工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

〈日高工房オープンワークショップ〉への参加から

日高さんの木の器と奥様の手料理

日高さんの木の器と奥様の手料理

11月最初の週末、信州、佐久の山里・香坂にある日高英夫氏の工房において、阿部蔵之氏主宰による【日高工房ワークショップ 「 スーパー座刳り装置の公開・解明 」- 木の大学講座イクスカーション2016】が開催され、参加させていただきました。

日高氏は松本クラフトフェアの第1回めから毎年のように出展していたシェーカーの優れた作り手であり、多くの使い手を魅了してきたその作品の質において揺るがない評価を確かなものとしてきた木工家でした。

残念ながら今年2月に病に斃れ、帰らぬ人と為り、主のいない工房と有り余る材木が遺されることになってしまったのでした。

この日高氏と生前から親しく交流していた阿部蔵之氏と、ご遺族・日高氏の夫人である雅恵さんと協議の上、遺された工房を開放し、若い木工家らに日高氏の制作の背景を伝え、さらには使い手を失ってしまった木工機械と道具、そして多くの用材を引き継いでもらうことを通し、日高氏の業績を追悼しようと、この【日高工房ワークショップ 「 スーパー座刳り装置の公開・解明 」- 木の大学講座イクスカーション2016】が企画されたのでした。

松本クラフトフェアの初回(1985年)がスタートする、その年に松本に移住した私でしたが、日高氏とはクラフトフェアで2.3言葉を交わす程度で、親しくしていたわけでも無く、木工基礎を学んだ松本技専(職業訓練校)では2年先輩にあたる親しさからも、制作の背景を知りたい欲望もありましたし、一部の木工機械のモーターを三相200vから、単相100vに換装する作業を請け負うこととなり、当地の2人の若い木工家、および知人木工家2人のつごう4名の木工家とともに参加することに。

ワークショップ〈座刳り装置の復元・解明〉

1泊2日の行程でしたが、ワークショップとしては実質1日半。その多くは座繰り装置の復元に費やされました。

座繰り装置

座繰り装置のテスト

座繰り装置のテスト

日高氏はシェーカー家具の他、シェーカー様式にインスピレーションを得た木の器の数々を制作しており、この器の凹面を切削するための技法を追求する過程から、ウッドカーバーを装着したアングルグラインダーの半自動的駆動方式を開発してきたようです(詳細は「阿部蔵之Blogに詳しい)。

工業的製造現場であれば、NCマシンでこともなげに作ってしまうのかもしれませんが、小規模の工房における製造方法としては、画期的な手法だろうと思われます。

ウッドカーバーが装着されたアングルグラインダーがこの座刳り装置に取り付けられ、任意の距離に取った支点を中心に円弧状にスイングさせ、凹面を切削するというもので、その半径は様々に設定可能で、かつ3次元にスイングさせるという手法で、多様な凹面を獲得するという実にアイディアあふれる優れたマシンであるようでした。

この自作の木製ジグ、マシンはテーブル傾斜の昇降盤直上に取り付けられ、凹面の深さは昇降盤の昇降機能を活用し、微妙に調整することができるものです。

復元の作業は少し難儀したものの、基本的な切削作業においては、実に容易に、かつ安全に凹面切削を獲得できることが確認できました。
テストした参加者の多くが思いの外軽快な切削であることに驚いていました。

ただ、ジグにはいくつものアタッチメントがあり、これらの活用方の復元にまでいたらなかったことは残念でしたが、開発者本人を失った今では限界があることも確かで、今後の課題として残されました。

他にも、道具、機械を多様に、かつ機能的に活用させるために様々なジグが開発されていたようで、所狭しとこれらのジグが置かれ、そこからは日高氏の滾々と湧き出るアイディアの一端が忍ばれ、その頭脳の柔らかさ、進取の精神に学ぶべきところが多かったように思います。

遺された材木

土場に桟積みされた木材

土場に桟積みされた木材

2日目の後半は遺された機械と、桟積み状態の遺された広葉樹の乾燥材の頒布。

機械はプレナー、手押し、角ノミ、昇降盤、帯鋸、ルーターテーブル ・・・etc
材料はミズメ、樺、アサダ、ミズナラ、トネリコ、ブナ等々、多様な樹種、そして多様な厚みの製材品が土場に鎮座していたのですが、参加者の希望に応じ相互に協議しつつ頒布されました。

私は既にかなりの材積の材木がありますし、今回は若い木工家へと渡したいという思いから、機械も材木も買い取りませんでしたが、やせ我慢したことを少し悔いています。

これは、その頒布価格の安さにあるというよりも、一部を除き、もはや国内で求める事の困難なものが多く、桟積みをバラす横で眺めていると、つい手を出したくなってしまうほどに稀少材が多かったことなどからです。

