工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

A[H1N1](新型インフルエンザ)にどう臨む?

momiji
Top画像は定期的に通院している総合病院の敷地のカエデ並木。
今年は例年になく色づきが良くないと、駐車場のガードマンが嘆いている。
冷え込みが不十分なままに枯れ落ちていくようだ。
温暖で知られる静岡の、ほとんど標高もないようなところで、色づきよく紅葉せよ、というのが土台無理な話ではある。
通院は隔月に1度の呼吸器科。喘息の発作に見舞われて以降、ここ10年ほどの付き合い。
昨今、この呼吸器科も周囲の総合病院では次々と閉鎖されつつあるようで患者はいつもあふれかえっている。
したがっていつもは予約時間にピタリと診察に入れるわけでもないが、今日はあまり待ち時間を惚けて過ごす暇もなく名前が呼ばれた。
挨拶の後、胸、背中へと聴診器を当て、暫しドクターと世間話に興じ、気管支拡張剤の処方箋を発行してもらう簡単なもの。
ただ今日はドクターから1つの提案があった。
他でもない、A[H1N1](A型インフルエンザ)のワクチン接種が始まっているので、予約をして受けてください、とのことだった。
少しこの病院の罹患者の様子を窺ったりしつつも、結論的にはボクは接種しないことを告げた。
今日のエントリはこのA[H1N1]について、少し整理して考えておきたいと思ってのものである。(2回に分けるが、いずれも冗長なものになる)

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呼吸器疾患を抱えている患者にとっては、このA[H1N1]罹患のリスクが高いことはよ〜く認識している積もり。また基礎疾患を抱えた人、妊産婦、幼児などはワクチン接種における優先順位が高いことも承知している。
したがってドクターからの提案は至極合理的な判断での適切な提案であったことは言うまでもないだろう。
にもかかわらず‥‥、それへのボクの対応は間違ったものであるとの立場に立つ人は多いと思う。
中にはとんででもない甘い考えだと難じる人もあるかもしれない。
でもそこはボクなりの考え方に基づいた合理的な判断をした積もりなのだ。


〈 現状を考える 〉
既にこの2009年4月にメキシコで発生したと言われるA[H1N1]型インフルエンザはWHO(世界保健機関)によりパンデミック(世界的流行病)であるとの宣言が出され、警戒水準がフェーズ6という最高水準に達した状況であることは周知の通り。
この直後の成田空港における「臨検」の大騒ぎは記憶に新しい。
官邸での桝添厚労相のパフォーマンスだけはやたらと目立ち、危機意識だけはピークに高まったものの、そのA[H1N1]に関わる適切な情報、適切な対応策が周知されたとは言い難いものではあったように思う。
結局、その後は冷静さを取り戻し、発熱外来も多くの保健所で廃止され、従来型の季節性インフルエンザへの対応策同様のものへと落ち着きつを取り戻しつつあった。
さて感染の状況だが、現在までにA[H1N1]により死亡したと言われる数は69人。(産経
メディアなどではこの69という数値しか触れないのが普通だが、いわゆる例年の季節性インフルエンザと比較した場合どうなのであろうか。
そもそもインフルエンザによる死亡という統計もなかなか難しく、その多くは合併症を起こして死に至るということで、季節性インフルエンザではこれらは直接の死因とみなされず統計に表れないということは知っておかねばならないが、それでも感染者数は約1,000万人、死因別死亡者数では、年間で214〜1818人だとされている(厚労省公表データ)。
単純に考えてもこの69という数値が異常な値とは全く言えないということはこれでお分かりいただけるだろう。
ただサーベイランスの週報の統計でも分かるように、明らかに罹患者数の推移は例年と較べ、大きく前倒しになっていることは明らか。
今後、寒冷期に入り、どのような推移を見せるかは緊張しつつ注意を払い見守る必要があるとはいうものの、この比較グラフ(インフルエンザの過去10年との比較グラフ)を見る限り、ピークを迎えつつあるのかなとも見られるカーヴを描いているではないか(感染症情報センター更新情報)。
ボクは家族に医療従事者がいるとはいえ、ただの木工職人であって、感染症に関する専門的知識があるものではないので、ぜひそれぞれが然るべく適切な情報にアクセスしていただき、適切な情報へと辿り着き、武装していただきたいと思う。
そうした制約で考えるのだが、このように少しみてきただけでも、この新型インフルエンザというものが季節性のものとどのように異なり、またどの程度に悪性であるのかは、判然としないというのが正直なところである。
あるいはその怖ろしさというものを、季節性と比較して全く異なる次元での捉え方というものは、いささか根拠の薄いものであることも明らかになりつつあると言っても過言ではないと思われる。
しかしながら厚労省からの発表、あるいはそれを受けたメディアからの関連情報というものが、あまりにも一面的であり、あるいは危機意識だけが煽られるようなものとして突きつけられている現状というものは、したがってはなはだ不愉快であるということは言っておきたい。

