工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

キャリア職人の余裕と落とし穴

ボクがこの世界に入ったのは青年と呼ぶには薹(トウ)が立つほどの年齢だったということもあるが、修行の頃は当然としても、独立起業もなお、必死の形相で木工に取り組んでいた。
寝ても覚めてもただひたすら、生きる全てが木工漬け、といったような生活だった。

仕事を終え、夕食後、残された全ての時間も翌日取り組む仕口などについて考えを巡らすなどに費やし、それは床についてもなお、うなされるほどのものだった。

当時は身体もきつかった。
松民(松本民藝家具)に一時世話になっていた時期、まずはじめに木取りのセクションに配属されたのだが、比重0.7ほどの重いミズメ樺の厚板を振り回す日々は、若く体力はあったとは言え、ペンと箸しか持たなかったそれまでの軟弱な体は悲鳴を上げるほどまでに過酷な日々だった。

しかしそうした心身改造を経て、少しは頑強になっていたはずだったが、まだまだふやけた身体を木工向けのそれに鍛え上げるには少し時間が必要だったのだろう。
床に付けば上腕の痺れで苛まされる日々が続き、まさに心身ともに原始的蓄積の段階(経済原論から?)であったと言えるだろう。


それが今では、木工は業務の中核的部分を占めるとは言え、寝ても覚めても‥‥、ということは無くなり、余裕をもって臨むことができるようになっている。
職人とは、まさにそうした経験と修練を日々の糧とした結果、形成される職能の人であるわけだからね。

今日のエントリはそうしたキャリアを積んだ家具職人の落とし穴いついてである。

ボクが1年間世話になった親方は、地域では名の知れた、まさにキャリアの腕利きの職人だった。
かなり複雑な構造のキャビネットであっても、きちんとした正確な図面を必要としないので、最初はずいぶんと驚かされたものだった。

必要なところだけメモしたり、あるいはまた切り落としたシナベニヤに要所要所を原寸大で書いていくだけのこと。
あるいはまた、“馬鹿棒”とか言う奴(部材の位置関係を刻んでおく棒のこと)をこしらえ、現場に持ち込んだろするだけ。

それでいて、寸分違わず、あれよあれよという間に、スピーディーに作り上げていく。

要するに頭の中で全てが処理され、保存され、必要に応じてそこから引きだされてくると言う思考の構造を持っている職人だ。

最近、ボク自身も無意識にそうした頭脳構造に鍛え上げられつつあるのか、製図をパスすることがある。
ま、面倒くさいので詳細な図面を書かずに、ラフなスケッチ、ポイントのディテールだけあれば十分に対応できるという言うわけだ。

しかしそれが落とし穴になることはままある。
要するに、まだまだ未熟というわけだ。

画像のものも、その陥穽に填まってしまった奴。
駆体の主たる部分の柱が45度の角度を持って相対し納まる構造のキャビネット。
しかも上下で駆体の幅が変化するという構成であるため、間違いがいくつか生じ、
慌ててドラフターに向かうという失態を演じてしまった。

悔しいかな、まだまだ親方の足下にも及ばないということを自覚させられるのだった。

hr

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