工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

少年の夏

猛暑日が続き、うだるような暑さも午後には大気の状態が不安定となり突然の雷鳴と驟雨によって断たれた。
各地から突風被害なども報告されているが、ボクは工房の窓から見える雷光を見上げながら、少年時代の夏休みの同じような気象条件をふと思い出していた。
小学生低学年の頃、山あいの小さな部落に住んでいたのだが、夏休みだったのだろう、家族、友達などと一緒に付近の川に泳ぎに行った帰路、突然の叢雨に打たれ、ドブネズミのような姿で皆でわぁ〜っと騒ぎながら駆けっこして帰ったシーン。
もう50年以上も昔のこと。何故こんなことを思い出すのか分からないが、長い長い夏休みをたっぷりと遊ぶことのできたあの頃への郷愁がそうさせるのだろうか。


谷川から流れ落ちる冷たい水は裸の身体を鳥肌に締め上げ、おちんちんをより小さく震え上がらせたが、少年達は構わず巨大な岩からの飛び込みによる快楽を繰り返すのだった。
疲れると誰が持ち込んだのか青りんご、スイカにかぶりつくのが楽しみ。
見上げると周りの木々の緑の間からは抜けるような青さの空と真っ白な入道雲が目にまぶしかった。
熱く焼けた大きな岩に転がれば茄子色に変色した唇もたちまち赤く蘇った。
小さな胸を幸福感に満たす夏の1日は、また明日も続き、それは永遠であるかのような錯覚に囚われていたのだろうが、しかしそうした錯覚も決して故なきものではなく、約束された希望の未来があったからこそだろう。
今の混迷する時代にはただの虚け者の夢想としか思えないこともあの時代の少年には信じることのできるものだった。
帰宅しても少年の周りにあるのは、鉛筆数本とノート、そして教科書と絵日記帳ぐらいのもの。他には何もなかった。いや父から買い与えられた図鑑があったか。
他にあるのはただ明日への確信と、夢想だけだったような気がする。
今さら少年達をあの時代へとアナクロ的に回帰させることなどできるはずもないが、しかし明日への確信と、夢想というものがいつの時代の少年にとっても等しく与えられるようでなくてはボクたちの社会の未来は明るくはないことは確か。

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