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〈 対応策を考える (ワクチン接種の問題)〉
そうした現状認識に踏まえ、さて次に対応策について考えてみたい。
ボクは今日も呼吸器疾患の診察で病院に出掛けたが、マスクは着用しなかった。
病院内でも、ドクターはじめ、多くの医療関係者はマスク着用であるようだが、必ずしも徹底されているわけでも無さそうであったし、外来の患者(付き添いもいるのかな)もマスク着用は約半数ほどといったところ。
いよいよ本格的にワクチン接種も開始されつつあることは冒頭触れたところだが、果たしてどれだけの人が投与に臨むのだろうか。
厚労省としては年内に2,500万人分のワクチンを確保するとしていたが(読売)、製造効率が悪いことが判明したとして約1,000万人分下方修正し、1,400万〜1,700万人分になるとの見通しを発表している(読売)。
8人に1人の割り当てというところか。(ボクは勧められたものの辞退したので、その分他に廻るので“人助け” ??)
この数値が低いか、高いかの判断は難しいところだが、TV出演で人気を博しているらしい木村盛世氏の見方(こちら)としては、「全国民分用意することが必要だと考える」としているのは果たして慧眼であるのか。
彼女の発言は医系技官という役人としての立場から、国家としての危機管理という視点でのメッセージと見て良いだろう。
ただ良く読んで欲しいのだが、ワクチンの有効性については決して過大に評価してのものではなく、曖昧さを残してのものであることも見ておきたい。
感染症の専門家として、ワクチンの有用性もその制約も良く分かった上でのものであることは言うまでもない。
厚労省としてもこのことについては次のように述べていることは知っておく必要がある(「ワクチンの効果」
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さらにこのワクチンについては忘れていけないことがある。
「副反応」という怖ろしい問題のことである。
昨夜のニュースでは厚労省の調査団がカナダへと旅立ったようだ。
「英グラクソ・スミスクライン(GlaxoSmithKline、GSK)製の新型インフルエンザA(H1N1)ワクチンの接種後、アレルギー反応の一種である副作用のアナフィラキシーが出たことが明らかにな」ったからである。(AFP BBNews
ボクのようにワクチン接種勧告を辞退するワカラズヤは国内ではとても少ないかも知れないが、さて英国ではボクのようなものが過半数だというニュースも来ていて驚き、そして次に納得した(RETERS:新型インフルワクチン、英国民の多くが接種拒否)。
勧められて受け入れた人は46%、また妊婦への接種の勧めを受け入れたのはわずかに20人に一人だと、この記事にはある。
英国内でのこのA[H1N1]に関する情報がどのようになされ、またBBCをはじめ、メディアがどのようなスタンスで報じているのかは不明だが、恐らくは客観的な情報を適切に伝え、また市民もこれを冷静に受け止め、自身の身体は自身が責任を持って管理するという当たり前のことが行われているという数値なのでは無かろうか。
また米国の医療関係者からはワクチンの安全性に関する臨床試験には問題があり、接種の差し止めを求める、として提訴される、という事態も起きている(AFP BBNews:新型ワクチン「安全性に疑問」、米医療団体が接種差し止め求め提訴
このようにワクチン接種も決してA[H1N1]を十分に防げるものではなく限定的であるばかりか、時として、患者によっては合併症を急激に促進させる結果をもたらすことがあったり、安全性そのものにも疑念を挟まざるを得ない状況にあることは知っておきたいし、今後海外からの輸入ワクチンにおいてはアジュバント(免疫補助剤)が添加されていることで安全性により強い疑念が指摘されている。
これは従来から日本では未承認であったものだが、今回に限り国内生産が間に合わないからと言って、適正な臨床試験も経ないままに出回るというのは、いわば「人体実験」のようなものではないだろうか。
横浜市衛生研究所からの情報、その1)(横浜市衛生研究所からの情報、その2,新型インフルエンザワクチンは接種するべきなのでしょうか?[pdf:123KB]
なお、国内でも接種翌日に死に至るという事故も数例起きている(毎日jp:「ワクチン接種後死亡10人に 新たに2件」)。
厚労省はその因果関係を決して認めることはないのであるが、だからと言って、安全性について過度に信頼をおくことはできないだろうし、まさに自己責任的な感覚で臨まねばならないことだけは明らかだろう。
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さらに1つ付け加えておこう。
ボクがワクチン接種の勧めを断った理由の1つに、例え罹患したとしても重篤にはならないだけの基礎的な体力を有しているということもあるが、それ以上に、この元気なうちに罹患して、むしろそのことでウィルス耐性を備える(免疫の獲得)ことに価値を置きたいからだ。
よく知られているように、一度罹患すれば、耐性ができ二度とは罹らない。つまり体調が悪くなり、重篤になりやすくとも、耐性があればそれを原因とするウィルスには罹らないからだ。
一方ワクチンなどの効用の期間は短いもので、その季節ぐらいだろう。
したがって、それが過ぎればまたもやウィルスの脅威に裸で晒されるということに代わるわけではないのだから。
ボクの接種拒否という判断が決して無謀なものではなく、それなりに合理的なものであることもこれで理解していただけるだろうか。(続く)

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