工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

異才の作家から春をいただく

作品1
静岡市内で開かれていた、創作機織り教室の作品発表会を表敬訪問。
知人(友人の友人つながり)の工芸家・大村雪子さんが指導されている教室。
週初めで、また展示会最終日と言うのに、おおぜいの観覧者が押しかけていた。
タペストリー、ストール、マット、バッグ、様々な形のものが、床から、壁から、所狭しに色とりどりに並べられた空間は、春を先取りしたかのように華やかな雰囲気に彩られていた。
それぞれの作品のテイストも様々だが、やはり中でも目を引くのはバラエティーに富んだ色彩。そして様々な大きさの毛玉を幾何学的に配置した抽象絵画のようなタペストリー、あるいは白地に、いくつもの色彩の様々な形状のフェルトを折り重ねた、夢の世界のようなラグ。
この創作機織り教室は「ケアハウス・シンフォニー」という障害者福祉施設でのもの。
大村さんにとってはご自身の作品制作活動から少し離れて、こうした障害を抱えた生徒さんを相手とした教室の時間を共有すると言うことは、なかなか大変なものであるに違いない。
コミュニケーションを取ることの困難さもあるかもしれないし、あるいは指導する立場において健常者とは異なる難しさもあることだろう。
それらはまたご自身の作家活動において何某かの影響を与えずにはおかないものかもしれない。
しかしそうした若い彼らとの時間の共有、あるいは指導と被指導の間に交わされる交歓というものは、発想の豊かさへの気づきであるとか、あるいは厳しかろう制作活動への勇気へと繋がるものもあるだろうから、工芸作家という立場からも意味のある活動であろう。
大村さんと、若い六人の新進作家に、感謝したい。ありがとう。
*「障害者」という呼称について
お気づきの方も多いと思うが、昨今この「障害者」という呼称へは様々な批評とともに、いくつもの言い換えが提起されているようで、しかし定まったものとはなっていない。
言葉というものは、その時代における精神、社会規範などによって産む出されるもので、その時代の写し絵でもある。
しかし例え言い換えたとしても、「障害者」が置かれた様々な「障害」が克服されるものではないばかりか、時にはそうした差別的な実態を覆い隠すものにさえなりうるという、難しく困難な状況があると思われる。
そもそも「障害者」という概念は「健常者」たちが支配する世界から透視した身体的、精神的に異なる他者として措定されるものであり、したがってこれは近代社会における限定的なものでしかないという理解が必要なのだと思う。
大切なのは彼ら、彼女らを社会的に包摂することで、我々もまた豊かで、バランスの取れた社会生活を営むことが出来るということを積極的に捉えることの重要性であろう。
作品2

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