工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

あれは伊勢湾台風の夜だった

台風19号は各地で荒々しい爪痕を残して北上していった。
当地は直撃は免れたようだったが、猛烈な風と断続的な豪雨に見舞われ数年ぶりと思われる台風通過だった。
個人的に台風で思い起こされるのは「伊勢湾台風」(1959/09/26)。
小学生の頃という遠い昔の話。当時奈良県南部の山中に居住していたのだが、900-920ミリバール(当時はhPaという単位呼称ではなかった)の威力を持つ超巨大な台風が潮岬に上陸。
その後紀伊半島を縦断し、日本海へと抜けていったのだが、名古屋市、三重県を中心に死者・行方不明は5,000人強を出すという阪神・淡路大震災を除けば自然災害としては近代歴史上最大の被害をもたらしすものだった。
なぜこれが記憶に鮮烈であったのかは台風の通過途上に位置していたこともあるが、この日はボクの誕生日ということで、母親と弟、そしてボクの3人でささやかなお祝いをしていた時だったからなのだ。
父親は出張で留守。中学の兄は高校受験を控え街の親戚宅へと預けられていて、残る3人の家族が留守を守るという全く心許ない状況だった。
猛烈に吹く風は雨戸を閉めてもガタガタッガタガタッと小さな家を揺さぶり、とても生きた心地がしない夜だった。
当時はTVなどはまだ無く(放送はされていたが、まだ一般には普及しておらず、うちにTVがやってきたのは2年後だった)、ラジオ放送で台風情報を聴きながら必死の形相で母親と共に雨戸を押さえ、立ち去るまでひたすら耐えていた。
誕生祝いなどというハレの気分は吹き飛び、ただ生きていて、また明日から学校へと行けるのが嬉しかった。
それから50年近く経過し、災害対策は大きく進化し、情報網も整備されてきた。
しかしなお自然の驚異に晒されたときの人間社会の脆弱さを思い知らされることも屡々。
皆さんの地での被害はどうだったでしょう。
台風一過。
朝、工房の湿度計は70%。まだこれでは組み立てのできる環境ではない、ということで次の制作準備などで大気の乾燥を待つ。
午後にはみるみる湿度は下がり、50%近くまで落ちる。
いそいそと組み立て準備に入り、にやけながらホゾ穴にボンド。ホゾにボンド。
ホゾを指し、ショックレスハンマーでガツン ! 。
組み立て作業は、一連の工程の中にあって、もっとも楽しいハレの場だね。
針葉樹なので割裂が懸念されるが、そこは経験とカンで問題なく組める。
矩、平滑性、捻れなどを確認して圧締。
今日は帆立4組、扉4枚等々。
改めてアカマツが組み上がると、美しいと思った。

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