工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

宮本貞治 さん

毎日新聞web版より借用。深謝

重要無形文化財・木工芸部門の保持者として、宮本貞治さんが認定されることになったようです。
敬意を表し、心から讃えたいと思います。
おめでとうございます。

かなり以前より、木工芸分野での次の人間国宝は、この宮本さんだろう事は信じて疑わなかったこともあり、意外感は無かったとはいえ、認定の報には安堵はもちろんのこと、少しく興奮めいたところがあります。
心からお喜びしたいと思います。

ある陶芸作家との交流から

故人となって久しいが、日本伝統工藝会の正会員のある陶芸家と親しく交流していたことがあった。
90年〜2000年代の時期。
互いの工房が近かったということもあるが、若くして谷川徹三に見初められ、奈良・東大寺長老もこの陶房に長期逗留し、泥仏作りに興ずるなどの交友も交え、華々しい陶芸歴を持つ人物との交流は、モノ作りに携わることの厳しさ、美意識の涵養の在り方など、振り返り考えて視ればそれらは今や私の資産として不可視の領域ながら間違い無く遺っていることを自覚することも屡々。

この陶芸家からは、自身が工芸会の正会員でありながら、その話を持ち出すと、〈国画会〉と同様に「くだらないから止めとけ」と言うばかりで、取り付く島も無いような事が幾度かあり、何も分からない当時の私にはそれらに警戒心を芽生えさせるエピソードとして刻印されることになったもの。

そもそも、モノ作りの世界にヒエラルキーを持ち込み、これを評価基準とするところに違和が拭えない。
例えば、私が密かに尊敬する米国の木工家、J・クレノフに、何か「人間国宝」のような称号が与えられていたかと言えば、そんなものはない。
ジョージ・ナカシマも、マルーフも、そんなものとは無縁。

しかし、木工の分野ではそれぞれ、誰もが憧れる世界的なアイコンであることは、少しでも Fine Woodworking の何たるかを知る人にとって疑う余地のない、厳然たる木工界の星々です。

一方、日本のこうした位階制度というのは、数千年にもわたり伝承されてきた日本ならではの文化の需要における特異な制度という側面があると理解することもできるかもしれない。
ただ日本に劣らない人類の歴史を刻んできた欧州でのモノ作りの世界において、日本の位階性に似たものがあるのかと言えば、寡聞にして知らない。

やはりアジア特有の、あるいは日本固有の位階性という特質があることは疑いないところなのだろう。

私のような(あるいは前述した陶芸家のような)戦後世代にとってみれば、工芸、芸能、伝統的文化への位階制度の持ち込みは違和の強いものではあるとはいえ、それは近代社会における理念上の物言いであって、日本社会というのは表向きこそ自由、平等、友愛を規範とする近代国家の一員として強い自負を持つとは言え、しかしその実態はあくまでもそれを装っているに過ぎないという現実からは、説得性を持ち得ない話しなのかもしれない。


ただ「人間国宝」として認定される人の作品、あるいはその作風はいずれもその分野の卓越した技量と美を宿すものとして、歴史的な評価に耐えるものであることも確かで、鑑賞者の趣向の個人差を越え、広く感銘を与えるものがあることも確か。

工芸会の会員であれば「人間国宝」という称号は誰しもが羨望する工芸作家の頂点だろうと思うが、聞き及ぶところでは、猟官運動ではないが、次の人間国宝は自分だとばかりにポジション取りしつつ、吹聴する人もいるそうで、残念だが、その話しを聴いたときから10年を越えるが未だその人に栄冠が輝いたという話しはついぞ聞こえてこない。

作家という者、自己顕示欲が強いのも1つの欠かせぬ要素なのかもしれないが、作家性を邪魔しない限りにおいて、というエクスキューズは必要であるのかもしれない。

さて、前振りが長くなってしまったが、宮本さんはそうしたパーソナリティとは全く無縁な人物です。
木工界に身を置いている人からすれば、誰しもが推して上げたい、卓越した技量と、作家性を備え、モノ作りにひたすら専心する木工家であって、その作品には誰しもが魅了される普遍性を放つものがあります。

機会があればぜひ、宮本さんの作品をご覧いただきたいたいものです。
「日本工芸会」宮本貞治・作品ページ

ところで、工芸会とは無縁の私がなぜ宮本さんのことを取り上げるのか、位階性にNonを突きつける輩が・・・と、怪訝に思われる節もあろうかと思うので、以下少しだけ宮本さんとその作品について触れてみよう。

宮本さんの作風

記憶も薄れてきている30年以上も前の話になるが、宮本さんの最初期の個展に足を運んだことがあった。
京都・東山のとあるギャラリーでのことで、この世界に首を突っ込んで間もない頃だったが、友人と連れ合い、静岡から車を飛ばした。

会場全域を見渡すような位置にはハンチングを被った宮本さんの師匠である黒田乾吉さんの立ち姿があり、ご挨拶することができたのも記憶に留めるに十分な要因だったのでしょう。

レッドオークの大ぶりのテーブルの周囲には、数々の若々しい作品が陳列され、その造形の美しさ、磨き込まれた拭漆には圧倒されるものがありました。
レッドオークの木口に露わな随線の透明感溢れる輝きは目を奪われる美しさでした。

