工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

FIFA W杯に酔う

FIFA W杯 南アフリカ大会、昨夜開幕試合のホイッスルが吹かれた。
旧黒人居住区ソウェトに隣接するサッカーシティー競技場には8万人近い観客が集い、通奏低音の如くに吹き鳴らされるブブゼラが一種異様な雰囲気を醸していたが、いよいよこれからアフリカの一ヶ月間がスタートするんだなと、感慨深くMac上のTV中継に釘付けになった。
南アフリカへのW杯招聘の最大の功労者を挙げよと言えば、誰もが一致して南アのアイコン「ネルソン・マンデラ」その人を挙げるだろうが、ついに開会式に姿を見せることは無かった。
開幕を盛り上げるためにも、南アフリカの人々を鼓舞するためにも、いや全世界へ向けての熱いメッセージを送り届けるためにも、とても期待していただけに残念だった。
しかし、ムベキの後を引き継ぎ昨年5月に大統領に就任したズマの開会宣言にも、このアイコンが語られ、あるいは観客の中から多くの人が彼のあの人なつこい笑顔の大型パネルが高く掲げられ、マンデラあってのこの南アフリカW杯なのだということを印象づけていた。

サッカーボール1

南アフリカではアフリカーナー(オランダ系白人)と言われる人々の間では、歴史的には圧倒的にフットボールが人気があり、サッカーはもっぱらそうした人々とは関係が持てなかった黒人たちのスポーツだった。
クリント・イーストウッドの『インビクタス』ではフェンスを境にグランド整備が行き届いている緑の芝生の上でフットボールに興じるアフリカーナーと、一方荒れ地の空き地で破れたボールを歓声を上げて蹴る黒人の子供達が描かれている。
この対比、フットボールとサッカーというスポーツの差異にイーストウッドは南アフリカというものの一面を象徴させた。


フットボールとサッカーは紳士の国英国が発祥の地であることはよく知られたところだが、もちろんフットボールもサッカーも同一のルーツを持つ。
19世紀中頃、フットボールのルールを策定するためにAssosiationを作ったことがきっかけとなり、手を使えないなんてナンセンスとばかりに席を立った方がフットボールであり、新たなルールの下で組織されたのがAssociation Footballから執られたスラング、soccerだ。
南アフリカのアパルトヘイトという人種差別を背景として、スポーツの棲み分けができたのも興味深いところだが、サッカーというスポーツがボール1つさえあれば誰でも、どこでも楽しむことができるというスポーツの原初的な姿を見ることができ、またそれがW杯の回を重ねるごとに、より高度に、スピーディーに、スマートに進化していくことを見るのも楽しい見所だ。

サッカーボール1

ところで次期五輪では公式に催されることが無くなったベースボールとの比較で、あまねく世界至る所でこのサッカーが普及しているのは何故か。
理由はいくつかあるだろうが、ここはあえて言ってしまえば世界の近代史はサッカーとともにあったと言ってしまおう。
どういうことか。世界の近代史は英国の産業革命、ネーションとしての成立から始まったことは論を待たない。
その後市場と植民地を求めて海外へと帝国的展開をしていくわけだが、そこには常に宣教師が先陣を切り拓いていったという裏面史があるのと同じように、英国にルーツを持つ“スポーツ”(非暴力の競争)が持ち込まれていくというのも必然だったのであり、ボール1つで興ずることのできるスポーツとしてのサッカーが植民地に定着していくことになったことも十分に頷けるところだ。
ベースボールが世界大的に普及しなかったのは、米国という特異な国家像(遅れてきた帝国、英国と異なり植民地を必須としない)から説明が付くだろう。
サッカーボール1

近年、サッカーは世界中のスターが集う欧州チャンピオンズリーグが最高峰の場として認知されていて、W杯は後景に退くかのようでもある。
個人的にはネーションを超えたチーム同士が闘うという姿に1つの理想型を見たいと考える立場なのだが、1歩下がって、ネーションとして再結集し、自国の熱い応援を受けて闘うことのすばらしさもまた、スポーツの原初的な快楽の1つであることは否定しがたい。
昨夜の開催国南アフリカが格上のチームと互角以上の戦いを演ずることができたのも、ブブゼラを吹き鳴らし続けた8万人とその背後の数千万の自国民衆の応援があったからこそとも言えるのだから。
さて、マラドーナ率いるアルゼンチンの勝敗の行方を決定すると言われるのがメッシの戦いぶりだ。
地域予選でのチームの苦戦はメッシの不調ゆえとばかりに国内メディアからは散々な酷評に晒され続けていた。
これが国を捨てバルセロナに身を売ったとばかりの狭隘なナショナリズムゆえのものであることを見るとき、あまりにも酷薄なもと思わざるを得ない。
そこに潜むのがネーションが持つ暴力的なエネルギーであることを知るとき、W杯前ドイツ大会決勝戦でのジダンの苦悩とビミョウに重なって見えてくるのを止めようもないのである。

※ 補記〈ジダンの苦悩〉
前回2006年のドイツW杯、決勝戦は優勝できなかったチームの選手で記憶されるという奇妙なものだった。
薄れることの無い記憶。
ジダンは出自に関わる暴言を吐いた(と言われる)相手選手に頭突きを食らわし、退場させられたのだった。
美しく、血潮たぎる戦いの場であるべきはずのピッチを汚されたことへの暴力的抗議への代償はあまりにも大きかったが、人生には譲れないものもあるのだ。

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