工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から
《Delta 18-900L 》が最優秀に選定(FWW Tool Test)
これまでこのBlogでは、新たに市場にリリースされた電動工具の中、木工作業に関わりの深いジャンルにあって、革新的なものなどを中心に、いち早く紹介してきましたが、ここ数ヶ月ではでは〈Delta 18-900L 〉の紹介記事に、かなりの数のアクセスがあるようです。
先日発刊された『Fine Woodworking』(以下、FWWと略)誌 #249 の〔Tool Test〕にフロア型のドリルプレス(=ボール盤)が取り上げられ、このDelta 18-900Lが最優秀に輝いていました。
今回はこの記事を参照しつつ、あらためてこのマシンの優位点を中心とした特徴を再確認していきたいと思います。
ところでこのマシンに関心を抱いたのは4年ほど昔に遡りますが、先の記事でも書きましたように、このような木材加工に特化されたドリルプレスが存在し、同類のものが多様に展開されていると言うこを知ったのは、ガラパゴス日本の木工屋には驚かされるに十分な衝撃を受けたものです。
さらにその中にあって狙い定めたこの《Delta 18-900L》は、要求される仕様水準において、群を抜くものであったことで、工房移転を機に、購入手続きへと踏み切ったわけですが、そのマシンがFWW誌で最優秀に選定されるということは、ユーザーとしてはもちろんのこと、紹介の労を執らせてもらったBlog執筆者として、深い安堵を覚えるものがあったわけです。
もし、逆にバッドな評価であれば、穴にも入りたい気分で恥じ入るしか無かったでしょうけれど・・・
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キッチン周りの家具充実へ
あまり参考になるほどのものでは無いのですが、これまで数度にわたり自宅に設えた什器などを記事にしてきた続編のようなものです。
我が家のキッチンは対面型のカウンターをメインにしたもので、この主体部分は既に記事にしていましたが(こちら)、今回はその背部壁面に設置された什器、およびサブキッチンになります。
奥から
- 食品収蔵庫
- 冷蔵庫
- サブキッチン(ダスト収納などを含む)
- 食器棚
というレイアウト。
手前の食器棚は25年以上も昔に造ったもので、それを除く食品収蔵庫、サブキッチン、およびそれぞれの天袋が新たに設置した家具です。
いずれも日々の調理、食生活には欠かせないものですが、なかなか制作に取りかかれず、入居後1年の余を経ての設置で、やっと落ち着き、納品を急かす家人の怒りも、ようやく鎮まりつつあるといったところです。
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看板制作は楽しからずや
「看板倒れ」「看板が泣く」「看板を下ろす」「看板に傷がつく」と、看板が付く熟語には、数多くのネガティブな用法があります。
この否定的な用法から考えても、看板というものがポジティヴで重要なものであることを逆に言い表されていることに気づかされます。
またこれらの用法は、単に看板そのものを指すだけでは無く、そのお店、事業体が持つ、社会的な位置づけ、信頼性をも付与されていることが分かります。
それだけに大切なものということなのでしょう。
うちでは、以前の工房では玄関の上にロゴを彫り出したA3版ほどの小さなケヤキの看板を置いていただけでした。
工房の立地は周囲の住民が通るだけの道筋でしたので、アピールと言うより、主が何者であるかをささやかに示していただけでした。
新しい工房は、市道ではあるものの、交通の激しい2車線道路に面した立地ですし、比較的大きな建物ですので、それに見合ったものが必要とされていたというわけです。
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安保法制をめぐる、この熱い夏の光景(あの日から70年目の夏を迎えて その4)
『日本の歴史家を支持する声明』
先頃、米国の歴史家、日本研究家から声明が出され、大きな話題になったことは記憶に新しい。
『日本の歴史家を支持する声明』である。
