2022年も暮れていきます。
若い頃と較べれば、やはりどうしても1年という時間経過が年々短く感じてしまうもので困ったものです。
これにはいろいろな説明を付すことができるでしょうが、私に言わせますと、算数で簡単に導き出される次のような身も蓋もない話しになります。
年齢に単純に反比例するのです。
例えば、小学1年生であれば6歳ですので、彼らの1年はこの年齢を母数にした、1/6の長さに値することになり、50歳であれば、その1年は、1/50にしかならないということです。
生きてきた時間分の1に相当するというわけです。…… 分かりやすいでしょ😅
つまり高齢者はあまりにも多くの時間の堆積があり、1年という時間単位は若者に較べ、その時間蓄積と対比した時、とても短いスパンでしかなくなるというわけです。
身も蓋もなく、やや截然過ぎる話しではありますが、仕方無いでしょ。苦笑
年齢を重ねると共に、無駄でしか無いような生活の知恵、ずる賢さも含む、このすばらしくも、愚劣で厳しい社会を生き抜く術を獲得してくるものですが、その一方、鮮度の高い、ステキな事柄に出遭っでも、それにふさわしい感受性を失いつつあることでキャッチすることができず、あるいはキャッチできても、海馬に上書きすることができずに無為なまま日々が過ぎ去っていく。
老いにセーブを掛け、若さを取り戻すきっかけになるかも知れないその新鮮なデータを無自覚なままに逸失してしまうというわけです。
老いの断章というものはそうしたものなのかもしれません。
こうした生命体としての寿命による思考力、記憶力、活動力などの衰えは抗いがたいものではあるでしょうが、ただこれを漫然と受け入れるのか、そうではなく、知的好奇心を失うこと無く、新刊本を開く、あるいはPCなどのツールを使ったクリエイティヴな作業を行う、などなど、自覚的に日々を送ることなどから、老化に身を任せることに抗い、若さを維持することは決して不可能なことでは無いように思います。
同世代の読者もおられるかと思いますが、最近、若い異性の思考や語り、魅力ある立ち振る舞いに心ときめくことはおありですか。
いやいや、異性への本能的な感応性というあまりに分かりやすい事柄では無く、仕事に立ち帰り、新奇性のあるデザイン、技法にときめくようなことを、どこかに忘れてきてはいませんか?
今、高校のクラス会開催の準備に関わっているのですが、現在判明しているだけでも、50名のクラス員で既に8名が亡くなっています。ま、これは年齢からすれば相応の状況なのかもしれません。
またほとんどの人が仕事をリタイヤしていますが、数名、長年勤めた仕事をリタイアした後、本格的に農業を始めた人が2名おられ、この晩年の農業従事には興味深いものがあります。
ぜひ、クラス会が開催できればお話しさせていただきたいものです
(私が通った高校のクラスは男ばかりで、クラス会はちょっと意欲が削がれますけどね…、苦笑)
先日、対面でのクラス会の準備会があったのですが、この1人はリタイア後、県が設置運用している博物館のような施設で解説員をされているというので、後日、この観覧に出かけたのですが、在学中には観られない活き活きとしたチューターぶりをみせてくれており、嬉しくなってしまったものです。
こうして他者との関わりを持ちつ、社会成員として自覚的に立ち働くことで、心身ともに健康に、ほがらかに晩年を過ごすことに繫がるのでしょう。
私はこれと言って取り柄も無く浅学非才の身ですし、ひたすら木工人生を歩むだけではあるのですが、1年 1年、与えられた家具制作を顧客の期待を損なうこと無く、いえ、そこを越える美しさと機能で作り上げ、あるいは、あらたなデザインを起こし、これを世に問うといった地道で、しかし堅実な営為の繰り返しの人生でしかありません。
私はこれまでもほとんど営業などしてきませんでした。
これまでいくつもの展示会を企画してきましたが、これらも画廊やギャラリーからのお誘いによる企画ものでした。
欲が無いというか、足るを知るというか、ボチボチというのか・・・苦笑
