工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

サイエンスもアート(南部陽一郎氏)

ノーベル受賞に湧くメディアも、このところの日本国内の政治、経済、社会、あらゆる領域を覆いつくそうとしている暗雲から一条の光を見るかのような思いでの取材、報道であれば、この喧噪ぶりは無理からぬものがあるだろう。
しかし裏返してみれば、スウェーデン王立科学アカデミーからのお墨付きという“権威”があってはじめて相応に評価するという姿勢にはいささか白けてもくるものがある。
益川教授の「科学的問題などではなく、これは社会現象」という皮肉は、授与に舞い上がるのではなく冷静さを保ち、こうした喧噪ぶりをやんわりと批評する物言いだった。
ただ重要なのは今回のノーベル物理学賞の授与というものが、基礎物理学研究の大切さというものへの社会的関心を喚起し、国家レベルでの基礎研究の環境整備へと手厚い予算措置を取っていく良いきっかけにはなるだろうということだ。
あるいは良く言われる子供達の教育現場における理数離れを少しでもくい止めるきっかけになってくれるとすればそれも今次受賞がもたらす良い副次効果だろう。
以前話題になった「円周率は3で良い」(2002年度実施の小学校学習指導要領の改訂)という改訂には、ただただ呆れてしまったのだったが、この「ゆとり教育」がもたらした数学の基本概念をあらかじめ放棄してしまうが如き算数教育現場の劣化は、その後引っ込められたこととはいえ、やはり日本の理数教育のありようを象徴させるようなものだったように思う。


あらためて益川先生の話を続けてみる。
「考える力が高校生は小学生よりも劣っている」
「受験勉強で分からない問題は飛ばす訓練をしている。(選択問題などの)箱に書くだけ」
 子どもたちへのメッセージとして「関心を持ったことを記憶しておいてほしい。後で本を読んで、そのことを理解すれば絶対に印象に残る。先生に教わるよりも友だちと競い合うことも大事」(以上、「京都新聞」から)
(実は9日付けの日経新聞でのインタビュー記事では、もっと辛辣な教育現場批判があったが、ネットでは探し出せなかった)
話しは少し脱線するが、卑近な事例で、うちに訪ねてくる木工家志願の若者と話したりして感じることなのだが、年齢相応の基本的な素養を感じさせない、世界を認識してやろうという気概を感じさせない、若者の特権としての批評精神を感じさせない、ギラギラとした目つきに出会えない、既に諦念の感に囚われているかのようにヘンに大人びている、
まぁ、総じて、日本人、日本社会というものは明らかに変質してきているな、と言う印象だ。(もちろん全てがそうだというのではなく、傾向的に、ということ)
しかしこれらは決して彼らだけに責任があると言うつもりはこれっぽっちも無い。
何故なら、彼らを育んだのはこの日本の社会制度、風土、政治、つまり大人達の背中を鏡に映したようなものだろうからだ。
どこかの著名な作家が言っていたことだが、こうした状況に、もう間に合わないと見るのか、あるいはそうしペシミズムを拒否し、あくまでも希望を捨てずにカイカクに挑むのか、によっても大きく異なってくるが、要はノーベル賞授与に浮かれているだけではなく、これを機に後進をどのように養成していくのか、あるいは次に述べることだが、頭脳流出をいかに止め、あるいは海外から優秀な頭脳を如何に招き入れるのかが、問われていることだけは確かだろう。
さて、頭脳流出の問題。
今回のノーベル物理学賞と、もう1つの下村脩・米ボストン大名誉教授のノーベル化学賞。4人のうち、米国で活動されているのが2人。うち一人は米国籍(南部陽一郎・米シカゴ大名誉教授)。
日本のメディアは4人の日本人の快挙と大騒ぎだが、海外のメディアは概ね、3人の日本人と1人の米国人、という表現だ。
彼らの先輩で同じノーベル物理学賞を受けた江崎玲於奈博士、生理学・医学賞の利根川進博士らも米国での活動での受賞だった。
さらにはノーベル賞有力候補と見られる発光ダイオードの中村修二氏も、今は米国に拠点を置く。
今回の慶事にメディアもこの頭脳流出を話題にしているが、その多くは研究施設、待遇などの環境の大きな差異を背景とする分析になっているようだ。
しかし恐らくはそうした物的、資金的問題に留まらないものがあるように思えてならない。
つまり米国における研究が自由な作風に満ちていると言われるのに比し、日本では外国人への故無き差別意識も強く、国籍問題にも阻まれ、なかなか海外からの有能な研究者が根付かない、「出る杭は打たれる」という日本固有の風土というものは研究者にとって困難な環境であることは容易に想像できる。(asahi.com
多くの問題を様々に考えさせられ、また覚醒させられるこのノーベル賞授与のニュースだが、益川先生には失礼ながら、やはり2008年のトピックであることに違いは無さそうだ。
最後に南部陽一郎名誉教授の言葉を置いて、今日のところは終えよう。
「サイエンスもアート。創造に必要なのはタレントだ」(毎日jpより)
自然界は美しく、物質の根源に潜む真理がそこにあるということなのだろうか。
科学者がこんなにも羨ましく、また身近に感じたことはなかった。
*追記   (08/10/10)
小林教授、益川教授両氏は10日、日本学術振興会で共同記者会見し、その中で教育の現状への進言があったようなので、少し引用しておこう。
益川教授:「今の試験制度は子どもの個性を見ず、大学の先生も忙しくさせる『教育汚染』だ。現在の科学情勢の結果が出るのは20、30年後。基礎科学を枯れさせてはいけない」(京都新聞
益川教授:「これでは、考えない人間を作る『教育汚染』だ。親も、じつは教育熱心じゃなくて『教育結果熱心』だ」(読売

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