これは安倍首相の米上下両院議会演説直後の5月5日に出され、既にこの時点では安倍首相による「70年談話」が検討されていただけに、大きな話題を呼び、私も目を懲らしたものだった。
米、英、豪、日の歴史家、日本研究家ら187名に及ぶ署名を集めたもので、ジョン・ダワー名誉教授(MIT)、アンドルー・ゴードン教授、同エズラ・ボーゲル名誉教授(『ジャパン・アズ・ナンバーワン』著者)、同入江昭・名誉教授(ハーバード大)らが名を連ねる、驚くほど網羅的で信頼のおける人々の声明になっていた。
このタイトルにあるように、日本の歴史家へのエールともなっていて、戦後70年間の日本と近隣諸国の平和を讃え、歴史解釈の問題で日本が「世界から祝福」を受ける障害となっていると指摘し、過去の過ちについて「偏見なき清算」を成果として残そうとするもので、とても格調高く、思想における左右を越えた説得性の高い表現で記述されている。
ぜひご一読願いたいと思う(Link)
次いで、これを受ける形で日本の歴史学会16団体は【『慰安婦』問題に関する日本の歴史学会・歴史教育者団体声明】を発するところへと繋がっていく(こちら)
安保法制をめぐる、この熱い夏の光景(あの日から70年目の夏を迎えて その3)
安倍「70年談話」の狙いとは
「70年談話」とは、いったいどんな意味を持つのか、若者世代を中心に疑問も多いだろうと思うし、まるで関心を持たないという人もいるだろう。
その国の依って立つところを確認するということは、国民国家という近代の国家概念においては必要とされるもの。
これは国家の側からはもちろん、市民の側(私は国民という言葉は目的的である以外、安易には使わず、市民という用語を使います)からの要請でもあったりする。
これが戦勝国であったり、他国からの支配を脱し、独立を勝ち取った国であればなおのこと。
国の正統性をここぞとばかりに確認させようと試みる。
これは国民国家の政府による支配、ガバナンスの最大の課題であるからだ。
日本のこの「70年談話」も同じく、先の戦争から70年を経、敗戦の日(終戦記念日)に国内外にメッセージを発するというものだ。
ただ、安倍首相からはこれまで、先の戦争における日本軍の中国大陸への侵略行為を認めず、逆に美化するような発言が繰り返され、首相の立場でにおいても、A級戦犯が合祀されている靖国神社に参拝するなど、中国、韓国、北朝鮮、あるいは米国政府筋をはじめ、海外から大きな懸念を呼び、また危険視されてもきた。
本論考の冒頭で「70年談話」の必要性など無いとしたが、安倍首相のそうした信条、信念というものがあまりにも自明であるため、現状においてさえ、かつてないほどの緊張関係にある北東アジア情勢に、取り返しのつかないメッセージ内容にもなりかねず、止めてもらいたいと考えるところからの不要論だ。
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安保法制をめぐる、この熱い夏の光景(あの日から70年目の夏を迎えて その2)
国会前に押しかける人々の群れ
国会前では毎週末、定期的に反原発などの抗議活動が弛み無く続けられていることは知っていたが、違憲安保法制の衆院特別委での強行採決前後からは、これへの抗議活動が大規模に、日を置くこと無く連日のように、あるいは全国津々浦々、様々な団体が」「抗議声明」を発し、街頭に繰り出しデモを打ち、「アベ政治を 許さない」のステッカーを掲げ、個人が声を上げている。
あるいは、全国の県議会、市町村議会からも多くの「反対」「慎重審議」を求める意見書が採択されつつある[1] 、
あるいは憲法学者、弁護士団体などを先頭として、様々な学会の学者達から声明が出されるといったように、蜂の巣を突いたような大騒ぎになってしまっている[2] 。
それぞれの意志は様々で、抗議声明の内容も色とりどりだろうが、共通して底を流れていることは以下のようなことではないだろうか。
これまでは、政権による不当、不法な振る舞いには、疑問があったり、異議があっても、まぁ何とかセンセイ方に任せておけば、取りあえずは良いだろうなどと安穏としたところがあった。
ただ今回ばかりは、どうも憲法というものの鼎が問われているようで、俺たちの与り知らぬところで、とんでもないことを与党が画策しているようだ。
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❖ 脚注