頒布され、引き取られた若者はぜひ日高さんの早世の悔しさを胸に、良いモノを制作して欲しいものです。

若い木工家の卵とベテラン木工家の交流

161116e参加者は主宰した阿部蔵之氏を含め、私と同世代の木工家が数名の他、後は若い方々。

初日のワークショップが終わり、日高雅恵さんと娘さんの手料理で夕食がもてなされたのですが、日高氏の業績、あるいはその人柄を偲びつつ、懇談と宴席はいつ果てるとも無く、夜遅くまで繰り広げられたのでした。

それぞれ、初対面の人同士というのが多かったのですが、年齢層も多様であり、業務内容も様々でしたが、木の仕事という括りからの収斂で、いくつかの話の輪が作られ、大いに盛り上がったものです。

若い木工家にはこうした機会は稀であったようで、様々に大きな刺激になったものと思います。

そうそう、幾人かの若い方々、私のBlog読者であるようでしたが、親しく話しもできたことで、その実態もバレバレとなり、ありもしない品位を取り繕うのも忘れてしまったのは失態だったか

ご遺族・日高雅恵さんへの感謝

今回の企画は言うまでもなく、日高さんのご夫人・雅恵さんの尽力とオープンハートな受け入れがあったればこそのものだったわけです。
それにしても亡くなられて日が浅い時期であるにも関わらず、参加者のために考えられ得る最良のもてなしをしていただけたことにあらためて感謝申し上げたいと思います。

生前の日高さんのお人柄、暮らしぶりに接していない私でも、この雅恵さんの立ち居振る舞い、あるいはなれそめの頃から、病に斃れてからのお話しは、日高氏のお人柄が間接的にではあっても、深く偲ぶに十分なものでした。

広い敷地に遺された数多くの桟積みの山は、まだまだ旺盛に仕事をしていくんだと言う意志と、覚悟の表明以外の何ものでもないわけで、それだけにご遺族の悔しさ、彼を良く知る周囲の人々、日高工房の品々を取り扱うショップの方々、愛おしく作品を使っていた多くのファンの哀しさ、寂しさはいかばかりかと思わざるを得ません。

木工作家としての人生も様々であるわけですが、ひたすらシェーカーの復刻と制作実践に励み、日々作品のデザインのディテールまで行き届くブラッシュアップと、並行してテクニカル的な領域の進化を試みつつ、制作活動に専心して生き抜いた日高さんのような生き方は1つの指標たり得るものと思わされたものです。

■ 参照:Shaker Modern日高工房オープンワークショップ 「 スーパー座刳り装置の公開・解明 」- 木の大学講座イクスカーション2016(本件、企画に当たって呼びかけられた阿部蔵之氏のBlogから)
企画内容とともに、多くの画像があります。


日高工房がある集落、点景(佐久市 香坂)

《関連すると思われる記事》

                   
    
  • A薫
    昨日、今日は私にとって忘れられない経験ができた日となりました。
    日高さんの使われていた機械をしっかりと引き継いで、良いモノを
    創り出せるよう頑張っていきます。
    このような機会を設けていただき、本当にありがとうございました。

    B薫
    貴重な時間と体験、交流ができ大変充実した時間を過ごすことができました。
    今回のような機会を与えてもらい阿部さん日高さんご家族
    そして諸先輩がたに感謝しています。しばらく間、今回のイクスカーションの余韻を楽しめそうです。
    ETC.

    天乾10年 ベストシーズニング熟成マテリアル直ぐ使い
    桟木を外すと売りたくない厚板がみえるたびにドキドキ。
    外見は焼けていても木口1cmでまっさら鮮明な材色品位
    もう観ることが出来ないようなソリッド広葉樹ばかり。
    水目の中杢厚盤があらら、ウダイ・トネリコアレーマー
    心臓に良くないので目をつぶりじっと板しておりました。
    木の大学講座の知見・交流雰囲気は、いつも極上ですね。
    キコテレスABE

    • 木工に限らないかも知れませんが、こうした職能の伝承はますます困難になりつつあることも確かで、私たちの世代に課せられた責任は大きいです。
      でもそれを掴みに一歩外に出ようとする若者がいなければマッチングも難しい。
      今の時代、ネットで何とかスキルを学び・・・なぁんて甘い考えで高をくくってる人も多いかも知れません。
      しかし、この世界はテキスト化が困難で手から手へと渡すことでしか身につかないことの方が多いのも事実です。
      少なくとも、いらぬわき道にそれ、大切な時間を浪費することくらいは避けられます。
      同時に、日高さんの遺された作品、工房のたたずまいはもちろんのこと、キャリアの木工家の生き生きとした木工人生を見せることも何某かのポジティヴなものを与えたかも知れません。

      今回参加された若者らはそうしたことを自覚してのものであったでしょう。

      材の優良さは、まことに仰る通りです。
      20年ほど前までは当たり前に調達できた優良国産材の多くはほぼ入手ができないという状況。
      若い木工家の困難の1つがここにあります。
      今回はこれを緊急避難的にかなりのボリュームで提供できたことは、たぶん鬼籍に入った日高氏も了とされていることと思います。
      そこをぜひ自覚され、制作活動に供して欲しいと思います。

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