現在はWebサイトを設置し、インターネットを介するアクセスもありますので、ほぼ、何とか仕事が回っているというところです。
しかし、そうは申しても、意欲を掻き立てる企みも必要で、昨今、COVID-19パンデミック状況下もあり、展示会開催も困難ながら、何らかのインパクトのある試みも考えねばいけないかもしれません。
その1つ、というわけでもありませんが、親しくさせていただいているデザイナーの方からは、そろそろ作品を整理し、作品集を作らなきゃダメだぞ、などといった話し(≒脅し)もあり、年齢からすれば先延ばしする時間的余裕も無くなりつつあるのは確かなので、来年の課題ではありますね。
老いというのは、モノ作りに勤しむ者にとってはなかな微妙なところがあります。
起業してから数年後のことでしたが、箱物などを制作し終え、とても首尾良く良い仕上がりを獲得した時のこと、木工を生業として継続していける自信を確信したことがあったのです。
考えて見れば、経験不足から来る無駄なプロセスであったり、墨付けがいかに重要であるのか、構造的な合理性、堅牢性をいかに設計段階で考え抜くことができるのか、そうした、今にして思えば当たり前の事柄を自覚し、その結果の無駄の無い良い仕上げに繫がったというわけです。
光が見えたこの若い頃の経験は、その後、期待されるクライアントからの休む暇も無い次から次へと新たな仕事が舞い込み、これに深夜遅くまで立ち働くなど、圧倒的なボリュームをこなす中から、堅牢な身体を獲得しつつ、自ずと木工家具職人としての技能の修得へと繫がっていくものであったのでしょう。
同業同年代の周囲には木工をリタイアする人も少なく無いのですが、ほんとモッタイナイと思うことがあります。
磨き上げてきた熟練のワザを錆びさせるだけでは社会的損失でしょ、と言いたくなってしまいます。
きちんと社会還元してやりましょう。
しかしその一方、身体は間違い無く疲弊してきていますし、前述のように、新たな関連情報を仕込む意欲が減退しつつあることも否めませんので、心身ともに衰えつつあるこの年齢と抗いつつ、熟練した腕による木工を手放すこと無く継続する、この両者の鬩ぎ合いがキャリア職人のモノ作りにおける要諦の1つであるのかもしれませんね。
たった1年間でしたが、木工の教えを請い、学ばせてもらった優れた木工職人がおり、年齢は私の一回り上の方でした。
いわば私の親方ですが、実は今も仕事をしています。
この職人の仕事ぶりを良く知る問屋に聞けば、仕事の質もスピードもさほど落ちてはいないとのこと。
凄いですよね。私は前述のようにエラそうなことを言ってますが、この先12年後まで木工を継続する自信はありません。
しかし彼の現役姿を見れば老いている閑は無いよなぁと思いますし、少しでもその達観に近づきたいものです。
さて、老いの戯れ言で終始してしまいましたが、2023年も元気に木工に勤しみ、より魅力あるモノ作りに挑んでいきたいと思います。
COVID-19 パンデミックの終焉は未だに見えません。既に3年が経過するというのにです。
第一次世界大戦時のスペイン風邪が収束まで、丸3年ほど懸かったとされ、これに匹敵するだけの時間経過がありますが、交易、人的交流など、世界の構造は往時と較べることのできないものがあり、収束という概念をどのように定義づけるかはともかくも、まだまだ安心できる世界は見えて来ないようです。
今暫く、感染予防、防疫に留意した生活スタイルを維持しつつも、親しい人との交流を過度に遮ること無く、少しでも豊かな日常を送りたいものです。
1年間ありがとうございました。
2023年もどうぞよろしくお願いいたします。
図版は直近、半年間の100万人あたりの国別の感染者数の推移です。
青:🇨🇳
橙:🇬🇧
紫:🇺🇸
赤:🇫🇷
緑:日本
なんか、日本、ヤバくないですか ¯\_(⊙︿⊙)_/¯
図版のデータは、世界のほとんどのメディアが採用している Johns Hopkins 大学からのもので、
これをOur World in Data という調査研究所が図版作成し、公開しているものです。(こちらから)