工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

Blogエントリ記事は忘却の彼方

推薦1
数日前、気象庁から長期予報が出されていたが、この冬は暖冬気味に推移しそうだとか‥‥。
ウォーキングで良く通る丘の上の神社脇の路傍には、師走を迎える前だというのにこのように早くもラッパ水仙が顔を見せてくれていた。
画像は決して前年のものではなく、昨日撮影したもの。
(お天気が優れず、コントラストが穫れなかったので、精彩に欠ける)
うちの庭にも同じものが自生しているが、年明け頃からの開花と記憶しているので、この時期の開花とはいささか慌て者?

松葉

水仙2季節の移ろいは人の生活リズムなどには無関係に確実に時を刻んでいく。
そして4週後には新しい暦に掛け替えねばならず、つまりは歳も1つ重ねるというわけだ。
ボクは年齢を重ねることへの怖れはさほど強くはない(つもり)。
(青く未熟な若い頃に戻りたいなどと夢想することなどはない)
しかしどうも最近、記憶メモリーの読み出し、書き込みに不具合が出てきたのだな、
先に本Blogエントリ数が1,000を超えたとの話しをしたばかりだったが、これまでどのような内容の記事を書き散らしてきたのか、かなりの分量で記憶の彼方に押しやってしまっていることに気付かされてしまった。
松葉

記憶という能力は人が生存していく上で本来重要なものであるわけで、右から左へと削除されていくようでは困る。
無論記憶力という能力も他の頭脳細胞とほぼ同じように20代後半からは劣化の一途を辿る、というのが定説だそうで、これが老齢期に差し掛かれば急速にその速度を高めることも抗えない事実だ。
しかしこうした負のイメージを取り繕うために言うわけではないが、忘却ということも一方の能力ではある。
所詮人の記憶能力にも限界はあり、不要になったデータは削除されたり、あるいは新しいものへと更新されていくことでその人が自身の赴く方向へと生きていくための仕様(スペック)の1つとなれば良いのだからね。
こんな前振りになったのは、本件記述に関わる過去エントリ記事があったことを思い出したから。
ネット上の記述データにしろ、ローカルコンピューター内のデータにしろ、今やキーワード検索で瞬時にリストされる。
こうした高度な機能に助けられているからこそ、記憶に留めるための頭脳内の作業が疎かになってしまうということもあるのだろうな。
人間社会の文明の発達というものを人の進化と見なすべきなのか、いやそうではなく実は逆に劣化の歴史と見るべきなのか、ボクには判然とした答えを出すことはできない。
言えることはヒト・ホモサピエンスとして進化した頭脳にあっては、いかに文明が“進化という名の発展”をしてきたとしても、その基礎能力においては総体において進化などしてきたとはとても言えず、とりわけ高機能なコンピューターがこれほどまでに普及した現在、むしろヒトの生存能力(生きるための基礎能力)は劣化の一途を辿ってしまうのでは、という喜ばしくない懸念が強まっているのではと考えてみたりする。
この懸念を回避し劣化のスピードを抑えるには、まずはMacやiPhoneから逃避することなども有効な試みの1つであるだろうが、そうした選択はできないだろうね。
あまりに甘美で魅惑的な世界だから。
恐らくは死ぬまでこうした葛藤からは離れられないのだろう。
松葉

‥‥‥ さて、本筋に戻る。
4年近くにもなる過去の記事で「テーブル制作」という加工プロセスを記述したものが数回にわたって上げられていた。(こちら
前回エントリした「CLARO センターテーブル(追記:脚部)」の記事は、これをあらためて一部再編集して上げたものだった。
(思い出せただけでも救いであったかもしれないが、気付いたときは冷や汗が出た  恥;)

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