工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

スタジオ撮影の変容

デジタルシステム
今日は必要があってスタジオでの撮影となった。
これまで近郊の商業写真を専門にする複数のスタジオで撮影してきてもらっているが、限られた個所でもあるためにそのシステムの差異については良く分からない。
今回のスタジオは使用頻度の高いところでのものだが、ほとんど完璧にデジタル撮影システムに変容していた。
以前は大判ブローニーサイズでの銀塩写真撮影であったので、まずはポラロイドでストロボの照射具合などをチェックし、その後フィルムマウントを交換し本撮影する、などといった前処理が必要であったり、あるいは撮影後もプロラボでの現像、焼き付け、色調確認後、本焼きなどといったプロセスを必要とされた。
片やデジタル撮影ではRAW処理+jpg処理、をPCでモニターしながら被写体のレイアウト、ストロボの発光量調整などを行えばPCからクリック一発で撮影終了だ。
こ後はRAWデータをCMYK処理した後にメディアに焼き付けて終了であるが、今回はこれは後日やってもらうこととして、添付した画像の通り、持ち込んだUSBフラッシュメモリーにjpgデータの方ををコピーしてもらってきた。
印刷現場においてもこのCMYKデータ+RAWデータをそのまま活用できる。
さらにまたIllustratorが少々扱えればDM作成においても完全原稿として印刷に回せるだろう。
芸術写真であるならばともかくも、プロの撮影現場でもこのようにデジタル撮影処理が一般的な撮影システムとして急速に普及してきているようだ。
世界的カメラブランドのニコンがプロ用機種数種を除き、銀塩写真用のカメラ本体の開発、および製作を止めたという報道にはさすがに驚いたが、プロの現場に於いてこのような現状を呈しているのを間近に見せつけられると、メーカーの経営戦略の見直しも宜なるかなと思わざるを得ない。
さてしかし、スタジオ側からこのような変容をどのように感じているのか知りたいところだが、どうも以前と比べ決して業務は簡便になったわけではなく、むしろ自身で処理すべき領域が広がった分、忙しくなっているように思われた。
しかも機材はカメラ関連だけに留まらず、デジタル処理のためのハード、ソフトの導入、およびこれらの取り扱いの修得など、一体デジタル化というものが我々の業務においてどのような意味を持つのか、よくよく考えてみないとその本質を見失う危険性を孕んでいるように思ってしまった。
・画像top:デジタル撮影機器スナップ
・画像below:今日撮影した画像データ(.jpg) クリックで拡大
■スタジオホワイト
 静岡県静岡市中原847-1
 054-285-4915
hashibami

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  • 押し入れを改造して白黒現像をやっていたころは
    こんな時代が来るとは思っていませんでした。
    コダックがデジタルカメラから撤退というようなニュース
    もありました。コダックは今後どこへ向かうのでしょうか?
    私の銀塩カメラもそろそろ骨董の仲間入りかな。

  • acanthogobiusさま、さっそくのコメント感謝です。
    同類のようですね。トライXの現像にときめいたものです。
    若い頃憧れのコダック社でしたが、無惨。
    http://wwwjp.kodak.com/JP/ja/corp/news/0806/020806.shtml

  • >一体デジタル化というものが我々の業務においてどのよう
    な意味を持つのか、よくよく考えてみないとその本質を見失
    う危険性を孕んでいるように思ってしまった。
    いい視点ですね。いまや、デジタル化は、現代を生きる者が
    避けて通ることはできない。とくに高速演算、高精度画像表
    示等には、不可欠な手段。わたしもつい先日、CTを受け、
    からだ中を「輪切り」にされてきた。
    たしかに、デジタル化は有用だが、けっして万能ではない。
    鵜呑みにして、使い方を誤ると、危険だ。
    デジタル化とは、「1」と「0」の間を強引に断ち切り、切
    り捨ててしまうのだから。
    あくまでも、デジタル化は何かをするための「手段」であっ
    て、それをどう扱うか、使う側の人間の主体性がきびしく問われる。
    とてもむずかしいが、いま論じることが必要な問題なので、
    一度、別系統の「社会の時間」で取り上げてください。

  • 風に吹かれてさん こんばんは。
    >デジタル化とは、「1」と「0」の間を強引に断ち切り、切
    り捨ててしまうのだから。
    同意しますね。今から30年ほど昔のこと、シャープがデジタルの腕時計を発売開始したときの話ですが、先んじて購入し見せびらかす友がいましたが、ボクは時間というアナログ的数値概念をデジタルで表示することの違和感を述べ、対立したこともありましたね。また一頃、多くの自動車の速度計がデジタル表示に代わった時期もありましたが、これもテクノロジーの誤った適応でした(ちょっと論点が拡散してしまいました 笑)
    コンピューター普及を背景としたあらゆる事象におけるデジタル処理の圧勝は大きく社会を変貌させました。第2の産業革命という定義づけもあるようですが、単にテクノロジーの問題に留まらず、優れて哲学的命題の領域の問題ですね。

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