後述する静岡での個展では家具デザインの先輩と連れだって観覧したのですが、そのデザイナー曰く、拭漆の美しさを評するところに疑いは無かったものの、それよりむしろ、木地の造形、鉋の刃切れの良さを主張するのでしたが、私はそれはもちろんのこと、いかに磨きと拭漆の工程に洗練された技と注ぎ込まれた時間の長さの労苦を評したものですが、宮本さんは私の評に肯くのでした。

この辺りは意匠と設計に心血注ぐデザイナーと、作業場に籠もり、いつ終わるとも尽きない指物制作と拭漆の工程に力を注いでいるかという、モノ作りへの構えと職業倫理の差異なのだろうかと思ったものです。

この大テーブルは後日、京都・一澤帆布の店舗を訪ねた際、レジ台などとともに活用されていることも分かったのでしたが、一般に伝統工藝と言えば、茶道具など小さき物を対象とすることが多いものの、大胆な作品も大らかに作り上げるセンスも持っているのです。

伝統工芸展を観覧される方にはご存じの通りですが、出品作には多くの木工家が短冊箱など、小さきものがほとんどなのに対し、宮本さんは文机、飾り棚など、いわゆる本格的な指物の作品を出品し、堂々と様々な賞を獲得していた、かなり特異なアプローチの人でした。

無論、黒田辰秋のDNA、系譜を辿る人であればそれも当然のように思えるのですが、ことはそれ程単純な話しでは無く、家具調度品的な大きな物を出品するというのはディテールにおける精緻な仕事と、大きなボリュームを為すことによる、造形のバランスの妙が問われ、また必然的に、用いられる材料の吟味は短冊箱に用いる材とは次元の異なる厳しさもあっただろうと思う。


すこし話しが逸れるが、昔、黒田辰秋の門下の作家の飾り棚の修理を、当時世話になっていたギャラリーのオーナーから頼まれたことがあった。
(著名な)作家の作品を縁も縁も無い私が修理だなんて…と、断り続けてきたものの、その所有者まで出てきて、作家本人はまるで修理する積もりも無いので、是非に、と言われ続け、渋々請けたことがあった。
観れば、框の帆立に、無垢板の天板が2枚、完全に枘差しで固定してあり、天板の経年変化による痩せにより、動くことのできない天板は割れてしまっていたのです。

小さきモノばかり作っていたのでは想像も付かない、自然有機物の木材の伸縮が破綻を招いたようなのです。

私も飾り棚は好んで作りますが、こんな仕口における木材の動きへの配慮はキホンのキです。
その作家は刳物において高い評価を勝ち得てこられた人のようで、飾り棚のような指物の経験は少なかったのでしょう。

あるいは、宮本さんは木を刻む前に、それらの木材を徹底的に乾燥させることを強く意識されておられるとのこと。
2階の住まいから降りる階段下に、乾燥のためのブースを設備しているのですが、このことにも表されているように、小さなモノだけを作っていては分からない苦労を惜しまず、黒田門下の作風として、堂々たる指物を作り続けているのです。

東山での個展の7〜8年後だったか、今度は、地元静岡の建築事務所のギャラリーでコンパクトな個展があり、大振りの李朝膳など、いくつかの作品を拝観し、作家本人からの説明を受ける機会に恵まれたのでした。

その後、京都への所要のおり、大津まで脚を伸ばし、宮本さんの工房を訪問させていただく機会が。
素敵なギャラリー然としたご自宅で、丁重なもてなしを受け、代表作なども拝見させていただき、いろいろとお話を伺う機会になったのでした。


近代木工芸の世界でもっとも著名な人といえば黒田辰秋(木工芸としては人間国宝の第1号)ですが、多くの木工屋もそうであるように、私も様々に影響を受けています。

何よりも、優れた木工芸といえども、分業による制作工程が一般的であったところ、黒田辰秋はひとりの作家が材料の吟味から、漆塗装に至るまで、一貫制作するというスタイルを確立し、その作品の作家性で世に問うという時代を切り拓いたパイオニアでした。

宮本さんはその孫弟子にあたりますが、師匠の辰秋さんのご子息・乾吉さんに弟子入りし、研鑽を積んできた人で、辰秋さんの作風を継承しつつ、進化発展させ、そこをベースに独自の宮本ワールドという世界を構築させてきたものと言えるでしょう。

この度の重要無形文化財・木工芸部門の保持者認定を温かく迎え入れ、大いに喜んでもらえただろう、辰秋さんも、乾吉さんも今や故人となってしまったのですが、宮本さんはその歓びをご家族は無論のこと、多くの関係者に共有されているものと思います。

まだ私よりお若い人なので、これを機に、まだまだ枯れること無く、新境地で木工の可能性を切り開き、新しい世界を見せていただけるものと期待しているのです。

日本の木工藝は世界に冠たる歴史を有し、宮本さんのように、これを現代に継承する作家がいるわけですが、これらの作品は美術館の保管庫に眠らせておくのではなく、これを美術工芸の愛好家はもちろんのこと、広く一般の人々の鑑賞の眼に触れる機会を設けて頂き、木工藝の素晴らしさというものを知らしむる良い機会になればと願っています。

この度の宮本さんへの重要無形文化財・木工芸部門の保持者認定の喜びは、木工藝の世界の端っこで日々、鉋屑にまみれている私なども僭越ながら共にしたいと思うのです。


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