工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

別れは突然に(クラロウォールナットの卓)

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Top画像はクラロウォールナットによるセンターテーブルで、現在、工房 悠のショールームに展示してあるものです。

ここを訪ね来るほとんどの方が、この魅力、あるいは魔力的なものに魅入られる雅味豊かな逸品です。

近々、これに別れを告げる日が来ます。
所詮、人の手に渡り、その人の住まいを彩り、使われ、楽しんでもらうものであれば、失う日が来るのもの当然で、またそうでなければ制作活動の持続性もあり得ないわけですので、常なるものとはいえ、辛い別れを惜しみつつ、それを使い手の喜びに換えるべく、送り出しの準備をしているところです。

別れをする前に、あらためて隅々までチェックし、再塗装をし終えたところで撮影したのですが、せめてこうしてデジタルデータというはかないものではあるものの、その姿を保存しておくことで、こうした木との出逢いの数奇さに思いを馳せることができようというものです。


このクラロウォールナットは原木丸太で求めた2本目からのものですが、その後に買い求めたものを含めても、クラロウォールナットらしい個性、特性をもっとも完璧に備えたものでした。

同様のデザイン構成で、過去数台のセンターテーブルなどを制作してきましたが、同じ原木からのテーブル甲板としては、これが最後のものになります。
そんな経緯でしたので、したがってこれは辺材近くのものになってしまい、中央部分のくびれが大きなものになってしまったことで、逆に形状としてのユニークさが出たとも言えます。

その樹齢、色調、杢、姿形、etc.
つまり、接ぎ木することで醸される特有の木味こそがクラロウォールナットの持ち味というわけですが、この異形とも表すべき姿形は、接ぎ木ならではのものでしょう。

恐らく200年を越えるほどの樹齢を重ねると思われる、1.4mを越える太さのこのクラロウォールナットの台木部分は、地域最大の製材機にも手に負えないほどのものでした。

その色調は、チョコレートブラウンから濃色のオレンジ、さらには紫から緑まで、複雑に、縞状に絡み、独特の色調で構成されています。

また縮み杢、瘤杢(Burl)など、高樹齢のものでなければ醸すことの無い紋様の杢を見せてくれています。

例え木の専門家であっても、その樹種を知る方は少ない(国内ではほとんど見る機会が無い稀少材であるため)わけですが、しかし誰もがその魅力に打たれ、しばしそこに佇んでしまうというほどのもののようです。

この度、これを求められた方は、このクラロウォールナットをよくご存じの方で、いろいろと探しておられたようでした。
さっそくデータを示し、販売価格を提示したところ、即決でした。

私のこのクラロウォールナットの家具の販売先は多様で、当然にも仲介業者による斡旋もあったのですが、半分ほどは直接遠方から見に来られたり、展示会で買い求めた方たちでした。

つまり、稀少材であればこそ、必死になって探しておられる方もおられ、ネット発信していれば確実にこうした方との繋がりができる、ということになるわけです。

もちろん日本国内においても、他にもいくつかの家具屋がこのクラロウォールナットで製品を作っていますが、デザインであったり、仕事の品質への関心もおありになる方であれば、工房 悠へと繋がって来るケースも少なく無いというわけです。
うちは相対価格も安価ですしね。
(まぁ、ビンボーから抜け出られないのも、そこに最大の問題があるのですが・・・)

デザインと仕事

脚部 拡大

脚部 拡大

ご覧のように、原木の制約から、異形な甲板になりましたので、脚部の構成も、非対称です。
基本的にはシンメトリーのデザインですが、左右にずれています。

甲板に寄せ蟻で接合された吸い付き桟は、4本のカーリーメープルの脚部で支えられ、畳ズリに繋がります。

この左右の畳ズリを貫で繋ぐという構成。

4本のカーリーメープルの脚部は四方転びで傾斜させています。
この手法は、仕事そのものがとても面倒なものになるわけですが、しかしそのデザイン的効果は著しいものがあると思います。

濃色主体の中の白いカーリーメープルの脚部の色調コントラストとあいまって、軽快でモダンな感じを与えてくれるのです。
四方転びに傾斜させるという、やんちゃな遊びが堅苦しさを排し、親しみと愛らしさを産むというわけです。

貫は上端を鎬で削りだし、円弧状にし、畳ズリに上から相欠きで被せていますが、これも同様ですね。
仕事は面倒でも、こうしたところに手を掛けることで、家具の世界の造形の豊かさを産んでくれるということに繋がるわけです。

これら脚部の材は、クラロウォールナットではありませんが、市場に流通している既製品ではなく、ブラックウォールナットの原木丸太から製材管理されたものです。

市場に流通しているブラックウォールナットは、いくつかの理由から本来の木味は望めません。

Claro walnut

Claro walnut

自分で原木丸太を購入し、製材し、乾燥管理することで無ければ、本来のブラックウォールナットとはほど遠い、つまらない木味のものになってしまうのです。
これらはやはり、クラロウォールナットという樹種が持つ、特有の品格に合わせた木取りを、という考え方からのものですね。

あらゆるものに、同様の意気込みを示す必要も無ければ、合理性も無いワケですが、こうした品格を持つものであれば、それにふさわしいデザイン、造形、仕事内容の品質を要求されるのだろうと考えています。



