上げられているだけで、周りは土壁の養生中。内部建具もほとんど入っていない。
何も資金が途絶えたから工事が途中、という訳ではないのだ。
棟梁と施主が話し合いながら、じっくりと時間を掛け作り込んでいくというスタイルらしい。
ダイニングルームにはさすがに生活の基盤なので、基本的機能は満たされているようだった。床は真正のかなり濃色な花梨のフローリング。が、しかし食事を囲む食卓らしきものが、ない。
そう、まずはここに入る食卓を作らねばならないのだ。

お話しいただいたのは数週間前の事。
家族構成は夫婦、中学に入学したばかりの長女を頭に子供さんが5人。計7人。
すばらしい。ただただすばらしい家族の光景。

第1子の出産は大変だったそうで、そのためもあって第2子から4人は探し当てた自然分娩を実践する岡崎の吉村先生のところで産んだという。

第2子からはポロン、とばかりの安産だったというから、吉村先生への信奉は並々ならぬものがあるようだった。
したがって必要な天板サイズは、何と2.4mほどの大きさのものになる。
可能であればウォールナットで。
材料は豊富にある。
しかし2.4mとなると刻むのは容易ではない。機械のレイアウトから替えねばならないかも知れない。

食卓の話になると、「子供達には食卓で勉強させたいのよね」という。2階には学習机も置いてあったが、母親の眼が届くところで子供を見ていたいとの配慮だ。
実はボク自身の食卓設計における基本的考えもそこにある。

これは必ずしもボクの提唱というものではなく、物故者であるが著名な建築家・宮脇檀氏の提言だったのだが(彼の遺稿ともなった『暮らしの手帖』連載コラムの最期の号のメインテーマであった)、これを先にお客様に言われてしまった。

序でに言えば、このお宅にはTVは、無い。もはや理由を書く必要も無いだろう。
TVメディアの底知れぬ荒廃の前に、成長途上の子供達の柔らかい頭脳を晒すわけにはいかない、という両親の計らいだ。

吉村先生との交流がそうさせたのかどうかは判らないが、彼だったらそこまでの影響力を与えることも可能かも知れないし、メディア側の荒廃ぶりが親の決断を促進させた主要な要因になったとも言えるだろう。

ボクらが作る家具というものも、そうした真っ当な人生を歩みたいと願う家族の中心に位置する調度品であれば、自ずからその責任の大きさも見えてこようというも。

打ち合わせの途中、ひとり子供が帰宅した。我々に向かってペコンと挨拶を済ませると鞄の中から勉強道具を出し、何やら書き始めたのだったが、彼女が向かったその机はお父さんが誂えた、失礼ながら小さな林檎箱風の簡単な箱2つとこれに渡した1枚の小さな板だけのものだった。

見事なまでの在来軸組工法での豪邸と林檎箱の取り合わせというこの光景は、家具製作へ向けてのパトスを嫌が応にも掻き立てるに十分なものであった。

*参照
「しあわせなお産をしよう―自然出産のすすめ」

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