- 少し旧いデータ(07/09、朝日新聞) [↩]
- 安全保障関連法案に反対する学者の会
国民安保法制懇
新安保法制、専門家ら撤回求める声明
立憲デモクラシーの会
真宗大谷派・宗務総長コメント
安保体制打破新劇人会議 [↩]
安保法制をめぐる、この熱い夏の光景(あの日から70年目の夏を迎えて)
はじめに
今年も8月が巡ってきた。
しかしこの暑さ、身の危険を覚えるほどだ。
老いを迎えつつある(自分では全く自覚していないのだが)中での体調変化によるということなのだろうか。
いやいやそれだけではなさそうだ。1945年8月から70年という節目の年であるというので、これを巡る熱気がどうもホントの正体のように思えてくる。
しかし時代の節目というものは西洋に倣えば、25年、50年、とくれば、次は75年、100年というのが通り相場。これをあえて70年というのも、何か無理やりケンカをふっかけられたようで、眉をひそめたくもなろうというもの。
何の話かと言えば、安倍首相によるところの〈70年談話〉のことである。
先の村山談話は戦後50年にあたってのメッセージであり、国内外に大きな反響を呼び、それまで日本の15年戦争[1] への総括をスルーしてきた戦後日本にあって、全く不十分ながらも、日本の侵略戦争への反省を示し、戦後社会の歩みを語り、未来を展望するという、戦後初めてと言って良いほどの内実を持つものだった。
したがって、その後に必要とされるのであれば、75年、あるいは100年の節目で出せばよいものを
あえて70年というのも、なんだかなぁ、といった感が拭えないわけだ。
しかも、70年談話を発するというメッセージを早くから出しているためもあり、内外の視線は熱く、敗戦の8月15日[2] を巡り、この日を迎えるのは今から疎ましく、ストレスは高ずるばかり。
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❖ 脚注
さざえ堂というユニークな歴史的建造物
日本の建築史へは、個人的にも、業務上からも関心が無いとは言いませんが、200年以上も昔に、こんなユニークで破天荒な仏堂が作られていたとは恥ずかしながら知りませんでした。
会津、飯森山の中腹に現在もなお屹立している栄螺堂(サザエ堂)です。
その外観は画像のように、まさにサザエの如くに螺旋構造をしたユニークで特異な形状。
《木の大学》を終え、帰路の途上で立ち寄って来ましたので、簡単ですが紹介させていただきます。
これが江戸後期、寛政8年(1796年)に建立されたというので、建築史的にも良く知られたものであるらしく、私のような素人にも刮目してしまう驚きの「正宗寺三匝堂」という仏堂です。
これは後段に書きますが、明治近代以降は廃寺となり飯森山を管理する飯盛本家に所属し、管理されているとのこと。
「木」の大学講座 2015 「樹木と人間・動物のかかわり」〜ブナの時間・トチの時間〜(その4・おわり)
「大学」とは
これまで3回にわたり、《「木」の大学講座 「樹木と人間・動物のかかわり」〜ブナの時間・トチの時間〜》の参加リポートをお届けしてきました。
しょせん取るに足りない一介の木工家具職人でしかない私の知見は狭い範囲のものでしか無く、普段からこの種の学問へと深く渉猟することもなければ、喜々として森林探訪へと足を踏み入れることもそうあることでは無かったというのが実態だったわけです。
工房に籠もり、しごとに追われ、日々木材に向かう生業と、その背後において拡がる森の豊かさ、あるいは多くの課題に直面している森の疲弊と国産材の枯渇といった状況は、必ずしも所与の関係として結びついているわけでもないからです。
また、この種のジャンルの実学的な講座が設けられるということも、寡聞にして知りません。
一方、林学、営林学、樹木の植生学、樹木の細胞物理的な学問など、個々の専門的な領域では、権威ある公的な教育機関におき、明治近代化以降、旧くから設けられ、積み重ねられてきているわけですが、これら個々の領域を越え、学際的にアプローチされる学問分野は決して多くないのかも知れません。
良く言われるところの、タコツボ化、という奴です。
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