ところで、工芸というものの特徴、その本質を言い表す場合、その定義の1つとして次のように言い換えられるのでは無いでしょうか。

素材を通して、作者の教養、思想、それらを背景に創り出される、作者の美意識というものを造形として表すこと

そのためには徹底して素材を知り、その素材にふさわしい技法を鍛錬し、そして素材の力を借りつつ、自ら表したい造形へと辿り着く、ということでしょうか。

したがってこれは美術家であったり、デザイナーという職域では為し得ない、素材を近接的に扱う木工家、家具職人ならではの領域のものであるわけです。

逆に言えば、つまり、専門的な知見、経験をバックグラウンドとして持つ者ならではの領域であるために、その自負からしても、いい加減なアプローチは戒められねばならないということでもあるわけです。

1つの事例、素材の考え方から、この戒めの問題を考えてみましょう。

既製品として流通しているブラックウォールナット材は、どこからも、いくらでも入手できますが、8/4インチを越えるものとなれば、残念ながら難しくなります。

テーブル脚部、あるいは分厚く、長い円弧状のパーツを刻もうとすれば、そうした既製品の板からでは足りませんので、やむなく必要とされる厚みまで、矧ぐ(複数枚を接着し、1本の木材のように作り出す)ことでこれに対応することも可能です。

しかし自ら原木丸太を準備し、そうした部材をあらかじめ想定した製材をしておくことで、やがては矧ぎ切れしてしまうだろう手法から免れ、またより自然な美観で高品質なレヴェルで完成させることができ、より丁寧な仕事として、作者自身も、使い手も納得のいくものがそこに産まれるわけです。

小径木を矧いで大断面の部材を作るといった量産家具工場がコスト重視でやられている手法を、私たち木工家、有為な家具職人が真似てどうするのよ、ということでしょうね。

顧客もそんなことを私たちには求めていませんし、悔いの無い仕事の品質でかえしていくしかないのです。

なお、工房 悠では、まだまだクラロウォールナットの在庫はありますので、制作ご希望の方がいらっしゃればご連絡ください。

時折、材木だけ譲ってくれないか、との話が飛び込んで来ることもありますが、残念ですが、その求めには応じかねると、お断りしています。

なぜなら稀少材であるというだけではなく、私自身が刻みたいからですね。
その喜びを独り占めしたいという、カネ回りには縁の無い無欲な家具職人の、数少ない欲望というわけです。

また、どのような内実の仕事であるのかが不明でしたので、ただの材木として流通してしまうことの怖さ、あるいは売る側である私自身の無責任さを感じたからです。

やや大仰な言い方になりますが、そこに需要があるのに、それを目の前にしつつも売らないという、いわばこれは資本主義社会の商品交換における基本ルールから逸脱した考えでもあるわけですので、めんどうでやっかいな仕事なんだと思い知らされることにもなるのですがね。

hr

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    工芸家が暖めている材料を気楽に買う人は無神経の極みですね。サッカク夜郎です。
    陶芸家や染織工芸家の人はどうなんだろう。鍛冶刀剣は、切られるかも。
    そうそう、クラロのかけらでもくださいね。

    • 件の木工家の嘆きは、真っ当な木工家の証左でしょうね。

      木という素材を、ただのマテリアルと考える輩が横行しているのも、他方の事実なのかもしれません。

      731部隊では、人体実験に供させた捕虜を「マルタ」と呼称したと何かの本で読みましたが、
      人間が丸太として、実に著しく疎んじられ、切り刻まれ、毒を盛られ、やがて死に至る。

      そして、木は、代替可能なただの素材として扱われるというのも、現代社会の実相であるようです。

      ② ですが、木工を生業とするわれわれの、風上にも置けない輩ですね

  • 木材も全部使いだと細かなモノ、商品から学術・芸術的な感じの作品に近づきます。魅力的で高価ですが、それだけ有用で木屋パがたかい木だった。
    接ぎ木は、異なる個体の生細胞ジョイントですので、激しい命の輝き・迫力が起きて木に余韻も残りります。
    クラロは、アメリカネイティブ種とユーロ種の合体でDNAが遠くディスタンスが大きい。生体の親和性よりレジスト反応と見えますが、爆発的活性かも。
    貴重な杢目の各部の接写や制作プロセスを切り取ってください。
    もう手に入らない板材、自然の芸術的素材の典型として記録がほしいです。
    陶芸家が土を記録することなく、木工家はサンプルを残すこと無く、
    オイルをかける前の木目との濡れ対比も見所です。
    Walnut木の内科的知見がまだありません。
    風下の木印し キコル2世より

    • Clarowalnutの植栽の現状は詳らかにしませんが、ここ数十年で、かなり伐採され尽くされつつあるのか、取引の材木屋もまとまった材積が集まらないと嘆いています。

      私のような作り手は、用いる材への想いは、作られたモノに仮託してしまいますので、
      材そのものへの執着は薄いものです。
      ただやはりClaroの特異な質感、色調、木理配列などは、
      個別具体的に調査保存すべき対象であるのかも知れませんね。
      怠慢の誹りは免れません。

      意外とこの分野では、家具屋より、ガンストックメーカーの方が高い知見を持っているかも。

      私とすれば、清水の舞台から飛び降りる覚悟での大枚はたいた原木丸太の獲得でしたが、
      その想いに十二分に応えてくれたこれらClaroには、深く感謝していますよ。

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